第三話:クラスメイトは魔法使い
名前を呼ばれた庚輔は深くため息をつく。
これまためんどくさいことに。
正しく庚輔の心境はこれだった。
少女の制服は庚輔も通う高校のもので、身につけているバッヂから同じく一年であろうことは予想できた。
ここで彼女が別のクラスなら問題なかった。
入学し高校生活が始まってまだ二週間。それこそクラスメイトの名前を覚える段階なため、他クラスの名前を覚える余裕はないし、誤魔化しようは幾らでもある。
それこそちょっとした思い違いだと思わせれれば、簡単な暗示の魔法だけで今後庚輔が追求されることもなく、変な人がいただけという認識になる。
だが、同じクラスだと日々の生活の中で庚輔の事を目にすることになるため誤魔化しきれない。
いくら魔法で強くした暗示でも所詮暗示だ。記憶の消去など行えるはずもなく、記憶が風化する前に思い出すだろう。
それこそ今のように顔を判別した上で名前まで行き着くくらいに知られているなら暗示をかけれるかどうかすら怪しい。
さらに彼女はおそらく無自覚の内に仲間の結界を抜ける程度には魔法的な何かに身を置いていると予想できるため、暗示はかからないと考えたほうがいいだろう。
つまるところ、どうしたとしても目の前の少女からの追求を受けることは確定していた。
「はぁ~……」
心底めんどくさそうに再度ため息をつく庚輔。
自分のミスでこうなったとはいえ、高校に入ったばかりのこの時期にやらかしたことに対して激しい自己嫌悪に走っていた。
が、今更それを悔やんでも仕方のないことである。
起こってしまったことはどんな奇跡を使おうとなかったことにはできない。
現代社会の中で超常の力と言われる魔法使いでも所詮人間でしかないのだから。
もしそれができたなら、それこそ正しく神の所業であろう。
そんな現実逃避も程々にして少女に向き直る庚輔。
「確かに俺の苗字は西灘だが、そういうお前は誰だ? 悪いけど逆光で顔がはっきり見えないんだ」
少女の問いかけに肯定の意を示しながら庚輔も尋ねる。
警戒している相手に質問を質問で返すのは状況の硬直に繋がりかねない。
どちらかが折れるしかないのだが、ここは自分が折れる方だと庚輔は判断した。
もっとも、彼女が素直に教えてくれるかどうかはわからないのだが。
しかし、少女は存外素直な性格だったのか、少し躊躇う素振りをしてから一歩前にでてその素顔を晒す。
「私は千船岬。同じクラスで隣の席に座ってるわ」
「……あ、ああ」
岬の行動に面食らいながらも庚輔は自分の隣の席のクラスメイトの顔と目の前にいる岬の顔が同じものだと判断できていた。
幸いなことに岬はクールビューティという言葉が当てはまる顔立ちをしていたため、すぐに思い当たることができたのだ。
だが、同時に庚輔の中で1パーセント程度には残っていた暗示による記憶封印は絶対に不可能ということになってしまった。
こうなってしまっては彼女の追求を受けるか、口約束だとしてもなるべく忘れてもらう方向へ持っていったほうが無難だろう。
全くめんどくさいことだ。
さっきと同じことを思いながらも自分のミスでこうなったのだ。最後まで責任を取るのが筋というものだろう。
「えっと、千船さんでいいのか?」
「できれば名前の方で呼んで欲しいかしら。兄がいるからややこしいのよ」
「分かった。じゃあ岬さん、できればここで見たことは見なかったことにして欲しい。俺の後ろにいる大きな狼のことや荷物のことは特に」
そう言って庚輔はフェンリルのことを示すと、岬もフェンリルの方へ視線を移す。
彼女もフェンリルが背負っている荷物が人であることは気づいていた。
正しく超常の力による人攫いの現場なのだが、岬はとある事情から落ち着いており、これが己の踏み込むべき世界ではないのだとなんとなく理解していた。
「いいわ。その代わりあなたの事情を説明してもらえる? それだけのことだと思うのだけれど」
それでも見過ごせない所はあり、岬は庚輔に条件を提示する。
庚輔も岬がこうくることは予測していたため、あらかじめ作ってあった回答で答える。
「彼が俺達の世界の掟を破って、俺はそれを捕らえた。それだけだ」
「掟って?」
「悪いがそれは教えられない。少なくとも一般人である岬さんには」
軽く踏み込んでくる岬ににべもなく拒否する庚輔。
岬も完全な納得は行っていないが、それでも理解は示そうとする。
ある意味で彼女にとって庚輔は裏社会――彼女の中ではヤ○ザのような――に近い人間と認識されたようで、これ以上踏み込んではいけないという線引きが出来上がりつつあった。
このまま行けばお互いに平和に終わる流れである。
「失礼ながらマスター。発言をよろしいでしょうか?」
だが、そこへ水を差したのは意外にも庚輔に従順なフェンリルであった。
岬がいるため黙っていたのだろうが、それを覆すほどに見過ごせない何かが今の会話の中にあったらしい。
まさかフェンリルが喋ると思ってなかった岬はともかく、庚輔もフェンリルがこういう状況で喋るとは思ってなかったため、彼に視線を向けて瞠目していた。
「お前が一般人を前に喋るなんてな。いいぞ、少なくともお前が言わなければならないということは何かあるのだろう?」
「ええ。さて、岬さんでしたね」
「は、はい」
フェンリルに声をかけられ、驚きから抜けきれていない岬はどもりながら返事する。
その様子に微笑ましいものを感じながらフェンリルは丁寧な口調で続ける。
「単刀直入に聞きます。貴女、魔法使いでもないのにどうやってその《幻獣》を手に入れたのですか? それも“二人”も」
「へぇ~……」
「え?」
フェンリルの言葉に庚輔は魔法使いとして驚きの表情をし、岬は岬で「どうしてバレた」という表情をしていた。
そして当のフェンリルはやれやれというように嘆息して庚輔に向き直った。
「マスター。私は岬さんをコミュニティで保護することを推奨します」
「理由は?」
「今の様子からは岬さんは魔法使いの「ま」の字も知らない一般人であることは確定です。ですが、彼女の周囲には人型の幻獣が二人おり、彼女はそれらを認識して、不完全ながら契約をしています。この危険性を理解できないマスターではないでしょう?」
「…………そうだな」
フェンリルの進言に庚輔は同意しながら瞑目する。
庚輔もフェンリルの意見には賛成ではある。しかしそれは個人的にはという意味で、この事案に関しては個人で判断するわけにはいかないものだった。
独断で決めるわけにはいかないが放っておくこともできない重要な案件。
(ま、結局今更な話か)
だが、結論は意外にもあっさりと出た。
「岬さん」
「はい」
「前言を撤回して済まないと思っているが、このあと俺に付き合ってくれ」
「はい?」
フェンリルの言葉でなんとなく自分のことで何かあるのだろうと思っていた岬は庚輔の言葉に疑問で返してしまう。
岬の困惑を庚輔自身わかっており、申し訳ないと思いながらもこれは岬のためと思い、語気を強くしながら岬に告げる。
「悪いがこれは強制だ。あと今日明日は家に帰れないと思ってくれ。着替えに関しては仲間のものを使ってもらうことになるが許してくれ。フェンリル、見逃さないよう頼む。俺は愛成達に連絡する必要があるから」
「ちょっ……」
「分かりました」
有無を言わせずに言い終えた庚輔に岬は反論しようとするが、庚輔は彼女に背を向けてどこかへ連絡を取り出した。
明らかにこの場では一切説明をしない様子である。
逃げたほうがいいのだろうかと岬の脳裏に過ぎるが、その思考をまとめる前にフェンリルが岬の背後に陣取った。
「申し訳ありませんが貴女の安全のために貴女を逃がすわけにはいかないんです。幻獣のお二方もその点を十分ご留意ください」
「は、はぁ……」
フェンリルの丁寧な物言いに岬は訳がわからないというように気の抜けた返事しかできなかった。
このまま連れて行かれたほうが危険ではないのかと思うが、少なくとも電話腰に頭を下げて平謝りする庚輔の様子から自分を悪い意味でどうこうする気はないことが読み取れる。
それならとりあえず現状は諦めてしまったほうが適切だと判断した。
しかし。
「一体全体どうしてこうなったのよ~……」
これだけは口にしてもバチは当たらないだろうと思う岬であった。