第十七話:魔を司る獣
森を彷徨うソイツは腹が減っていた。
もう何日も何も食していない。
だから棒状のものをもって森に入ってきた二足歩行する餌を食った。
久々に食べた新鮮な肉はとても旨く、ソイツはすぐにその肉の虜となった。
だから森から降りてその餌のいる集落を襲った。
そこでソイツは餌の味にも違いがあることを知った。
腰を曲げて歩く奴は骨ばってて不味い。
二足歩行する生物のオスと思われる奴は挑みかかってくるだけあって筋張ってて不味い。
メスと思われる奴はいい感じに脂がのってて美味い。
小さい奴は量が少ないが柔らかくて美味い。
モットクイタイ。モットモットクイタイ。
いつしか食すことに貪欲になったソイツは幾つもの集落を襲い、そこにいる者達を喰らい尽くす。
集落の者達も反撃はするが、ソイツの使う力に阻まれ、全員ただの肉へと成り下がる。
ソイツにとっては幸いなことに集落の者達にとっては不幸なことに、ソイツを倒せるだけの実力者がいなかったことも災いした。
暫くして、ソイツに喰らい尽くされた集落が十を超えるほどになった頃。ソイツは突如として開いた穴に落ちた。
ソイツが落ちた場所は先程までいた景色とは打って変わって金属質の壁に覆われ金属質のものが多く置かれた場所だった。
だが、ここはどこだとソイツは考えない。
考えるのは餌はどこだということだけ。
だから自然とソイツは幾つもの集落を襲って得た嗅覚を使って周囲を探索する。
元いた場所と違って臭いはキツイが、それでも慣れれば嗅ぎ分けられないことはない。
ふとソイツはこちらに迫ってくる音に気づく。
向こうでは聞きなれない唸るような音と嗅ぎ慣れない臭いにソイツは警戒をする。
だが、その警戒はすぐに愉悦へと変わった。
近くで止まったものから降りてきたのは四人の二足歩行する生物。
オスと思われる者はそこから動かずに、メスと思われる三人はゆっくりではあるがこちらに近づいてきていた。
好機だとソイツは思う。
場所が移動したということはいつその好物を食べれるか分かったものじゃない。
それがこちらへ来るというのはソイツにとってはまたとない好機である。
これを逃す手はない。
そう本能で理解したソイツはゆっくりと三人を不意打ちで襲える位置に移動し始めた。
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「三人共、聞こえるか?」
「はい」
「聞こえるよ~」
「ええ」
インカムから聞こえてくる翔平の声に岬達は三者三様に答える。
幾つかの装備をした円と愛成、そしてほぼほぼ無防備の岬を含めた三人は現在廃工場の屋内に入っている。
翔平は廃工場へ続く道で車を止めて廃工場を中心とした人払いの結界と中の様子に気づかなくさせる結界、そして結界内の一定以上の大きさの生物を感知する結界といった三つの結界を張っていた。
当然そこを越えれば認識されるし、大きな音や派手なことをすればいくら人里から距離があるとは言え気づかれる。
ある意味で廃工場から翔平がいる場所までの距離を半径とした周囲一帯が最終防衛ラインとも言えた。
そういった最終防衛ラインと周囲からの関心を逸らすのが翔平の役割である。
同様に愛成がメインアタッカー。円がその補助もしくは岬の護衛といった役割をもっている。
「既に魔獣は出現しとる。じわりじわりとそっちに向かっとるで」
「結界に対応されている気配は?」
「あらへんな。魔獣がオレ以上の使い手やとわからへんけど」
「それはないかなぁ~」
「どうして?」
愛成のツッコミに岬は疑問を示す。
聞いている限り愛成は翔平が使っているような魔法を専門としているわけではない。
にも関わらず断定するということは何かしらの根拠があるに違いない。
「こっちと向こうじゃ魔法の……規格? が違うんだ。私達は向こうでも魔術って呼んでて私も魔法とは別に使えるね。魔法を魔術、もしくは魔術を魔法で感知系や隠蔽系に完璧に対策しようとすると絶対にどこか違和感が出るんだ」
「えっと、つまり魔法の感知には魔法の隠蔽で、魔術の感知は魔術の隠蔽でってこと?」
「そそ。ま、攻撃に関しては関係ないし、隠蔽に関しても完全に隠蔽しきるってことはそれはそれで十分な情報だしね」
「私達だけで対応出来るならそれでよし、ダメなら魔法使いが総動員ってことね」
岬の結論に愛成は肯定する。
事実魔獣の問題についてはバランサーコミュニティは先遣隊というものに近い。
まず第一接触をバランサーコミュニティが行い、その場で倒せるなら良し、無理ならなるべく情報を集めて他のコミュニティと協力して討伐するという流れが組まれている。
他にも魔獣を観察してその生体や行動パターン、性質などを記録するという役割もある。
今回だと夜天の灯台が縄張りとする範囲内ではあるが端の方である為、近隣のコミュニティにも協力を仰いで万が一魔獣が逃走した時の保険兼魔獣のパターンを観測するという連携が行われていた。
「二人共おしゃべりはそこまで」
「は~い。じゃあ岬ちゃんはイリスちゃんと菖蒲ちゃん召還しておいて」
「は、はい。召還」
愛成の気の抜けるような口調での指示に岬は緊張しながらも一時間ほど前にも行った魔法の行使を行う。
本来なら岬がマナを収束させなければならないのだが、最初に行った時と同じようにイリスと菖蒲が自分でマナを集めて召還される。
尚、これができるのは二人が岬と友人関係だからこそできることであり、本来幻獣側が自分でマナを集めて召還されるという行動をすることはない。
「やほ~話は聞いてるよ。岬を全力で護ればいいんだよね?」
「そうそう。方法は聞いてる?」
「一応僕達がやるべきことはフェンリルさんから聞いています」
「よし」
一通り確認を終えた円は頷くとちらりと視線だけ廃工場の奥へと向ける。
「じゃあ、お願いね」
「「ガッテン」」
サムズアップをしたイリスと菖蒲はすぐさま魔法を使用する。
彼女達幻獣の魔法は精霊魔法に近く、周囲にあるマナを使って魔法を行使する。
違うのは《媒体》を必要としないことと幻獣特有の魔法があるくらいだろう。
それを彼女達は敢えて岬を通して魔法を発動した。
「今の……」
自分の中を駆け巡ったマナの気配に岬が驚いている間にもその魔法は完成し、岬を覆うようにガラスに思えるほど透明な氷の壁が、その周囲には幾つもの水の球体が出現した。
その光景に円と愛成は瞠目する。
「構築はっや!」
「親和性の高い属性だけあって強力だねぇ~。しかも幻獣二人による防衛だから迎撃もできるし……」
純粋に驚く円に対して愛成はどこか呆れ気味に岬の……というよりイリスと菖蒲の防御を眺める。
当然、すぐに今は幻獣達の防衛能力を確認しに来たのではなく魔獣の討伐に来たのだと思い返した二人は気を引き締めなおす。
そんな中、岬は自分の中を駆け巡るマナの流れを身体で覚えようとしていた。
岬は理解していたのだ。二人が敢えて自分を通して魔法を発現するという非効率的とも言えるやり方をした理由が自分にマナの扱い方を覚えさせるためだということに。
「さて、そろそろ来るかなぁ」
だが、その行動も魔獣が来れば中断せざるを得ない。
円と愛成のことを信じていないわけではないし、イリスと菖蒲の防御を信じていないわけではない。
ただ、ここで別のことにうつつを抜かしていれば、彼女達がここに自分を連れてきた意味がなくなる。
だから岬はこれから起こるであろう戦闘に意識を向けるのだ。
そして、その始まりは一瞬のことだった。
「っ! 伏せてっ!」
尾と耳の毛を逆立たせた愛成の警告に円は従って伏せる。
その上を黒い影が姿をぶれさせながら飛び越える。
突然始まった遭遇戦に岬は焦るが、その矢面に立つ愛成と今々襲われそうになっていた円はいたって落ち着いていた。
それは翔平の感知が大まかな位置を探知するものというのを知っているかという知識とこういう戦いをしてきたという経験を持っているかどうかという差が影響している。
「愛成!」
「見えてるよ~」
間延びした返答をしながら愛成は影が着地した瞬間を狙って手に握っていた針を投擲する。
刺さらなかったものの当たったことで警戒したのか、影は着地して動きを止めてこちらへ警戒の視線を向けた。
当然、動きが止まった為に三人にその姿があらわになる。
赤黒い体毛を持ち、ゴリラとチンパンジーの間のような体格に肉食特有の牙を持つ生物。
それが三人の視界に映った。
「これが、魔獣」
魔獣を初めて見た岬は動物の性質を持ちながらも化物とも言える姿の魔獣に気圧される。
明らかに肉を求める生物であり、さらに雰囲気から本能で自分が勝てないとすぐ判断出来る相手。
岬の反応は比較的通常のものだった。
それに対して円の反応は慣れたものだった。
「新種か……めんどくさい」
めんどくさそうにしながら円は背中に背負っていた六十センチほどの盾を構える。
先ほどの動きを考えると円はスピードで負けるとわかっていたからこその防御の姿勢である。
だが、愛成は何かを察したのか顔を引きつらせて、相手がこちらを警戒している間に翔平にインカムで捲し立てるように連絡をとる。
「すぐに厳戒態勢! 相手はランクBで人の味を覚えてる!」
「新種に食人経験ありか! 最悪やな!」
普段の口調はどこかへ行った愛成の叫びに翔平は他のコミュニティへ連絡をとり、円は顔を顰めてイリスと菖蒲の防衛ラインの前を陣取った。
それは明らかにイリスと菖蒲だけでは非戦闘員である岬を守れないということを意味している。
実際はわからないというのが正解ではあるが、魔獣のランク付けで上から三番目下から五番目といった上位の魔獣を意味しているランクBを相手にした場合、いくら強力とはいえ戦い慣れていない二人が岬を守れるか微妙でもあった。
だから円は愛成の補助から岬の護衛へと重要度を変えた。
そんな風に円の対応を変えさせた愛成だが、元々向こうの住人でいくら幼かったとはいえ危険生物の教養は受けている。
だからこそ名前までは詳細に覚えていないものの、その風貌から相手がどれだけ危険な魔獣か判断していた。
さらに彼女は猫の獣人。その嗅覚は犬のものとまではいかないが、人間のものとは一線を画す。
その嗅覚で目の前の魔獣が人間を何度も喰らってきたことを知ったのだ。
「これはちょっと……本気出さないとかなぁ」
言いながら愛成は腰を低く重心を低くして構えた。
予定外ではあるがここで愛成は本気を出さないわけにはいかない。
相手は人の味を覚えている。そしてその危険度を愛成は異世界人だからこそこちらの住人より詳細に知っている。
そしてそれを倒せるのは今ここにいる人員では愛成だけということも理解している。
「私以外を狙ってる暇、あると思わないでよねぇ」
だからこそ他へ注意が向かないよう気配を強めて魔獣を睨みつけた。
岬ちゃん……一応主人公なんだけどなぁ。
まぁまだ魔法使いに成り立てだし……あまりメインに立てないというか←