第十五話:世界の現状
ちょっとした背景説明あります。
突然だが、世界というのは無重力中に漂う殻に覆われた水のようなものらしい。
らしいというのもそれを正確に観測し証明した者がいないからであり、この表現は所謂例え話のようなものである。
無論その表現が正確というわけではない。
話を戻すとしよう。
世界を覆う殻は内側から外側を見ることはできないし、壊すことは世界の中だけの力では不可能である。よく小説に登場する次元の壁というものと思っていいだろう。
その殻が今部分的にだが壊れている。
壊れて、同じように殻が壊れた世界と繋がっている。
原因は九年ほど前に富士の樹海で始まった魔法使いと魔祓い師との大規模抗争。
魔法使いというだけで敵視する魔祓い師による先制攻撃から始まった抗争だが、それはいつもの抗争とは違い様々な思惑と感情が重なったことで、抗争が始まって一か月経つ頃には一種の全面戦争に近い状態になっていた。
魔法的技術で勝る魔法使いに対して近接戦闘力で勝る魔祓い師との戦いは当初の予想を大幅に覆して一年にも及んだ。
戦いが終結する頃には両方の陣営の半数以上が死者と障害者の山が出来上がっていた。
そんな表社会には一切知られない壮絶な戦いを終結させたのはたった一つの魔法。
なかなか攻めきれないことに業を煮やした魔祓い師が複数の人間を使って行った祈祷術。
この魔法が戦いを終わらすきっかけとなった。
ただし、魔祓い師達の思惑とは全く違った形で。
正確なところは不明ではあるが、戦場で呼び出されたその神は魔祓い師の言動か行動に怒りを覚えたらしく、その場で暴走したのだ。
荒神となった神はその場にいる魔祓い師達を殺害。その後戦場の中心で暴虐の限りを尽くす。
当然ながら信じる神の暴走を目の当たりにした魔祓い師達は戦意喪失したことにより魔法使い対魔祓い師の構図は崩れ、魔法使い対荒神の構図となった。
バランサーコミュニティに存在する資料によると、死者の大半が荒神との戦いによるものだとされている。
その後の戦いは記録では戦争ではなく対応と記述されている。
荒神に対してただただ「おぉ、神よ」と嘆き方針する魔祓い師達。
神の力が富士の樹海の外側にまで影響を及ぼし、逃げ惑う一般人。
そして神を倒そうとする魔法使い達。
まるでどこぞの怪獣映画だとでも言うかのような戦いはもはや誰の目から見ても災害としか映らないだろう。
そこには意志も大義も存在しない。災害が起こり、それに対応する消防とでも表現出来るこの状況を戦争と呼べるはずもない。
だが、その戦いは一つの大きな……とても大きな傷を世界に残した。
荒神を止めようと魔法使いが奮闘する戦闘の最中、荒神は一つの力を行使した。
その力は一条の光となり、宙を舞い、そして空間を突き破る。
神の力に世界が耐え切れなくなり、殻が壊れてしまったのだ。
この事態に魔法使い達は非戦闘系の魔法使いを招集。荒神の対処と共に壊れた空間の修復もしくは封鎖を行おうとする。
だが、彼らが行動を起こす前に、倒された荒神は最後の力で同じ力を偶然にも同じ所に放った。
断末魔の叫びにも似たその力は壊れた空間の穴を通り、別の世界――物語等で異世界と呼ばれる世界――の殻をも壊してしまった。
本来なら世界の修復力と魔法使いによって危ないだけで済んだ事態。
しかし、不幸なことに二つの世界はかなり近い世界だった。
そのため互の世界は殻を修復する為に互いの世界を接続することで、それぞれの世界の殻とした。
つまり、現在この世界は別の世界と繋がっているということになる。
これに何の問題もないかと聞かれれば当然問題があると答えるしかない。
第一に空間の穴は未だに残っており、そこから別の世界に繋がっている。
そのため、世界の修復力はまだ続いている。
つまり接続して互いを殻としたのはいいが、今度は二つの世界が融合を始めたのだ。
証拠に年々その穴は広がり、更に世界各地で魔法的な観測でしか感知のできない小規模の穴が幾つも開いている。
要約すると、このままだとこの世界は未知の別世界と融合を果たしてしまうということだ。
世界中の政府が気づかないままに。
第二にその空間の穴はいつどこで開くかわかるものではない。
マナの動きによって開く場所を観測出来る為、魔法使い達は予兆がわかる。
もっとも、対応出来るかどうかは別ではあるが。
ただ唯一富士の樹海は大元であるだけに開きやすい場所で、近年の富士の樹海での行方不明者の原因はその穴だというのが魔法使い達の見解だ。
そんな穴が世界各地で開いているということはこちら側の人間が穴に落ち、どういう状況かわからない向こうの世界にいく可能性があるということだ。
当然行きが可能で帰りが不可能というわけではない。
向こう側からの来訪者がくる可能性があるのだ。
そして彼らが必ずしも同じ姿をしているとは限らない。
「じゃあ、愛成ちゃんは」
「お察しのとおり異世界からの住人だね」
街中を歩きながら行われた円の説明で察した岬。
円も岬の言葉をあっさりと肯定した。
その横では当の本人である愛成が苦笑を浮かべて頬を掻いている。
ちなみに彼女は外に出るということで昨日被っていたベレー帽を着用している。
何故この三人が外出しているかというと、岬の着替えを買うためだ。
今後夜天の灯台に通うことになる可能性が高い岬。そんな彼女だが、夜天の灯台に住むことはなくとも今回のように泊まりになることは多々あるだろうと予想しての買い出しである。
時間がある時にやろうということで、昼食を機会に一旦庚輔の魔法講義は中断し年の同じ三人で出ることになった。
その際についでだからということで雑談風に円が説明を始めたのが愛成の事情の触りについてだった。
ちなみにイリスと菖蒲の二人は召喚しっぱなしで夜天の灯台に置いてきた。
まだ二人の《媒体》が持ち運びしやすい形状に加工できておらず、一度送還すると《媒体》がない状態だと再度召喚はできない。
その上、二人共非常に目立つ容姿をしており、街中を歩き回るには非常に不適である。
だからこそ二人には留守番してもらってフェンリルから色々教わることになっていた。
「名前も別にあるの?」
「そだよ~。本名はアイナ・レーテシアっていうの。猫の獣人で八年前にこっちの世界に来たかな~」
「もしかしてほとんど最初の異世界人?」
「そうなるかな~。夜天の灯台に保護されたのはだいたい三年前だから魔法使いの記録には結構後半の異世界人という認識だけど」
少し遠い目をして答える愛成に岬は空白の五年間はどうして過ごしてきたのか聞けるはずもない。
八年前というと小学生の年代。
親に甘えたい盛りの子供がいきなり別の世界に迷い込んだのだ。
それも獣人なぞ物語の中の存在でしかなく、生物学上この世界には獣人がいないとされている世界で、特に異端を認めない人柄で治安の厳しい日本に彼女は迷い込んだ。
壮絶とまではいかないにしても相当厳しい生き方をしたのではないかと岬も思わずにはいられない。
「ん~、岬ちゃんが何を考えてるかはなんとなくわかるけど、そこまで悲観的になることはないよ?」
「え?」
「ん~と……最初の二年は農家から野菜とか盗んだり、動物を狩りながら森の中で生活。途中で気のいいお婆ちゃんにバレてその家で言葉を始めとした小学生が習うものを色々と教えてもらいながら生活。それからは三年前に魔祓い師にバレて保護という名目でお婆ちゃんを殺して私を拉致。実験動物になりかけた私を庚輔が助けたってところかな~」
しかし、唇に指を当てて思い出すようにこちらの世界に来てからの生い立ちをあっけからんと語る愛成。
その内容に岬は「十分悲観的になる」とツッコミそうになる。
愛成の生活の最初は浮浪者のそれと同じで、中盤こそ救いがあり、最終的に救われているとはいえ後半はその恩人を殺されての実験動物だ。
十分悲劇的な話だと岬には思えてならない。
だが、それはこの世界においての常識である。
「あっちはこっちほど治安のいい世界じゃないからね~。よくいう小説の異世界を想像してもらったらいいよ。悲劇なんて当たり前のようにそのへんに転がってる。まだ私は運がいいほうだよ」
「そう……ね」
「それにね。私は今が幸せだからいいんだ~。庚輔に助けてもらって、みんなと会って、今を生きてる。そういう今だからこそ幸せに感じるの」
愛成の達観した物言いは十分な説得力をもって岬を無理矢理に納得させる。
このご時世岬もそういった物語に一切触れないというわけではない。
だから愛成の言う内容にも一定の理解ができたし、愛成の幸福理論もわからなくもない。
そんな中で円が話を続ける。
「まぁ、今でこそこんな風に達観している愛成だけどね。保護当初は人間不信で結構大変だったんだよ? それこそ威嚇する猫のように「フーッ!」ってして」
「それはそうよ。そんなことがあれば誰だってそうなる」
「やめて~! それ私の黒歴史!」
当然とも言える内容に頷く岬とよっぽど恥ずかしいのかわたわたとして円の口を塞ごうとする愛成。
その攻撃を回避しながら円はニヤニヤしながら続ける。
「でも、助けてくれた庚輔にだけはマシでね。そこを切り口としてケアして今になるかな? まぁ、治った時の一番の驚きは誰も気づかない間に愛成と庚輔が付き合っていたことなんだけど」
「あぅ……あぅ……」
「え、二人って付き合ってるの?」
「そりゃもう一般的なバカップルとまではいかないけれど、すごくラブラブね。今日は岬がいるから大人しめだけど、普段からもうべったりよ」
「へぇ~」
微笑ましい内容に岬も円と同様に温かい目を愛成に向ける。
なんだかんだいって岬もこういった話題には人並みに興味はあり、中学時代も何度か恋バナをした経験がある。
だからこそ愛成と庚輔というカップルを前にして色々聞き出したくなる衝動にかられていた。
ちなみに二人から温かい視線を向けられた愛成は顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうにしながらも緩む表情を隠しきれないでいる。
なんだかんだ言いながらも祝福されていることは愛成にもわかっているのだ。
「さて、愛成イジリはそこまでにして……」
そろそろ行こうと言いかけた円だったが、その言葉はスマホが振動したことで中断させられた。
「誰だろ……ゲッ……」
「あぁ~……タイミング最悪だねぇ」
着信先を確認した円は露骨に嫌そうな表情を浮かべ、愛成は苦笑を浮かべて肩を落とす。
そんな二人の様子に相手はそんな嫌な相手なのだろうかと岬は思うが、円は嫌な表情をしながらも電話に出た。
「はい、円。……はい……はい……庚輔じゃって今の時間帯あいつは目立つか。はぁ~……分かりました。ですがせめて……あ、できてる? 分かりました、合流し次第受け取ります」
「移動は~?」
「車よ」
「じゃ、大通りへ移動だね」
会話を交わした円は通話を切ると愛成の問いかけに簡潔に答える。
真剣な表情をしててきぱきと行動を確認しあう二人を前に岬は全くついていけずにいたのだった。