第十三話:岬の才能
長々とした説明を受けたことで、そろそろ岬も気疲れを起こしかけた時、中庭に若菜が入ってきた。
彼女の両手には大きなアタッシュケース一つずつが握られている。
それも通常の浅めなタイプではなく深いタイプ。カメラを入れるタイプのものほどではないがそれなりに幅のあるアタッシュケースであり、中身にもよるがそれなりの重量であることが伺える。
それをそれぞれ片手で一つずつ持って平然と歩いている若菜。
小柄で細めな若菜の一体どこにそんな力があるのだろう。
驚いたまま固まっている岬だったが、こちらに歩いてきていることもあって何かしら関係があるのだろうと予想できた。
そしてその予想は外れずに、岬の前まで歩いてきた若菜は庚輔と岬の間にアタッシュケースを置くと、ズンッといった相当な重量がありそうな音を微かに響かせる。
疲れたというように額を拭って肩を落としているが、そんなもんではないだろうと思わずにはいられない。
少なくとも岬や円では片方だけを持つだけでも精一杯だろう。
「ありがとうございます。若菜先輩」
「…………(グッ)」
相当な重量の物を持ってきた若菜を労った、庚輔は膝をついてアタッシュケースを横にして開いた。
瞬間、朝日が反射し目が眩んだ岬は顔を背けながら手をかざす。
そうしている間に庚輔はもう一つのアタッシュケースを開けて岬に見えるようにずらして置いた。
「これって……宝石?」
開けられたアタッシュケースに入っていたものを見て思わず岬は声を上げて目を奪われる。
それほどにルビーやサファイアを始めとした色とりどりの様々な宝石とパワーストーンが一種類ずつ小さな箱に区分けされて二つのアタッシュケースの蓋側と底側の両方に丁寧に収められていた。
値段が高いものは一センチ以内ではあるが、水晶などのような安いもの――宝石と比べて――は五センチから十センチに統一されている。
一目見ただけでこのアタッシュケース一つだけでも相当な値段となることは岬にもわかる。
「ここにある物全てが《媒体》として使えるものだ。この中からマーメイドと契約する《媒体》と雪女と契約する《媒体》をそれぞれ一つずつ選んでもらう。とはいえここのはサンプルだが、保管してあるものとほぼ同じ大きさで確認には使える。多少サイズは上下するがな」
「ぅえ?」
庚輔のカミングアウトに岬は変な声が出てしまった。
最低でも目の前にある種類のものを庚輔達は二つ所持していることになるのだ。
目の前にあるだけで相当な値段にも関わらず、それを二つ以上所持していると聞かされて驚くなというのが無理な話だ。
どれだけ金持ちなんだよと誰もがツッコミを入れたくなる。
「えっと、触っていいの?」
「ああ。だが手当たり次第よりかは全体的に見て目に付いたものを選んだほうが《媒体》として使えるな」
「そっちじゃないのだけれど…………いえ、何でもないわ」
少しずれた庚輔の返答に岬は小声で抗議の声を上げるが、これは彼らにとって当たり前のことだろうと考えて、言葉をなかったことにした。
今は自分が使う《媒体》を選ぶ時なのだ。余計な考えは放棄しよう。
そう考えて岬は目を瞑って深呼吸をする。
視界を真っ暗にして一度リセットすることで、宝石などに目移りしていたのをなかったことにするためだ。
岬の行動に庚輔を含めた愛成以外の三人は「それで正解」と内心で岬の行動を褒めていた。
彼女の行動は熟練した召喚術士でも《媒体》を選ぶ際に必ず行う行動である。
全ての情報を一度リセットして、直感に身を委ねる。
これが《媒体》を選ぶにあたって少なくない影響を与えるのだから。
(まず菖蒲の《媒体》から)
数秒間瞑想していた岬はしっかりとイリスの姿のイメージを瞼の裏に焼き付け、同じように投影した己の姿と一体化するようにイメージを作ってからゆっくり息を吐いて目を開けた。
視界に宝石やパワーストーンの入ったアタッシュケースが入るが、岬はそれらを俯瞰して見る。
目移りしないよう思考をほとんど停止させてそれらを見た岬は、ふと気になったものへと手を伸ばした。
それは透明な薄いピンク色の水晶で、形はまるで溶けたようになっており、表面にトライゴーニックと呼ばれる逆三角形の印が出ているものだった。
「蝕像水晶……アイスクリスタルか」
ポツリと呟かれる庚輔の言葉に岬は一切答えない。
それどころかアイスクリスタルの収められた箱を側に置くと再び瞑想を始める。
集中しているというより、一種のトランス状態に近い。
そんな岬の様子に円は少し心配になってテーブルから離れて庚輔の近くに寄ってきた。
「大丈夫なの?」
「少し幻獣の方に精神を持っていってるな。おそらく彼女の幻獣も彼女と同じ状態だろう」
小声で尋ねられた質問を平然とした態度で答える庚輔に対して円はギョッとして岬を見てから再び庚輔へ視線を戻す。
若菜も同様に目を見開いて庚輔を見ていた。
「それって少しまずいんじゃない? 下手したら人格喰われるよ?」
「…………(コクコク)」
「問題はない。これがただの一般人ならまずいが、不完全な契約をしていたおかげで彼女にはそういう耐性ができている。それに、見ている限り制御はできているし、敢えて自分からやったようだしな。おまけにまだ教えていないにも関わらずマナの供給が行われている。人型の幻獣二体を出生時に召喚したことから多重召喚の才能はあると思っていたが、これほどまでに才能があるとは。全く、末恐ろしいな」
「そんなに?」
岬をベタ褒めする庚輔の様子に今度は違った方面で円は驚く。
円からすれば召喚魔法を習い始めて三年で一流と二流の境界となっている技術を習得した庚輔もかなりの才能を持っている部類になる。
本来なら最低五年かかる技術を三年で習得した庚輔が岬は才能があるといい、末恐ろしいとまで言わせるのだから岬の才能は相当なものと推測できる。
「ああ。おそらく俺と同じように平穏無事な生活を送ったという条件で一年もあれば一流と二流の境界となっている技術は習得できるな。ペースこそ遅いが今行っていることがその技術の最初のとっかかりなんだからな。…………ずっと一緒にいたから難易度が跳ね上がってるはずなんだが」
もはや言葉もないと言わんばかりの二人だったが、庚輔が最後にほんとに小さく呟いた言葉は幸いにして聞こえていなかった。
もし聞こえていたとしてもこれ以上の反応を二人が返せていたかと聞かれれば否と答えざるを得ないが。
三人がそうしている間にも岬は瞑想をやめて再びアタッシュケースに手を伸ばしていた。
岬が手にとった箱を見た庚輔と若菜は息を呑む。
「水入り水晶……だと?」
庚輔が漏らした言葉通り岬が手にとったのは希少価値の高い水入り水晶の原石が入った箱だった。
金銭価値は宝石に一歩劣るが、魔法的な価値、特に《媒体》としての価値ならば最高級の《媒体》の一つである。
普通に考えて《媒体》として最高級ならばそれで構わないと思われがちだが、相性というものがあり、高ければ高いほどいいというものではない。
《媒体》として最高級というのは最高位の存在。それこそ庚輔が十段階評価で九や十と評する存在を呼んだり契約を結ぶ時に使われるようなもので、それ以外で使えば《媒体》のほうが強すぎて幻獣のほうが耐えられない。
これは物質を《媒体》に使う魔法使いの中では常識であり、どの魔法使いも最高級の《媒体》を一応は持っているが使いどころのないといった宝の持ち腐れ状態なのだ。
かくいう庚輔と若菜も、一応万が一念の為という程度に選択肢に入れてあっただけである。
つまり選ぶ際には幻獣が真っ先に選択肢から除外するから一切合切選ばれるはずのないこと前提のものが今岬の持つ水入り水晶だった。
ぶっちゃけそれを選ぶのは、全くのド素人が、幻獣のことを一切考えず、ファッション程度の気楽さで、幻獣の言葉を無視した人間くらいなものであり、幻獣と会話出来る岬が選ぶとは全くもって予想できるはずがない。
「ふぅ……」
「えっと、岬さん? 本当にそれでいいのか?」
だからこうやって庚輔が尋ねてしまうのも無理のない話であった。
彼女は幻獣と一緒にこの最高級の《媒体》を選んだのだから。
長かったけど次で召喚しますよ~。