第1話 日常
「―、いいかげん起きなさい!学校に遅刻するわよ!」
部屋の外から響く母親の怒鳴り声に―は布団を被り耳を塞ぐ。―は設定された携帯のアラームを止めては布団に潜り込む事を何度も繰り返していた。全く起きる気配がない―に痺れを切らした母親は部屋に入り強引に起こそうとしていた。
「今……起きるって。」
毎日繰り返されるやり取りに自然と、―の口は言葉を発する。
「それで起きたためしがないじゃない。ほら、さっさと顔洗ってきなさい!」
無理やり布団を剥ぎ取るとまだ完全に目が覚めていない―を叩き出すように母親は部屋から追い出す。
―はふらふらと寝ぼけ眼を擦りながら覚束ない足取りで1階へと降りていく。ぬるま湯で顔を洗い、テーブルに着くと少し冷めた朝食が置いてあった。
「ほら、早く食べちゃいなさい。もう時間ないわよ。」
大きな欠伸をしながらのそりのそりと朝食を食べ始める―、その時ふと声が掛かる。
「シキ様!朝ですよ!」
聞き覚えがあるその声がぼんやりとした頭の中に響いてくる。
「ねえ、今呼んだ?」
すぐそばに居た母親に問いかける。
「え、呼んでないわよ。寝ぼけてないで早く準備しなさい。」
母親からは否定の言葉が返ってくる。気のせいと思い―は時計を見る。既に時刻は午前9時を回っており、はっと焦り始める。それまでの緩慢な動きが嘘の様に素早く朝食を食べ、身支度を整える。
「ねえシキ様!早く起きないと……。」
未だに聞こえる声を無視しながら準備を進めていく。
突然、体を揺さぶられる様な衝撃が走り酷く体が痛む感覚が―を襲う。ぼんやりとしていた頭が冴え、それまで見ていた夢から―は目を覚ました。
「もう、シキ様全然起きないんだから。」
広めの室内、中央に置かれた巨大な寝具を前にメイドであるキナリ・ミルがうな垂れている。寝具の上には丁度人人一人分位の膨らみがあり、ミルがシキと呼ぶ人物を起こそうとしていた。しかし、異常に寝つきがいいのか、なかなか起きずついにはベットの上から蹴り飛ばしていた。ベットから落ちたシキを回収しようと反対側に回りこんだミルだったが、そこにシキの姿は無くいつの間にかまた同じ位置に戻っていた。
「しょうがないなぁ。」
言葉とは裏腹に嬉しそうに呟くミルは大胆にベットの中へと潜り込んでいた。
「ぐへへ、シキ様の匂いがする。」
美少女といって差支えがないほどの端整な顔をにやけ顔に歪めながら大きく深呼吸をしていた。
もぞもぞと布団の中を移動し遂に目標である領主ディーファ・シキの元へと辿り着く。
「無駄にでかいベットのせいで時間が掛かったけど、はぁ、はぁ領主様もういいですよね。」
興奮を隠し切れない様子でミルは息苦しい布団の中シキへと抱きつく。しかし、抱きついた先に居たのはシキではなく、寝巻き姿の執事バトであった。
「な……なんでバトがここに居るんだよ!」
驚きの余り、ミルは叫んでいた。すぐに、布団から抜け出すと寝ていた執事のバトを叩き起こす。
「バト起きろ!なんでシキ様の寝室で君が寝ているんだ!」
鬼の様な形相でバトを睨み付けるミル、それまでの幸せそうな顔から一変していた。
「痛いではないかミル、君こを何故私の寝室に居るんだい?」
会話が噛み合っていないのかバトは自身の居る場所が領主シキの寝室だとは気付いてはいなかった。むしろミルが自分の部屋に居るそういう反応をしていた。
「はあ?ここはシキ様の寝室だよ!いい加減寝ぼけてないで起きなよ!」
ミルの怒気に漸くバトは自分の寝ているベットが何時もより豪華な物だと気付く。慌ててベットから下りるとミルへ問いかける。
「なんで私がシキ様の寝室に!?ミル何か知らないか?」
まるで何事も無かったかのように佇まいを整えるバト、見た目こそ老獪な執事の風貌ではあるが、先程までの寝ぼけ具合を見た後では取り繕ったようにしか見えない。バトは一瞬の内に執事服へと着替え状況を把握しようと雰囲気を切り替えていた。
「僕が知るわけないでしょ?そもそもシキ様はどこ?」
仕事時の鋭い刺激のある気配漂うバトに臆することなく話しかけるミル。本来、通常の使用人では気軽に話しかける事は出来ない地位のバト、しかしミルは気にする事なく同じ立場の同僚として扱っていた。
2人は何時もなら寝室にいるはずのシキを探していた。
「うるさいなあ。まだ朝じゃないか。」
寝具の奥、暖かな光が差し込む窓辺に置かれたロッキングチェアで寛ぐシキが2人に声を掛ける。シキは黒い髪に綺麗な顔立ちをしている。しかし、目の下にはくまが出来ており、常に気怠げな目が全体的に残念な雰囲気を出していた。
「あ!シキ様!まだ朝じゃなくてもう朝ですよ。それに酷いじゃないですか!」
ミルは素早くシキの元へと行き抗議をしていた。シキはそんなミルを気にすること無く、
「頼むからもう少し寝かせてくれよ。喧嘩は他所でやってくれ。」
ミルが近づく前にまたベットの中へと一瞬の内に移動する。時刻は既に日がとうに登り切り昼食の時間になるくらいであった。
「逃げないでくださいよ。朝どころかもうお昼になっちゃいますよ!料理長が早くこないとご飯抜きだって怒ってたんですから。」
ミルもシキを追うようにベットへと潜り込む。密着するように抱きつき幸せそうな表情をみせるが反対にシキは邪魔そうな顔をしていた。
「何で逃げるんですか?もう。」
可愛く頬を膨らませるミル。腕と足は確りとシキに絡ませ逃がさないように固めていた。
「いや、だってお前男……。」
真顔で答えるシキ、そうミルは見た目こそ美少女であったが性別はれっきとした男であった。
「でもシキ様が僕をメイドにしたんだよ?僕が好きなのはシキ様であって、男が好きなわけではないからね!」
ミルは昔、シキによって助けられた過去があった。昔から可愛らしい見た目をしており、住んでいた村が飢饉に襲われた際に奴隷として変態貴族に売られたののだ。それを助けたシキも最初は女の子と思っていた為メイドとして庇護下に置いていた。周りの先輩メイド達も女の子として扱っていた為、いつしかミルは自分を助け出してくれたシキの事を好きになっていた。
「失礼致します。領主様、正面第一ゲートに何時もの方々が騒いでおられます。門番からも何とかして欲しいとの報告が上がっていますのでそろそと起きて頂かないと。」
それまで沈黙を守っていたバトが今しがた上がってきた内容を報告する。その報告を持ってきた兵士は慌てていたが、寝室の中は変わらずのんびりとし雰囲気が漂っていた。
「またあいつ等か、こりないねえまったく。確かに勇者率いる聖王国騎士団相手じゃあ一般兵士には荷が重いかな。ほら、これからお仕事だから退いた退いた。」
シキは抱きついていたミルを引き剥がすとベットから下りる。
「えー、せっかく良い所だったのにふざけんなよ糞勇者。」
ミルにとっては幸せな時間を、邪魔した勇者が許せず悪態をついていた。
「行くぞ!バト、ミル!いい加減奴等の相手も疲れてきた。2度と攻めて来れない様潰すぞ。」
シキは毎回睡眠時間を削りに来る彼等に苛々していた。
バトとミルを引き連れてシキは第一ゲートへと向かう。