第06話 はじめて、なかされる。
トコロかわって校舎裏。
外といわれてようやく気がついた。
そういえば、いつも学校を抜け出すとき。
校舎と並ぶようして建つ、きたないプレハブの小屋が見えた。
どう考えても、思い当たるのはあれしかない。
まさかあんなところにだれかがいるなんて、思いもよらなかった。
自分の考えの足りなさに舌うちをして、歩き出す。
これじゃ、あの最悪男にバカだと思われてもしかたない。
体育館へつながる渡り廊下のすきまから出て、スリッパのまま土を踏む。
汚れるのもかまわずに、歩き出すこと数十歩。
さびついたプレハブ小屋には、手書きで用務室と書かれた札が下がっていた。
深呼吸をして、ノックしようと手を前に出す。
次の瞬間。
あたしを呼ぶ鳴き声が、耳に入った。
「遅かったな。中山先生から電話もらってしばらくたつぞ。またぶっ倒れたのかと思ったぜ」
「うるさい。ちょっと手違いがあっただけよ」
立て付けの悪い扉を開くと、木のにおいがした。
それからペンキみたいなにおいと、油っぽいにおい。
おせじにも、いいにおいとはいえない。
周りに目をやれば、小屋の端に立てかけられた木材。
壊れたイスや机やロッカーなどなど。
備品みたいなものが壁伝いにたくさんあって、中央に作業台らしき大きな机。
そして、最悪男とその腕におさまったあの子がいた。
「なんだ、その顔」
泣きそうになったのが、バレたんだと思った。
立っているのもやっとだったカラダ。
走ってきて、心底疲れ果てた足。
それよりもなによりも。
無事だったという事実。
こんなに、ほっとしたことなんてない。
胸をなで下ろすとはこういうことなのだと、はじめて思い知った。
よかった。
ほんとうに。
無事で、よかった。
そう、安心したと同時に。
「かえ、してよ」
こみ上げげたのは、怒り。
「あ?」
「かえしてよ! その子、かえしてよ!」
あたし以外のだれかの腕におさまってるのが、いやで。
それも、よりにもよってこの男だという事実がいやで。
いきり立って、その腕に手を伸ばせば。
「いやだね」
子猫を抱き上げた腕を、真上にあげられてしまった。
人をバカにしたような態度がさらに頭に来て、あたしも手を上に伸ばした。
最悪男がイスから立ちあがって、さらに天井へと近づける。
この身長差とリーチの差が、あまりにもくやしい。
「ちょっと、なにすんのよ!」
「お前さ、飼えもしない動物をかわいがるなんて、都合よすぎると思わねえか?」
頭上から降りそそぐのは。
残酷な、言葉。
「昨日だって、俺が見つけなきゃどうなってた? まちがいなく危なかっただろ」
つま先を下ろして、てのひらを握り締めた。
声がこぼれてしまわないように、くちびるをかんだ。
正しい。
この男の言葉は、正しい。
あたしにだって、そんなことは分かっていた。
いつまでもこんなこと続けられないって。
でも。
この子は、あたしがいないと生きていけなくて。
それくらい弱い生き物で。
なによりもあたしにとって。
ようやく手にした、カタチあるものだったのに。
「泣けばすむとか、思ってんのか」
そんなこと、思っていない。
それでも涙が出るのは。
図星をさされて、それを否定できない自分が情けないからだ。
くやしい。
くやしい。
ほんとうにあたしにはなにもない。
この子を飼うことも。
この最悪男を言い返す言葉も。
保健室の先生みたいに、やさしくすることも。
廊下でぶつかった女の子みたいに、素直にあやまることも。
うしなったセカイの色。
鐘の音に逆らって過ごす毎日。
『勉強』という武器がなくなって、あたしはいらないものみたいだった。
だから、この子のところにきていた。
この子猫にとって、あたしは必要なものだったから。
絶対なのだと、実感できたから。
でも結局。
正しい言葉を持つ、この男にはかなわない。
「んだよ。俺はいじめっこかっつーの」
声を押し殺して泣くあたしの頭の上に、やわらかいものが乗る。
ちいさな鳴き声。
かすかなふるえ。
つめが、あたまにひっかかっていたい。
「ここで飼ってやるよ。こいつ」
子猫とあたまを同時になでられて。
顔を上げれば、逆光で表情の読み取れない男の声があたしに向けられていた。
「ただし、お前が面倒見ろよ。メシとか遊び相手とかな。あと、ついでに俺の昼飯も作ってこい」
「な、んで、あた、し、が」
「飼い主は俺だから。したがって俺のいうことは絶対だ」
きたない手が、頬に落ちてきて。
あふれる涙をすくいとっていく。
ハナをつく油のにおい。
だけど、顔を背けることはできなかった。
その手が、あんまりにもやさしかったから。
「よかったな、シロ」
聞き慣れない名前。
顔をしかめれば、頬に触れていた手が頭上からやわらかな重みを奪いさっていく。
「名前。いいだろ、シロで」
「なんで、か、って、に!」
「だから、俺が飼い主っていっただろ。よって俺が法律。お前にとって俺が絶対。わかったか、バカ」
またもやいわれたバカという言葉に、反論もできず。
この最悪男はあたしにとって、絶対権力最悪男となってしまったのだった。




