第05話 はじめて、ぶつかる。
失敗したということに気がついたのは。
保健室を飛び出して、しばらくたってから。
ただでさえふらつくのに、行けども行けども用務室が見当たらない。
だれもいない、放課後の廊下を駆けるスリッパの音。
勢いよく角を曲がろうとして、大きくカーブを描く。
影の棲む角の内側。
見えなかった場所に、だれかがいた。
「っ……!」
体当たりをした反動で、廊下に倒れこんだ。
頭はぶつけなかったけれど、打ちつけた肩が痛い。
カラダを起こせば、その向かい側に影ひとつ。
ぶつかってしまったひとも同じように倒れていて、あわてて駆けよった。
「ご、ごめんなさ、」
制服のプリーツが広がって、投げ出された足。
上履きに入ったラインは赤。
持ち主はどうやらあたしを同じ学年らしい。
肩を軽くゆすれば、ちょっと幼い顔がこちらを向いた。
よほど衝撃が強かったのか、それとも痛むのか。
その目は赤くうるんでいた。
「こっちこそ、すみません! 大丈夫でしたか?」
廊下に座りこんだまま、頭を深く下げる女の子。
あたしの不注意が原因なのだから、あやまる必要なんてないのに。
おそいくる罪悪感といらだちにさいなまれて、てのひらをかたく握りしめた。
いったいなにをやっているのだろう。
本当に、今日は最悪な一日。
「ほんと、ごめんね。その腕、保健室に行ったほうがいいよ」
「平気です。あなたも行ったほうがいいですよ」
いやに丁寧な言葉づかい。
どうやら、あたしのことを年上だと勘違いしているらしい。
「いたいところとか、ありませんか? 本当にすみません」
やわらかな口調。
素直そうな態度。
やさしい気づかい。
幼くて甘い顔立ち。
あどけない表情。
きっと、大事にされて育ったのだろう。
そんな雰囲気を彼女は持っていた。
こんなふうにあたしも。
なにかを持って生まれたかった。
「だいじょうぶ、だから」
いたたまれなくなって、立ち上がる。
はやく、あの子猫に会いたい。
ちいさなカラダをだきしめて、なぐさめてほしい。
生まれ持ったものがなくても、いまはあの子がいる。
あたしを必要としてくれている。
「ほんとごめんね。じゃ」
脱げたスリッパを履いて、走り出そうと足に力をこめた。
ところが。
つめたい廊下を蹴り上げる瞬間。
自分が、道に迷っていることを思い出した。
「どうか、したんですか」
動きを止めたあたしを不思議そうに見上げる彼女。
さっさと立ち去ろうとしていたのに。
かっこ悪いことこの上ない。
「あ、あの、用務室ってどこにあるか知って、」
「え?」
「ううん、なんでもないの。はい、立てる?」
聞き返されて恥ずかしくなり、話題を変えた。
廊下にすわりこんだままの彼女に手を伸ばして、その指先にふれる。
あたしのものより小さくて、やわらかい感触。
なんだか、あの子猫のことを思い出してしまった。
つかんで、つつまれて。
やけにあったかいその温度に力をこめる。
そういえば。
いままで、こんなふうにだれかの手にふれたことがあっただろうか。
ぬくもりに記憶をたぐり寄せていれば。
立ち上がった彼女は指先を窓に向けて、笑みをこぼした。
「……外、だよ。用務室」
敬語の抜けた、それでも丁寧な口調と声の響き。
どうやら、あたしが同じ学年だということがわかってしまったらしい。
学校の施設を知らないのは新入生。
おのずとあたしの学年がわかってしまったのだろう。
「気をつけて行ってね」
ゆっくりと離されたてのひら。
冷えていく感覚に、なぜかさみしさを覚えてとまどった。




