第45話 はじめて、みつける。
ざわめく廊下をふたりで歩く。
会話なんてない。
でも、その空気がここちよかった。
耳に残る、となりの彼の言葉が反響して、胸をゆらす。
「なんだ」
「べつに。ただ、うれしかったなと思っただけ」
すなおに思っていることを口にしただけだった。
なのに。
「……変な女」
ため息と失礼きわまりないセリフが、耳に響いた。
「りこー!」
「あ、みつき」
廊下のつきあたり。
教室の前に、見なれた姿。
包帯の取れたみつきが、あたしに向かって右腕を振り上げていた。
病院によってから来るとは聞いていたものの。
治ったばかりの腕をあんなに振り回していいものなのだろうか。
かけよって、ひとこと声をかけようと踏み出せば。
「まだ、治ったばかりだろうに……」
あのぼそっとした声が、耳にとどいた。
思わず、足を止めてとなりを見遣る。
そこには口を押さえて目をそらす、三浦くんの姿。
その反応は、なに?
「みてみて! 取れたの」
かけよってきたみつきに制服を引っ張られて、我に返る。
少し細くなった白い腕を突き出した彼女。
まるで小動物のようで、頬がゆるんだ。
「よかったね」
「うん」
そんな会話の最中。
大きな影が、急ぎ足であたしたちを通り過ぎていった。
どうも彼の様子がおかしい。
もとから変なひとだけど、さらに輪をかけて。
それに、さっきのあの反応は何なのだろうか。
あれはあからさまに、しまった、というような態度だった。
無表情な彼が、一瞬さらけ出した素顔。
その直前に聞こえた声の、意味。
これって。
もしかして。
むずむずとした予感が駆け上がってくる。
「りこ?」
顔をのぞきこんできたみつきが疑問符を浮かべている。
彼女自身、まず三浦くんの存在自体に気がついていないと思う。
失礼なハナシだけど。
あたしも同じ委員会になるまで、まったくわからなかったし。
「ごめん。教科書取ってから教室行くね。先に入ってて」
「わかった。次、英語だからね」
教室に戻るその背中を見送って、廊下に備え付けてあるロッカーに向かった。
そこにはあの大きな影。
教科書を探しているのか、開けられたロッカーの扉で顔が隠されている。
足音を立てないように近づいて、となりにならんだ。
「次、英語だって、みつきがいってたよ?」
名前を出したのは、わざとだった。
けれど、案の定。
彼は凍りついてしまったかのように動きを止めた。
扉を支えていた三浦くんの指が白くなっている。
その表情がどうしても気になって、扉とは反対側に足を踏み出した。
うつむいた顔。
表情は見えないけど、耳が赤く染まっている。
「み、うらく、」
「なんだ」
その声はあいかわらず、なんの感情も読み取れない。
それでも一瞬にしてわかってしまった。
「べつに?」
にやけてしまいそうになる顔を押え切れなくて。
いまだうつむく彼に背を向けた。
いつのまに、そんなことになっていたのか。
全然気がつかなかった。
教科書を取り出して、教室に入る。
手を振るみつきのもとへ踏み出せば、後ろからけたたましい音が聞こえた。
「なにやってんだよ、三浦」
振り向いた先。
教科書を床にぶちまけたらしい三浦くんが、クラスの男子にからまれていた。
あたしの足元にまですべり込んできたノートを拾い上げて、彼に差し出す。
「はい。どうぞ」
「……藤谷」
あのぼそっとした声に名前を呼ばれて、顔を上げる。
とたんに突き刺さるような鋭い視線とぶつかった。
無言の訴えに、わけもわからず首を振る。
それでようやく安心したのか。
三浦くんはまたいつもの無表情に戻って、自分の席に向かって歩き出した。
「りこ、何してるの? 悪いんだけど、英語のノート見せて。あたし今日当たるかも」
「あ、うん。はい」
みつきの声に面白いくらい反応する彼の大きな背中。
そのことにまったく気がついていない彼女。
そもそも。
三浦くんとまともに口をきいたこともないみつきが、その想いに気がつくわけがない。
「なんでそんなににやにやしてるの。なんかイイコトあった?」
「べつにー。ほら、鐘鳴るよ」
「うそ。やばい!」
あわててノートをひらく彼女。
その髪をゆらす風のにおい。
ちいさな春が、こんなところに。
うれしくて、くすぐったい気持ちを押さえながら。
自分の席に腰を下ろした。
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明日、最終話となります。
最後までお読みいただければ幸いです。
午前中には更新する予定です。
どうぞよろしくお願いします!
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