第40話 はじめて、とおざかる。
「藤谷、お前、大丈夫だったのか?」
夕暮れも終わろうとしている薄闇のなか。
教室に駆け込めば、ふたりの姿を見つけた。
驚いたような声をあげたのは勝見先生。
もう一方は、暗くてよく表情が見えない。
「す、みません。もう平気ですから」
「穂村も残ると言い張っていたんだが、ケガの治療があるから帰らせたぞ。集計は三浦がやってくれたから、こっちは問題ない。なあ」
先生は同意を求めるように三浦くんに声をかけた。
けれど、彼は首をわずかに動かしただけだった。
もとから積極的に話すようなひとではないし、仕方のないことなのかもしれないけれど。
その態度にどうしても不安がつのる。
「三浦くん、ありがとう」
「……いや」
感情のない、返事。
顔が見えない。
表情がわからない。
どうやら三浦くんは、用務室でのことを先生に話していないようだった。
安心したと同時に、襲いくるもの。
なぜかこのわずかな距離に壁を感じてならない。
「お前ら、もう暗いんだし、早く帰れ。俺も職員室に戻るからな」
何かを察したのか、先生は片手を上げて教室を出て行った。
戸口に立つあたしの横を通り過ぎるとき、その手が頭に触れた。
「猫、無事でよかったな」
かすかな、ささやき。
見え上げた先に、あの笑いジワ。
トウゴから聞いたのだろうけれど、その優しさがいまはちょっといたかった。
罪悪感が、胸をちくちくと刺す。
その胸の痛みはだんだんと強まって、ごまかしきれずに彼をとらえた。
「三浦、くん」
ふたりだけになった、薄闇の教室。
窓から見える空は紫を深くして、群青へと姿を変えていく。
大きな影は、あたしを見ずにうなだれていた。
「アンケート、やってくれてありがとう。あと、先生に言わないでくれてたのも。あのね、じつは、」
「いい」
言いかけて、消される。
小さく、それでもはっきりとした声で。
「え?」
聞き返すと同時に、距離を縮めた。
彼の顔が見たかった。
その声があたしを拒絶しているものなのか、どういった意味を持つものなのか知りたかった。
でも、近づいた距離の分。
遠ざかる足音。
「気にしなくて、いい。じゃあ、また明日」
「三浦くん!」
その影を追いかけることはできなかった。
彼があたしを拒絶しているのだと、確信してしまったから。
教室に、ひとり。
静かすぎて、耳がおかしくなりそうだった。
なにかを得たと思えば、あっさりと失う。
てのひらからこぼれ落ちたものは、あまりに大きくて。
足元にひろがる夜が、まるで奈落の底のように思えてならなかった。