第04話 はじめて、はねつける。
次に目をひらいたとき。
白い壁は、夕方を映し出していた。
「ナカちゃん、じゃーね」
「お疲れさま。気をつけてね」
カーテンの向こう、鐘の音と同時に会話が聞こえた。
どうやらもう放課後らしい。
ぼんやりしていると、カーテンがひらかれた。
その向こうには保健の先生の姿。
「体調はどう? 行方しれずの藤谷さん」
「……なんですか、それ」
ノドの痛みはまだあったけど、話せないほどじゃなかった。
白衣の、まだ大学生のような顔した先生はベッド脇のイスに腰を下ろした。
首から下げてあるネームプレートには中山と書いてある。
それでナカちゃんか。
納得がいったと同時に、名前を知らなかった事実に驚いた。
入学して日が浅いとはいえ、何度か通っていた場所だったのに。
「最近ちっとも姿を見せなかったからよ。担任の勝見先生も心配してました。もちろん私も」
「学校には、来てましたよ」
「教室に早々にカバンだけ置いて、あなた自身はどこにもいないみたいだったけど?」
先生の手が近づいてきて、おでこのタオルをひっくり返した。
寒気も熱っぽさもなかったけれど、どうにもだるい。
「また、ここで授業を受けてもかまわないのよ」
その声が、視線が、耐えがたかった。
このひとはやさしい。
この場所はやさしい。
でも、それが失われない証拠が、どこにある?
最初はサボる場所なんてわからなくて、ここに来ていた。
サボったことなんてなかったし、上手い理由も思いつかなくて逃げ込むようにここにいた。
あたし以外にも、この場所にはたくさんの生徒がいた。
それぞれがそれぞれの理由を抱えて、この場所にいた。
その仲間に入ってしまえば、また昔の二の舞になると思った。
カタチあるものとカンチガイして、最後にはきっと失われる。
そうに、ちがいないと。
「いいえ。結構です」
きっぱりと、はねつけるように言葉を吐いた。
鐘が鳴れば、ここでも授業を受けることができる。
鐘が鳴れば、授業を受けて、休んで。
そのくり返し。
おなじ。
なにも、かわらない。
でもいまは、もっと大事な。
あたしだけのものを、見つけることができたのに。
「帰ります」
「仕事が終わり次第、ご両親が迎えにくるそうだけれど」
「帰ったと、伝えてください」
ふらつくカラダを起こして、支えようとしてくれた先生の手をはらった。
いたそうな音がした。
わかっているのに、あやまることすらできないあたしは最悪だ。
ここにいたくない。
一刻もはやく、こんなトコロから抜け出してしまいたい。
あの子がいないと、それだけでだめになる。
はやく、はやく。
はやる気持ちを抑えて、床に足を下ろせば。
「あ、」
靴下を履いていないことに気がついた。
雨にぬかるんだ場所を走ったのだから、ひどく汚れていたのだろう。
「先生、靴下しりませんか?」
「柏木さんが持っていったみたいよ」
足元にスリッパを用意してくれた先生の口から、予想もしなかった答え。
あの最悪男が、持っていった。
その事実に、治まっていたはずの熱があがる。
「よかったわね、いいひとに助けてもらって」
そしてとどめのヒトコト。
どこが、と叫んでしまいたい気持ちをこらえてベッドから飛び降りた。
「中山先生」
「はい?」
「ありがとうございました」
あやまれなかったぶん。
気持ちをこめて、頭をさげた。
あたしにとってのいいひとは、このやさしすぎる先生のほうだ。
この場所はやさしくて、なまるぬい、いつかは出て行かなくてはならないところ。
あたしがほしいものとはちがう。
求めるのは、あの子とあたしだけの絶対的な場所。
「どういたしまして」
笑ってくれた先生の言葉を合図に、保健室を走り出した。