第38話 はじめて、たちはだかる。
落ちてきたのは。
やわらかな感触でも、微熱のようなものでも、なかった。
「あいつ、三浦嵐だろ。お前と同じクラスで委員の」
上から降ってくる彼の声が、かたい。
問いかけとともに、深く息を吐き出したのが見て取れた。
トウゴも本気で動揺したのだろう。
握りしめられた手から、血の気が失われている。
「三浦くんが、なんで、ここに」
「カバン届けにきたんだろうな。二つ持ってたしよ」
数分前まで、戸口に立っていた三浦くんの手にはふたつのカバン。
きっと勝見先生にいわれて運んできてくれたのだろう。
それよりも、なによりも。
見られて、しまった。
あんなにしっかり見られてしまったら、もう言い訳なんて通用しない気がする。
「でも、助けて、くれたよね」
それでも、さっき。
彼のとっさの言葉がなければ、もうおしまいだった。
** *
耳に、鈍く響いた音に目をひらいた。
そこには。
長く伸びた影と、大きく見開かれた目があった。
「三浦、く、」
戸口で立ち尽くす彼と、目が合った。
作業台をあいだにはさんでいるとはいえ、見えないわけがない。
その証拠に、あの無表情な彼の目が大きく見開かれて停止している。
「おい、三浦。藤谷はいたか?」
ドアの向こう。
姿は見えないけれど、少し離れたところに勝見先生もいるらしい。
近づいてくる足音が、耳を刺した。
やばい。
ほんとうに、これは。
とっさにトウゴから手を離した。
距離を取ろうとしたけれど、あまりの混乱からか足にうまく力が入らない。
先に動きを取り戻した彼が、あたしの前に立ちはだかった。
それでも、どうにかなるとは思えない。
絶体絶命が、そこにあった。
「……いいえ」
顔を逸らした三浦くんが、扉から手を離した。
閉じられていくドア。
軋む、音。
わずかなすきまから、三浦くんの無表情な横顔が見えた。
「先生、藤谷はいませんでした。教室に戻ったのかもしれません」
完全に閉じたドア。
通り過ぎる影、遠ざかる足音。
全身の力が、一気に抜けたのが分かった。
たすけて、くれた?
三浦くんが。
いくら担任とはいえ、勝見先生は教育者。
学校をサボるのは見過ごせても、こういったことが許してもらえるとは思えない。
トウゴにとっても、あたしにとっても勝見先生は味方。
その信頼を失うようなことがあっては、いけない。
不用意だった。
もっと、気をつけなきゃいけなかったのに。
浮かれてすぎていた。
恋は盲目なんて、だれかがいっていたけれど。
まさか自分が身をもって知るとは思わなかった。
「でも、三浦くん、助けてくれたよ、ね」
同意をもとめるように、おなじ言葉を繰り返した。
あの言葉がなければ、いま自分はどうなっていたのだろう。
想像もできない。
いまだあたしの前に立ちはだかるトウゴを見上げる。
表情がよく見えなくて、目を凝らした。
「まずいな」
彼の声が、降りそそぐ。
それは、事態の深刻さを物語っていた。
いくら助けてくれたとはいえ。
見られてしまったことには変わりない。
ようやくはじまったはずのものに、影が立ちはだかった。