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第37話 はじめて、こいをしる。―きす?





「お前は、俺のことが好きなんだよ」





 息を、飲んだ。

 吐き出すこともままならなくて、胸のなかで停止する。



 すき?

 あたしが、トウゴを?


 この鼓動も。

 こみあげる熱も。


 なくしてしまうのがこわかったのも。

 いっしょにいたいと思ったのも。


 あたしが、トウゴをすきだから?



「りこ」



 名前を呼ばれて。

 とたんに、火がともった。


 たどりついた結論。

 なによりもの証拠だといわんばかりに、熱が上昇する。


 こみ上げてきたものを振り切るように、つかまれたままの手を引き抜いた。

 同時にイスごとカラダを後ろに引く。


「っ!」


 ぐらりと、かたむくセカイ。


 反転する視界。

 ちょっとしたスローモーション。


 トウゴの顔。

 窓の外のグラデ―ション。

 天井がいつのまにか赤紫に染まっていた。



 ぐるりと、めぐる。


 はじめての恋が、めぐりめぐる。



「っ、いった、」

「バカだろ、お前」


 イスの倒れる音と、腰に走る痛み。

 カラダを起こそうとしたら、目の前にさしだされた手。


「ほら」


 なんとなく、その手を取るのがいやだったけれど。

 でもうれしくて、どきどきして、はずかしかった。


 しぶしぶ、といった態度を装って、その手を掴む。


 ゆっくりと起き上がっていくカラダ。

 なのに、その動きは止まらない。


「ちょ、」


 到着地点にごわごわとした作業着の感触。

 ハナをつく油とペンキのにおい。


 いつのまにか背中に回された手にさらに引き寄せられて、息が苦しい。


「いえよ」


 突然。

 耳に直接、声を落とされた。


 いままで聞いたこともないような甘い響きを持ったものに、カラダがすくむ。

 だけど、その腕のなかにいるせいで身動きがとれない。


「いえよ。俺が好きだって」

「っ、んっ!」


 吐息だけじゃなくて、耳に触れたやわらかいもの。

 おかしな声が出そうになって、目の前の作業着に顔を押しつけた。


 抱きしめられている。


 それだけで、もうどうにかなってしまいそうなのに。

 これ以上なにかされたら、本当にどうなるかわからない。


 顔が、カラダが。

 どこもかしこも熱くて、焼けただれてしまいそう。

 耳はやけどしてしまったみたいに、じんじんする。


 逃げたいけど、離れたくなくて。

 動きたいけれど、このままでいたい。


 わけのわからないこの矛盾。


「俺が、好きなんだろ?」


 求められている答えを口にする前に、あとひとつ。

 どうしても、知りたいことがあった。


 それがいまだこの胸を渦巻いて、離れないのだから。


「と、トウゴは中山先生と、どう、いう関係なの」


 呼吸をするのも、胸の動悸にはばまれるなか。

 最大の疑問を口にした。


 あのやさしくて、なまぬるい保健室。

 カウンセリング室は、ふたりの場所。


 あの桃色のささやきがもたらした事実。

 それが、とても苦しい。


「先生とトウゴは、」

「何でもねえよ」


 ふたたび口にした疑問は、トウゴの言葉によって粉砕された。

 押し付けていた顔をあげて、下から彼を見る。


 その言葉がほんとうなのかどうか、しりたくて。


「連休初めのあの日、お前とシロといるところを中山先生に見られた。それで呼び出しをくらった」


 重いため息と同時に、ぶつかるおでこ。

 かるい痛みと近すぎる距離に言葉を失う。


「だから、お前にもうここに来るなっていったんだよ。それに、クラスでも上手くいきはじめてたみたいだったしな。でも、もう遅かった」

「おそ、い?」

「そうだよ。手遅れだった」


 背中に回されていた手が、また強くカラダを引き寄せる。

 おでこから離れて、今度は首筋にうずめられるトウゴの顔。


 もたらされた事実に頭がうまくついていかない。


 トウゴがあんなことをいいだしたのは、ふたりでいるところを中山先生に見られたからで。

 カウンセリング室に行っていたのは、注意を受けていたから?


「六時間目にカウンセリング室で話してきた。とりあえずウソを並べてごまかして、上手くいったかはわかんねえけど」

「なん、で」


 声が、ふるえた。


 知らなかった。

 そんなことになっているなんて。


 あたしの知らないところで、そんな話になっていたなんて。

 全然、しらなかった。


 そんなことになっていたのに。

 どうしてトウゴはウソまでついて、ごまかしてくれたの。


 来るなって、いったのに。

 なんで。



「そんなの、俺もお前らといっしょにいたかったからだろうが」



 一瞬にして。

 目の前が色を変えた。


 なにもかもがあざやかに、すきとおって見える。


 積み上げられた木材も。

 壊れかけた備品の山も。

 古くて、キズだらけの作業台も。


 窓から見える空の色も。

 握りしめた作業着も。



 いっしょにいたいと思っていたのはあたしだけじゃなくて。


 いっしょにいたいと思っていたひとが、同じことを思っていてくれていた。



 この場所がとても大事だった。

 それをこのひともそう思ってくれていた。


 かたちはないけれど、たしかなものがここに。


 あたえてくれるのは。

 いつも、このひと。


「……すき、」


 ためらいも、不安も、動揺も、恐怖もなかった。

 ただ、口が勝手に想いを音にしていた。


 顔の横。

 肩口に乗せられた、トウゴの耳に向かって。


「トウゴのことが、すき」


 せいいっぱいの気持ち。

 言い切った後、疲れてしまってそのカラダに体重をあずけた。


 行き場を見失っていた両腕を、彼の背中にまわす。

 こんなふうにひとを抱きしめたことなんてなくて、また鼓動が跳ね上がる。


「お前さ、俺がはじめてなんだよな」

「すごい、不本意だけど」


 一度、言いたいことをいってしまえば。

 なんだか気持ちが楽になっていくのがわかった。


 抱きしめられるのも抱きしめるのも、すごく気持ちがいい。

 もっとぎゅっとしたくて、してほしくて、すりよった。


 自分のこういう部分をいままで知らなかった。

 案外、あたしは甘えっこらしい。


 そんなあたしに気がついたのかどうなのか、よく分からないけれど。

 頭上で軽いリップ音が聞こえた。


 てっぺんに、髪に。

 制服につぎつぎと落とされていくくちびる。

 どことなくくすぐったくて、顔をあげる。


「くすぐったい、ってば」

「がまんしろ。俺はこれでも充分がまんしているんだ」


 なにを、と聞こうとして口を開きかければ。

 今度はくびすじに熱が落とされて、へんな声が出てしまった。


 身をよじっても、抱きしめられているこの体勢じゃどうしようもできなくて。

 トウゴの背中に回した手に力をこめて耐えた。


「も、むり、っ、」

「しかたねえな。じゃあ、あとはここだな」


 トウゴの指が、くちびるに触れて。

 「ここ」が「どこ」を差しているのかが分かって、熱が上がった。


「ちょっと、まっ、て」

「待たない。お前のはじめてのキスは俺がもらう」


 はずかしすぎるセリフに耳まで染まる。

 いやじゃないから、ますます困る。


 最初はあんなにも腹が立っていた口調なのに。

 いまじゃそれが嬉しいだなんて、自分がどうにかなってしまったみたいだ。


「目、閉じろよ」


 かすれた、低い声に逆らえない。

 作業着を握りしめて、しずかに、まぶたを落としていく。


 こわい。

 でも、目の前にいるのはこのひとだから。


 だから、だいじょうぶ。



 ゆっくりとまぶたのうらのひかりが、うしなわれていく。



 そういえば、トウゴが前にいっていた。

 はじめてのキスは忘れられないものだって。


 ほんとうに、そんな気がする。



 これは、予感。

 そして、確信。



 このキスは、きっと一生忘れられないキスになる。



 ――けれど。


 熱が落ちてくる前に耳に響く、軋むドアの音。



「……失礼します。ここに藤谷がいると聞いてきたんですが」



 閉じていた目を開いた。


 その向こうには。

 かばんをふたつ持って立つ、彼がいた。






*******


ここまで読んでくださってありがとうございました!

以上をもって第二部完結となります。

次話より第三部です。


残り数話となりましたが、最後まで読んでいただければ幸いです。

二部では寸止めにしてしまったので、最後はきっちりしめていこうと思っています。


ひとことコメントいただければとてもうれしいです。

これからもどうぞよろしくお願いします。

以下予告です。





第三部 予告






朝がこなければいい、なんて。


ひさびさに思った。






「やめるか。俺といっしょにいるの」




はじまると思ったものに、差すのは影。



慣れてしまった彼の作業着のにおい。


取り戻した空の色。



だきしめられることも。

だきしめることも。



だれかをいとおしいと思うことも。




「毎日怒られてばっかりだったけど、でもそれは俺のための言葉だった」




その口から語られる過去も。

これからつむいでいくものも。



もう、手放したくなくて。




「おねがい」




この声。


この気持ち。



なにも持っていなかった、からっぽのてのひら。






――恋するモノクローム 第三部

明日より開始。






「今日は、我慢できない」






白黒の空から、降りそそぐ青。




そして。








*******





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