第32話 はじめて、わかる。
「なに、が、起きたんだよ」
開かれたドアの前に、彼の姿。
乱れた髪と、荒い呼吸。
一目で、走ってきてくれたことがわかった。
なんで。
どうして。
あのときもそうだった。
あの嵐の夜。
シロの無事を荒れくるう夜に叫んだ。
だれにも聞こえないと、とどかないと思っていたのに。
なぜか、彼はそこにいた。
「とー、ご……、シロが、シロ、が、」
その姿を見たとたん、一瞬にして目の前がぼやけていった。
ぼろぼろと音を立ててこぼれるもの。
それは、悲しいとか苦しいとか、そういう気持ちで流れたものじゃなかった。
「シロ、たす、けて」
ちゃんと、言葉にならない。
きちんと、自分の中で言語が組み立てられない。
近づいてきた靴音。
全身を支配していた動揺が、抜けていくのを感じた。
「シロ」
床にへたり込んでいるあたしのとなりでしゃがんだ彼は、その名前を口にした。
ぐったりと砂に食い込んでいたちいさなカラダ。
その目が、わずかに開かれる。
「さわ、ると、けいれんして、」
「わかった」
整った呼吸とともに吐き出された、力強い言葉。
トウゴは自分の作業着を脱いで、シロのカラダをその上に置いて包み込んだ。
さっきまでのケイレンはどうやらおさまったらしい。
思わず、つめていた息を吐き出していた。
「俺、病院行ってくるから。お前は教室に戻れよ」
シロを抱いて立ち上がった彼があたしを見下ろしてそんなことをいった。
思わず、腑抜けた足に力が入る。
「い、や! あたしも、いく」
立ち上がって、その目を見据えた。
はれぼったい目に力は入らなかったけれど、どうしてもゆずれなかった。
「おね、がい」
かたく握ったてのひらに、つめが食い込む。
トウゴは、まっすぐにあたしを見ていた。
まるで、この気持ちを読み取ろうとするように。
「……抱いてろ。そっとな」
少しの間があいて。
ため息と同時にシロを包んだ作業着を渡された。
その温もり。
なかでちいさな呼吸を懸命に繰り返すシロ。
「駐車場に行ってろ。いま事務室と職員室に連絡してくるから」
そういい残して、先にドアに向かう背中。
この大事なものを抱えて、あたしも一歩踏み出す。
歩くたびに振動が気になって。
その様子が気になって。
でも、ぜったいに離さないと思った。
「りこ」
音を立てて開け放たれたドア。
薄暗いプレハブに染みる、ひかり。
扉を支えてくれているトウゴが、あたしの名を呼ぶ。
「大丈夫だ。シロは、俺たちの猫だから」
なにが大丈夫なのかちっともわからない。
だけど、その言葉に。
はりつめていた気持ちがほどけていくのがわかった。