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第03話 はじめて、いわれる。

 




 連れ込まれたのは、見慣れた場所だった。






「お疲れ様です。あら、藤谷さんまで。どうしたんですか」


 駆け寄ってきたのは、歳若い女のひと。

 保健室の先生が男に突き出されたあたしの腕を取る。


「柏木さん、どこでこの子見つけてきたんですか?」

「その辺でへばっていたんですよ。昨日から雨に打たれていたようですので、よろしくお願いします」


 案内されたベッドに体をあずければ、男と先生の会話が耳に入った。


 昨日から、雨に打たれていた。

 なんでそんなことを初対面のこの男が知っているのだろう。


 雨は昨日の夜から降りはじめた。

 あたしは外に飛び出して、子猫を探しにいった。


 そのあいだに会ったのは、ただひとり。

 黒い、だれか。



「ま、って」



 力の入らないひざに爪を立てて、身を乗り出した。

 保健室から出る寸前の男を引きとめようと、必死でもがく。


 あたしの白い子猫。

 連れていったのは、この男。


「まっ、て。ね、こは、あの子、はどこにいるの」


 失われかけた希望を差すひかりは、ここ。

 何が何でも、見失うわけにはいかなかった。


「かえ、して。かえし、てよ!」


 途切れ途切れの声で、ノドが引きちぎられそうになりながら叫んだ。

 

 今度こそ、追いかけなかったら後悔する。

 その焦りがこのカラダを動かす。


「かえし、て」


 振り向いた顔が、よく見えない。

 熱が上がってきたせいなのか、視界がぼやけてしかたない。


「かえ、して、おねが、」


 さらにベッドから身をのりだせば、シーツをつかんでいた手が落ちた。

 支えを失った体は同時に落下する。


 反転するなかで見えたのは、にじむ黒。

 そして、白。


 

 ほら、やっぱり。


 

 セカイも、そこで生きるあたしも。

 なにもない、モノクロでしかない。






 それまで、あたしには『勉強』があると思っていた。

 鐘の音にしたがって、生きるあの毎日。

 

 だれよりも丁寧にノートを取り、だれよりも早く手を上げる。

 家に帰れば机に向かい、学校に行けば机に向かった。


 点数をかせぐためのコミュニケーションもお手のものだった。


 こう笑えばいい。

 このタイミングで言えばいい。


 一歩引いて、背中を押されれば前に飛び出る。

 もてはやされる前に自分を下に置いて、相手を上に押す。


 友達も多かった。

 先生からの信用もあった。

 両親は両手をたたいて、あたしをほめてくれた。


 カンペキなセカイ。


 両手からあふれるほどのなにか。

 持ちきれないくらいのそれに、こみ上げる笑い。


 けれど。

 それはすかすかした、中身のないものだった。



 高校入試当日。

 カゼをこじらせて、それでも向かった受験会場。


 文字がかすんだ。

 手がふるえた。

 呼吸ができなくて、どこもかしこも悲鳴をあげていた。


 気がつけば、白のセカイ。


 試験中に意識を失ったあたしは、肺炎を引き起こしていたらしく。

 目を覚ませば数日が過ぎていた。


 

 卒業式にも出られなかった。

 お見舞いにきたのは、へらへらと笑う担任だけだった。

 

 両親はあたしから目を背けて、なぐさめるその声だけが異常に明るかった。


 

 なんだ、これ。


 

 そう思ったら、病んでいた肺が黒く染まっていくのがわかった。


 

 ようやく気がついたのは、病院のベッドの上。

 

 窓から見える空は色のない青。

 両手からこぼれた、からっぽのなにか。


 白と黒以外、なにもないセカイ。

 こぼれた涙まで色がなかった。


 重みも、それをぬぐってくれる手も。

 あたしにはなにもなかった。


 そんなこともしらないで、ただ生きていた。





「ん、」


 目がさめたら、白だけじゃなかった。

 

 真上に影と、頬にゆびの感触。

 それは耳のうらまでもつたう、なまぬるいものをすくいとっていく。


 もう一度目をふせて、ひらけば。

 今度は、はっきりとその姿をとらえることができた。


「ようやく、起きたのか」


 きたない作業着の男が顔をのぞきこんでいる。

 あまりの衝撃に声を上げそうになって、出ない音。


 口をあけたまま動かしていると、吹き出す音が聞こえた。


「金魚か、お前」


 その笑い声に顔が染まった。

 声が出ないのだから、しかたないのに。


 いやな男。

 最悪。

 なんで、ここにいるの。


 言ってやりたいことはたくさんあるのに、その力がない。


「どうでもいいけど、そろそろ離してくんねえか」


 さんざん人を笑っておいて、何をいっているのかわからない。

 

 けれど左手をひっぱられて、気がつく。

 なにかを握りしめているという事実に。


「ベッドから落ちたお前をわざわざ運んでやったのに、手を握り締めたまま離さないときたもんだ。保健の先生も呆れて、俺にお前の面倒を押し付けていったんだぞ。どうしてくれるんだよ」


 見えるところまで持ち上げられた手。

 

 左はあたしのもの。

 右は、この男のもの。


 しかも、つかんでいるのはどう見てもあたしのほう。


「おい、また熱あがってきたんじゃねえのか。顔、赤いぞ」


 おでこのタオルをひっくり返されて、つめたい感触にカラダが反応する。

 

 あわてて指を離して、左手をベッドのなかにしまいこんだ。

 残った男の右手が、布団を持ち上げて掛けなおしていく。


「あの猫に会いたければ用務室にこいよ」

「……よ、うむしつ?」


 あの子のことを持ち出されて、かすれた声をふりしぼった。


 用務室?

 なんで、そんな場所にあの子猫がいるのか。


 疑問は次に聞こえた声によって解決される。

 あたしに、驚きと動揺を残して。


「バカか。俺が用務員に決まってるからだろ」


 遠ざかる背中。

 きたない作業着には、学校名が入っていた。


 

 そして、降りそそぐ衝撃。



 バカなんて。

 

 生まれてはじめて、いわれた。






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