第29話 はじめて、おとずれる。
腫れ過ぎたまぶたと、泣きすぎが原因の頭痛。
嗚咽とノドの痛み。
しばらく休みなさいという中山先生の言葉に甘えて、ベッドにカラダを横たえた。
タオルをまぶたの上にのせたまま、耳だけをすませる。
しばらくたってから、ドアが開く音がして何人かの声が聞こえた。
いつもここは大にぎわい。
でも、その理由がいまならわかる。
『あなたがそれを大事にしてること、ちゃんと口にしなければ、それは誰にもわからないのよ?』
先生の言葉は水のように、カラダに流れて染み込んでいく。
理由ばかりを問いただした。
自分の気持ちを口にせずに。
いつも、吐き出した言葉は気持ちとうらはら。
かわいくないことばかり言ってきた。
あたしがあの場所をかけがえないものだと思っていること。
あのひとに感謝していること。
言葉にしなければ、この思いが伝わるわけがない。
泣くだけ泣いた。
またきついことをいわれたら、こぼれてしまうかもしれないけれど。
なくしたくない。
それは、ほんとう。
また、いつものようにあのプレハブ小屋で。
扉の向こうにはシロとトウゴがいて。
バカといわれても、最初のころよりは腹も立たなくなっていた。
さっさと行けと手で追い払われても、頭に来ることなんてなくなっていた。
『お前にしては、上出来』
触れられた髪。
『おやすみ』
ひざに重みと体温。
くすぐったい寝息。
こんなにも、まぶたのうらでくりかえす。
横柄な態度も、乱暴な言葉づかいも、あの笑い方も。
いまは、取り戻したくてしかたない。
どうしてだろう。
胸が、こんなにもいたいのは。
「あら、柏木さん」
先生のすきとおる声が、あのひとの名前を呼んだ。
反射的に持ち上がったまぶた。
タオルの下、すきまをぬって見える白。
カーテンの向こう側で、靴音が聞こえる。
「失礼します。ちょっとこのあいだのことでお話が」
「はい。わかりました」
にぎやかだった保健室に、訪れる静寂。
先生が留守をまかせると生徒につげて、元気のいい返事が聞こえた。
ふたつならんだ靴音と、扉の閉まる音。
カラダを起こしたあたしの耳にとどく、ささやき。
「ねえ、あのふたり付き合ってるんでしょ?」
「こないだも来てたよね、あの用務員さん」
「カウンセリング室でデートしてるのかもよ」
桃色の声がいくつも重なって、ささやきはまたざわめきに戻る。
ベッドを隠すように締め切られたカーテンが揺れる。
大きく、波打つように。
終わったはずの涙が、痛みをともなってこぼれおちた。