第19話 はじめて、もらう。
「緑化委員、なったんだろ?」
「だれかさんの根回しのおかげですけどね」
校舎裏に向かう途中。
廊下の奥から人影が向かってくるのが見えた。
窓から差す焦げた茜色のせいで表情は見えない。
なのに、なぜか笑っているように思えた。
きたない作業着。
目深にかぶった帽子。
ポケットに突っ込んでいた手を出して、トウゴはすれ違いざまにあたしのあたまに触れた。
「お前にしては上出来だな」
その手に足を止めたのはあたしだけ。
遠ざかっていく背中はオレンジに染まって、作業着の汚れすらもう見えない。
触れられたところからつま先まで。
なにかが走って、じんじんとしびれる。
まるで髪に手形をつけられたようだと思った。
その感触がいつまでたっても消えてくれなくて。
あたまをさすりながら、シロの待つ用務室へ足を急がせた。
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「戻ったぞ、シロ」
「ちょっと。あたしもいるのわかってるでしょ。あんたはどうしてそういやみったらしいのよ」
用務室でシロとたわむれること数十分。
戻ってきたトウゴを出迎えてやれば、シロだけにその手が伸ばされた。
あたしの腕のなか。
ちいさな白いかたまりは甘えた声を出して、ノドを鳴らす。
「んだよ、お前もなでてほしいわけ?」
「そ、そういうことをいってるんじゃないってば、……っ!」
その発言に急激に体温が上がって大きな声をあげてしまった。
声に驚いたシロがつめを立てて、腕のなかから飛び降りる。
「ごめ、」
見事着地に成功したシロに触れようと、かがみこんだ。
同時に上からバカという言葉が降ってきて、反論できずにくちびるをかむ。
いったい、だれのせいだと思っているんだろう。
「明日から休みだからな、今日は疲れたぜ」
あたしを通り過ぎていく足音。
立ち上がろうとひざに力をこめれば、重みと温度があたまにのせられた。
「ただいま」
見上げればその顔は正面に向けられていたけれど。
言葉は。
声は。
その手は。
間違いなく、あたしに向けられていた。
「おかえり、なさい」
そのてのひらが、なぜだかとても気持ちよくて。
廊下でつけられた手形にぴったりとおさまった感じがした。
遠くで、鳴る。
今日という一日が終わる、最後の鐘の音。
鳴り終えるのを確認してから、いつもように立ち上がった。
シロの頭をひとなでしたあと、身支度を整える。
「おい」
中央の作業台で日誌をつけていたトウゴがなにかを投げてきた。
弧をえがいた鈍いひかりは、ちょうど差し出したてのひらに落ちる。
まじまじと、そのちいさなかたまりに目をやった。
「なにこれ。ここのカギ?」
「んなの生徒に渡すわけねえだろ。俺の家のだよ」
「は?」
予想外の答えに思わず落としそうになって、あわててつかむ。
カギ?
家の?
なんで?
「連休に入ったらここにはこれないだろうが。シロはうちに連れて帰るし。お前、面倒見に来い」
つめたいそれが、手のなかで温度を増していく。
シロの面倒を見に行く。
理由がはっきりしているのに、なぜだか胸がさわがしい。
最近、ほんとうにあたしはどこかがおかしい。
少し前だったら、なんであたしがと叫んでいたはずなのに。
じんわりと広がっていく、このあったかくてしぼりとられるような気持ちは何なのだろう。
ぬくもりをおびたカギを握りしめて、首をタテに動かすべく息をのむ。
ところが。
「どうせヒマだろ」
この憎まれ口のせいで、なにもかもが一瞬で吹き消されていく。
「なんであたしが、あんたの家なんか行かなきゃなんないのよ!」
踏み鳴らした床が音を立てて。
ちいさな白いカラダが、作業台へと逃げていった。
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予告。
はじめて、ひとの家に呼ばれた。
ただそれだけのことなのに。
ゆうべは、あまり眠れなかった。
「は、はなしてよ」
すきまから入る、はないろの風。
胸を染めて。
頬を染めて。
「いいこと、教えてやるよ」
このココロを、ゆらしていく。
次話より
『はじめて、おじゃまする。』編、開始。
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