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第16話 はじめて、かんがえる。








 鼓動が、耳を打つ。

 チカチカと目の前がはじける。


 息を吸い込んだ。

 目を閉じて、ひらいた。


 台所には、遠ざけてきた背中と空の青。



「お母さん」



 声がふるえるのはどうしてもごまかせなくて、思わずうつむく。

 それでも首を持ち上げて、言葉をつづけた。



「ちょっと教えてほしいこと、あるんだけど」

 


 恥をしのんで、頭を下げた。


 背にハラはかえられない。

 ただ、それだけの気持ちだった。


 でも、ほんとうはすこしだけ。

 どうしようもなく怖かった。







「どうよ!」

「お前、これ本当に自分で作ったか? とくに玉子焼き」


 シロを抱き上げたまま固まってしまったのは、思いきり図星をつかれたから。


 いつものように、お昼休み。

 あの日から作り始めたお弁当は、毎日トウゴのお腹におさまっていた。


 文句はいうくせに、ぜったい残したりしない。

 そんな姿を見たら、何が何でもおいしいといわせたくなっていた。



 昨日はお母さんといっしょに台所に立った。


 頭を下げたとたんに強く抱きしめられて、消えそうな声で何度もあやまられた。

 その場ではとぼけておいたけれど、なんとなくわかっていた。


 おたがいに、あの日に失くしたものを取り戻したかったのだと。


「だ、って、作り方だけでいいっていったのに勝手に詰めたんだもの。いらないなんていえないじゃない」


 うきうきと、台所を染めたお母さんの歌声。

 よっぽど、あたしがだれかのためにお弁当を作ることがうれしかったらしい。


 根掘り葉掘り、余計なことまで散々聞かれる始末。

 作り方だけを教わる予定だったのに、今日のお弁当は母の大作といっても過言ではない。


「さすが母の味。これはんまかった。ごちそうさん」


 めずらしくあの憎まれ口から飛び出した褒め言葉。

 思わず表情を隠しきれずにいれば。


「お母さんにお礼、いっとけよ。お母さんにな」


 お茶をすすったその口から飛び出すいやみ。

 あいかわらず、憎らしかった。


 ふくれっつらのまま、あたしも手元のお弁当をかきこむ。

 もちろん中身は同じ。


 くやしいけれど、やっぱりおいしい。


 お弁当を作りはじめてまだ日が浅いのだから、かなわないのはわかっている。

 だけど。


「シロ」


 猫と子どもみたいにたわむれる、あの男に少しでも喜んでもらいたかった。


 なんでかは、わからないけど。



 プレハブ小屋にさす、やわらかいひかり。

 なれてしまった、独特のにおい。


 きたない床も机も、いまではもう、なにひとつ抵抗がない。


「シロ、こっちにおいで。トウゴのところなんていったら、いやみな性格がうつっちゃうから」

「バカ。誰がいやみなんだよ」


 いまだに、あたしをバカと呼ぶのはこの男くらいなものだ。

 そんなこと、いままでいわれたこともなかったのに。


 作業机に座って手を伸ばすトウゴ。

 床の端に腰を下ろして、手をたたくあたし。


 そのあいだにいるシロは、困ったようなそぶりを見せて白いしっぽをゆらしている。


「シロシロ、おいで。……って、なんであんたが来るのよ!?」


 シロの名前を呼び続けるあたしにさす影。

 椅子からたちあがったトウゴが、なぜかシロを追い越して近づいてくる。


 軋む床。

 軋む胸。


 最近のあたしは、どうも調子が悪い。


「俺がお前のそばにくれば、シロだって迷わないだろ。ほら、こい」


 となりに腰を下ろしたトウゴの肩が、わずかに腕に触れた。


 それだけで、ほら。

 全身が、ぐらぐらとゆれる。


 めまいにも似たそれは、つま先からあたしを染め上げていくものだからかなわない。


「ちょ、っと! 近い!」


 とまどいをかくせなくて、後ずさる。

 すぐ後ろと真横は壁だから、ほんとうに少しだけだけれど。

 

 離れたと思ったら、すぐに距離を詰められた。

 体育すわりをしていた肩に重みがのしかかる。


「はー、極楽」

「重いってば。なんでこっちくるのよ!」


 重いだけじゃなくて、触れたところから火傷しそうになる。


 きたない作業着についたにおい。

 大きな背中。


 黒くてかたい髪がくすぐったくて、へんな気持ちになる。


「ちょうどいい背もたれがあったからに決まってんだろうが。よしシロ。このまま昼寝でもするか?」


 抱き上げられて、その腕におさまったシロがちいさな鳴き声を上げた。

 

 シロは近頃、あたしよりトウゴと仲が良くなっているみたいで、ずるい。

 あたしの猫だったのに。


「ずるい」


 考えが、うっかり口をついて出てしまった。


 ひざに頬をおしつけてふたりを眺めていると、トウゴがこっちを向いた。

 あのにやにやとした、いつもの笑いを浮かべて。


「しかたねえな。いいぜ、お前も仲間に入れてやるよ。なあ、シロ」


 そんなつもりでいったんじゃないのに。

 でも、面倒だから誤解はとかないでおいた。


 あくまでも面倒だからで、それ以外に理由なんてない。


 きっと、たぶん。


「予鈴鳴ったら、さっさと行けよ」

「わかってるわよ」


 壁に背をつけて。

 肩が、少し重くて。


 うすい窓ガラスの向こうに見える、空の青。


 モノクロセカイは、色をとりもどしていく。

 認めたくないけれど、それは隣で眠るこの男のおかげ。


 いまだ鐘の音に拒否反応を示してしまうあたしに、トウゴは教室にいくように命令する。


 彼の命令は絶対。

 だから、あたしは教室にいく。


 シロのために。


 けれど、最近はそれだけじゃないような気がしてきた。

 まだよくわからないけれど。


「ねむ……」


 うとうとと、落ちてくるまぶたに逆らうことなく目をふせた。


 肩の重みと、寝息が、心地いい。



 その理由も、まだ。

 わからないけれど。





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