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第12話 はじめて、やってやる。





 教室のドアをくぐれば、同時に鐘が鳴った。


 突き刺すような視線は、先ほどと変わらず。

 とにかくクラスメイトの波をくぐって、席まで戻る。


 二週間もたてば、そろそろグループができているはずだ。

 同じ中学は群れるだろうし、そもそも女子は単独で行動することを嫌がる。


 ここに来ているのは、友達を作るためじゃない。

 そうココロに決めているから、自分から口を開くつもりはなかった。



『次の時間、あやまってこい』



 あんな命令、だれがきくか。







 幸いなことに授業はまだ入ったばかりのようで、追いつくのはたやすかった。


 授業に出なくなってからも、家で勉強はしていた。

 いくら失ったものとはいえ、習慣になっているものをやめることはできずにいたから。


「コラ、こっち向け。遊んでるなよ」


 数学はクラス担任の勝見先生が受け持っていた。


 大きなカラダと大きな声。

 笑ったときにできる目じりのシワが特徴的だと思った。

 

 出席したあたしに意味ありげな目線を送ってきて、いささか腹はたったけれど。

 授業の頭にこれまでの復習をしてくれたこの先生は、きっといいひとなのだろう。


 保健室にこもっていたとき。

 先生は何度か会いにきてくれたことがあった。


 避けていたから、ろくに話もしていないけれど。

 でも決して、ムリヤリあたしを授業にひっぱり出したりはしなかった。


「かっちゃん、字ちっせえよ」

「お、悪りい。つか、敬語使え。お前、ちょっとこいや。ここ、やってみろよ」


 からんだ男子が情けない声を上げると、教室がわいた。


 くだけた口調に、親しみやすい笑顔。

 もうあだ名をつけられているところをみると、生徒の人気は上々らしい。


「んだよ、できないんじゃしかたねえな。次、穂村」


 音を上げた男子を座らせて、先生が名前を呼んだ。


 穂村?

 そういえば、と思い当たった瞬間。


「あ、ごめん!」


 またしても後ろから強い衝撃がおとずれる。

 思いっきりイスに当たった、机のかたい感触。


 振動はあたしの机から教科書を落として、大きな音を立てた。


 同時に突き刺さるような視線が向けられてくる。

 せっかくそれていたというのに。


 内心、ドス黒い気持ちを押さえながら、教科書に手をのばした。

 もちろん、無言で。


 カンペキに嫌な女を演じている。

 ごめんといわれて、返事すらしないあたしをだれがいいと思うのだろう。


 これは予防線。


 近づかないでほしい。

 もう、あんな思いをするのは二度とごめんだから。


 ところが、先に上から伸びてきた手に教科書をかっさらわれた。

 その腕の方向へ視線をやれば、穂村みつきが教科書を差し出していた。


「はい。ほんとうにごめんね」


 無言のまま、受け取る。

 にこりともしないで。


 昨日から、この子はあやまってばかり。

 ちょっとぼんやりした子なのかもしれない。


 視線が合って、昨日のことを言われるのかと身構える。

 けれど彼女は無言のまま、黒板に書かれた問題を解きに進み出てしまった。


「ほら、穂村」


 先生から渡されたチョークを受け取って、穂村みつきは黒板の前に立った。

 問題を解くのかと思いきや、なぜかすぐに伸ばした腕を引っ込める。


 なんとなく様子がおかしいのは、てっきり問題がわからないせいなのかと思っていた。


 そんなに難しいわけでもないのに。

 黒板に書かれている問題の計算式を頭で描いていれば、ちいさな声が耳を通りすぎた。


「っ、」


 目の前でくだけ散る白。

 痛みにゆがむ、横顔。


「どうかしたか?」

「いえ、うっかり落としてしまって。すみません」


 チョークを拾い上げたのは、左手。


 そして、あたしはようやく気がついた。

 

 昨日、ぶつかったとき。

 あの子が右腕をさすっていたということを。




 左で書かれる文字はゆがんでいて、それでも彼女は懸命に黒板に向かっていた。


 待ち時間が長ければ長いほど、教室のざわめきは大きくなる。

 ざわめきの矛先は、黒板へ。


 彼女がケガをしたのは、あたしのせいなのに。


 ひそひそとした声が、その文字をけなして笑っている。


 わざと聞こえるように言葉を吐く人間まで出てきた。

 明確な悪意を持たない声は、周りをあおって刺激する。


「きったねえ字。読めねー」


 その言葉が、合図だった。


「先生」


 イスが音を立てた。


 声が響くのと同時にざわめきが止み、視線の集中砲火を受ける。

 気まずい雰囲気に、跳ね上がる鼓動。


 ここまで来たからには、引き返せない。


「穂村さん、腕ケガしてるんです。保健室、行ってもいいですか」


 我ながら、もう少し上手い言い訳とか、ごまかしができないのか。

 ヘタクソすぎる口上に、うなだれたいのをこらえて前を見た。


 こういうでしゃばったことは絶対したくなかったのに。

 

 押し寄せる後悔にあたまの痛くなるような思いをしながら、返事を待った。


「そうなのか?」

「は、はい。実は」


 あたしの発言に驚いた様子で、穂村みつきはチョークを置いた。

 先生の言葉を待っていられなくて、黒板へ向かうと彼女の左腕をとって廊下へ出る。


 ドアを閉めたとたん、ざわめきが教室を揺らしたけれど、もう取り返しがつかない。


 それに、このまま彼女を放っておくわけにはいかなかった。

 だから間違ってない。


 こんな恥ずかしいこと、生まれてはじめてやったけど。


「昨日は、ごめんね」


 廊下で、すぐさま頭を下げた。

 自分のことばかりで、まさかこんなケガをしているなんて思ってもみなかった。


 あのとき一緒に保健室に行けばよかったと。

 そう言葉を続けようとして顔を上げれば、腕をさする穂村みつきが笑っていた。



「ううん、本当にありがとう。りこちゃん」



 後悔も、ふるえも、いたみも。


 耳をつくざわめきも、刺すようないばらの視線も。



 そのひとことで吹き飛んでしまった。



『きっと、いいことがあるぜ』


 

 遠くで、あの最悪男の声が聞こえた気がした。






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