第01話 はじめて、であう。
あの夜のきみに、捧ぐ。
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あの日から。
見上げた空はどこまでも、白と黒でしかなかった。
そして、これからも。
ずっとそうなのだろうと、思っていた。
なにもない、このてのひらに。
たくさんのはじめてをくれたのは――。
『恋するモノクローム』
遠くで、鐘の音がした。
乾いた響きはだれかを呼んでいるように聞こえる。
――はじまるよ。おわるよ。
だから、なんだというのだろう。
鐘の音にしたがって行動することのむなしさ。
同じ制服を着て、同じところを見て、同じものを書き写す。
あたしもそのひとりで、鐘の音に左右されて毎日を過ごしていた。
校舎裏のフェンスを飛び越えて、雑草が伸びるがままの地を踏みつけて。
素足に刺さる葉の先。
これは、自然からの攻撃なのだろうか。
生きていくための。
あたしにはあっただろうか。
がむじゃらに、生きたいと叫んで、だれかを傷つけたことが。
いや、ない。
そこは断言できる。
見上げた空は、青じゃない。
踏みつけた緑は、色を持たない。
この目にうつるものは、なにもかもが白黒。
このくそったれなモノクロセカイを駆け抜ける。
遠く聞こえるのは、鐘の音。
――はやく、おいで。
悪いけど。
もう、そっちには行かない。
「こら、ちゃんと食べなきゃだめだよ。あんたまだちっちゃいんだから」
学校の敷地を抜けたところに原っぱがある。
一応ベンチと砂場はあるので、公園のようなものなのかもしれない。
生い茂る草。
伸び放題の木々。
桜の花びらが風に散って、髪にからむ。
だれもいないこの場所は、最高のサボり場所だった。
「ごめんね。いつもひとりにして」
ベンチの下には、ふるえる、ちいさくてやわらかな白い子猫。
風にかき消されてしまうその声は、あまりにたよりなくて。
この子はあたしがいないと生きていけない。
そう実感する。
だけど、本当はそうじゃない。
この子がいないと、あたしが生きていけないのだ。
二週間前、入学式。
あの雨の日。
はなから出る気がなかった式典をサボった。
見つかるのはさすがにまずいと思い、隠れて校舎を抜けてきた結果。
たどりついたのは校舎裏。
耳をうつ雨音。
白と黒の混ざった曇天。
どしゃぶりのなか、迷いなんてなかった。
(こんなトコロにいるよりは、雨空のほうが何倍もマシ)
だからあの日。
上履きのまま、傘も差さずに飛び出した。
フェンスを抜けて、草の生い茂る場所に出て。
ぬかるむ足を必死に前に出して、進んだ。
道路をはさんで奥に、さらに原っぱ。
片隅に古ぼけたベンチ。
これ公園? なんてのん気に考えていたら、なにかが耳に入った。
鐘の音よりも強く、だれかを呼ぶ声。
ベンチの下。
ふるえる、白。
生きたいという叫びは、雨音をも裂いてあたしに響いた。
「うちで飼えればいいのに」
抱き上げて、そのぬいぐるみのようなカラダをひざの上にのせる。
最初は嫌がっていたくせに、最近じゃ首のあたりをなでればイチコロだ。
花のにおいをふくんだ風が髪を舞い上げた。
まだつめたいそれから、このちいさなカラダを守ってやりたくて両手で覆い隠す。
時間になればエサを。
撫でてほしければ手を。
眠たければヒザを。
おおせのままに。
望みどおりに。
飼っているんじゃない。
これじゃ、飼われているも同然。
「さみしくさせて、ごめんね」
そのやわらかい毛にてのひらをなでられて。
ごろごろとノドがなる音で、やすらぎを得る。
鐘が鳴る。
今日もまた、だれかを呼んでいる。
だけど行かない。
そこには、なにもないから。
** *
嫌な予感が、した。
しめった空気、暴れる風。
夕方だというのに、夜を含んだ空。
かすれた鳴き声が、耳にこびりついていた。
今日はいやに鳴くと思ったけれど、何度も頭をなでて背を向けた。
また明日。
そんなつぶやきを残して去ってきた公園。
もしも、明日がなかったら。
そんなこといままで考えたこともなかった。
けれど、予感は確信へと変化する。
窓を打つ音に、閉じていたカーテンを勢いよく開いた。
その向こう側。
海の底のような窓の外。
波は荒れ狂い、風は音を立てて木々をなぎ倒す。
雨は空から地へ叩きつけられて、アスファルトで跳ねる。
一斉に、カラダのなかで鳴り響く警戒音。
頭から指先までしびれる。
目の前にひろがる、嵐の夜。
遠くで。
ちいさな鳴き声が、聞こえた。
マンションを飛び出して、走った。
弾丸の雨は傘の骨をくだき、肌をたたきつける。
まるで火花が散っているような音が聞こえた。
それでも、この足を止めるわけにはいかなかった。
声が耳から離れない。
あの白が目に焼きやきついて離れない。
あの日、猫の声があたしの耳に届いたように。
この声もだれかに届くのだろうか。
お願い。
聞こえるなら、どうか。
どうか、あの子をたすけて。
何度も沈みかけて、溺れそうになって、もがいた果てにたどりついた公園。
伸びていた草は倒れ、攻撃の手すら動かすことができなくなっていた。
踏みつけて、足をとられて。
泥にまみれて、駆け寄ったベンチ。
そこに、だれかがいた。
「だ、れ」
夜よりも深く。
空よりも濃厚。
桜の花びらを含んだ水滴が、闇にからめとられて流れる。
濡れた漆黒は、その胸に白を抱いて首をこちら側に向けた。
「汚ねえ、女」
声が空を裂いて。
ひかりとともに、落ちた。
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こんにちは。
はじめまして。
拙作は春企画「はじめてのxxx。」に参加しています。
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長期連載となりますが、定期的に更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
2007.03.09 梶原ちな
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