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【八段話】『顔のない太陽』

 JR町田駅の改札を出ると西日が天窓から降り注ぎ、行き交う人々を照らしていた。太陽の光はくすんだガラスを透過しているためか柔らかく場を包み込んでいて、小走りで改札を抜けるサラリーマンや切符を買う老人、談笑する学生たちの顔をボヤけさせていた。

 ふと握りしめていたパスケースのPASMOに目をやる。顔のボヤけた人々が小気味良いピッピッという音を発し、情報化された人の波を形成する。何かに縛られるように個性をひた隠しにする集団は、まるで陽の光を恐れているようであった。

 人の流れに逆らい、私は南口のエスカレーターを降りて大型家電量販店を横目にたらたらと歩いてゆく。途中タバコを切らしていることに気づいたが、一度過ぎてしまった道を戻るのはきまりが悪かった。

 斜陽が顔を照りつける中、三つ目の曲がり角を右折すると私が勤める事務所が入ったビルが見えた。ビルのエレベーターは故障中のまま半年間放置されているため、三階の事務所に上がるには錆びついた非常階段を登るしか無いのだ。事務所の鉄扉の前にリエが携帯電話をいじりながら座っていた。どうやら鍵が掛かったままらしく、待ちぼうけを食らっていたらしい。勤務態度のズサンさに怒ってもいい場面であるが、リエは私の姿を認めるとニンマリ人懐っこそうな顔をほころばせ、コンビニ袋を引っ掛けたまま階段を駆け下りてきた。黄土色のブーツから伸びる白い足はプリーツスカートに吸い込まれ、その襞は迷宮を思わせた。その先に住まうのは獣人か天使か、いずれにしても太陽に近づきすぎてはならない。

 事務所の扉を開けるや否、リエは合皮のソファに身を投げ出し予定表に目を通すこともなくファッション誌を読み始めた。投げ出されたコンビニ袋の中にはみかんゼリーとプラスチックのスプーン、ペットボトルの野菜ジュースとストロー、そして私の好物である芋けんぴが入っていた。

 予定表を確認し、コンパニオンと連絡を取る。今日は金曜日の夜だ、欠員を出す訳にはいかない。もしかするとリエに緊急出動してもらうかもしれないという旨を告げると、破顔一笑、快諾してくれた。この事務所のコンパニオン達は殆ど予定外の出張は無く、殆どあらかじめ予約を入れる常連ばかりであるが、いつ派遣の問い合わせが来るのかわからない。この出勤確認を取る瞬間はいつも気が張ってしまう。しかし、そこら辺の娼婦たちとは違う、この事務所のコンパニオン達は予定通り出勤してくれるとの報告を受け、安堵の息を吐いた。一服をしようとライターを取り出したがタバコを切らしていることを思い出し、手の中でライターを遊ばせていると、リエがヘビースモーカーの私には物足りないかもと断った上で自分のタバコを差し出してきた。私はリエが売れっ子である理由は、そのあどけなさが残る顔や肉付きの良い体つきではなく、このソツのなさや押し付けがましくない気遣いであるのだと、メンソールの臭いを口内で愉しみながら思っていた。窓の外を眺めていると、日が落ちきっているのに性懲りもなく光の波長が西の空に舞っていた。だが、ここからは私たちの時間である。人間の顔が本当に浮かび上がるのは闇の中だけなのだから。

 次に事務所の扉を開けたのは送迎者の岩清水だった。浅黒い肌に若々しい瞳は工事現場のアルバイトの賜であり、日が落ちるとコンパニオンを自動車に乗せて走る。もちろん送迎業務の翌日にはアルバイトを入れないことを約束している。この事務所は私と石清水の二人で回している。片方が欠けると業務が成り立たなくなってしまい、コンパニオン達の収入減にも繋がるため、体調管理を徹底させていた。

 続々と事務所に人が入り込み、一気に賑やかになる。コンパニオン達に今日の体調等々、世間話を交えながら予定の確認をしてゆく。今日は百戦錬磨のメンツだった。ナツミ、カナエ、リョウコ、彼女たちは自身の仕事を恥じてもいなければ誇ってもいない。プロフェッショナルの仕事を分かっている女達であった。一つ気がかりなのが一週間ほど前に彼氏と別れたというリョウコであった。彼女はナイーヴな一面があり、睡眠薬がなければ眠れないと私に相談してきたこともあった。私は安定しない勤務時間のせいであって彼女のせいではない、これから勤務時間についても調整すると実務的な会話もそこそこに、なにか心配事があるならばまた相談に乗るという、実に場当たり的な回答でお茶を濁していた。今日はリョウコをよく見てやらねばならないなと自分に釘を差した。

 喫煙者というものはタバコが無いと意識せずとも落ち着きも無くなる生き物である。私は営業前のわずかな時間を縫って買い出しに出掛けようとすると、コンパニオン達があれもこれもとお使いを頼んできた。リエが手伝おうかと申し出てきたが、彼女は財布までそれとなく私に差し出してくるので、準備を急かすようにして事務所を出た。

 駅前のコンビニまで行き、カゴにお使いの品を放り込んでいると顔のボヤけた店員が品出しをしていた。二十四時間営業は人に顔を与えることすらしない牢獄である。シフト制というものが唯一の救いであるのかなと思った。

 店員がレジ金庫の点検を行なっていたため時間を食ってしまい、小走りで事務所に戻ると岩清水とナツミ、リエは既に発っていた。私は予定表を再確認しながら買ってきたタバコ三箱を事務所最奥の机に投げ出し、点呼を取った。私が遅くてナツミが文句を言っていたとカナエがなじってくるが、決して本意で言ったわけではなく私をからかうような口調であった。今日の予約客は常連が多く、彼女たち一人で行かせても問題なかったが、今回リョウコを指名した客は、当初リエを指名していて都合が合わずにリョウコを送り出すことになっていたのが気がかりで、私も送迎に随伴することにした。ビルから少し離れた駐車場に社用車が止めてあり、それに乗り込むとカナエがタバコは吸うなと口を尖らせた。

 私が送迎したカナエ、リョウコは近場だったため、事務所に戻って新しく開けたタバコを燻らせながら岩清水とコンパニオン達の回収ルートの確認をし、電話番という長い休憩時間に入った。

 昨日出版された日経新聞を読みながらタバコを吸っていると、けたたましい着信音が紫煙を震わせた。コール二つ目で電話を取ると、リョウコが今夜はキャンセルだという事を伝えてきた。私は自分の不甲斐なさに歯噛みした。すぐに事務所を飛び出し、社用車に乗り込んでリョウコを迎えに行った。

 車内でのリョウコは無言であった。元々口数の多い方ではないが、キャンセル料はしっかり貰ってきたということ以外は口を閉ざしていた。沈黙に耐えかねた私は事務所に戻る途中、コンビニに寄ってリョウコがいつも飲んでいる甘ったるい有名コーヒーチェーンの飲み物を買って車内に戻ると、リョウコが身を寄せてきた。リョウコの瞳は濡れていて、静けさの支配する車内で彼女の嗚咽だけが窓ガラスに反響していた。

 人一人居ない時間が止まったような駐車場でリョウコの動的な顔を綺麗だなと思った。色白の肌に潤んだ漆黒の双眸が浮かび上がっていて、夜の闇が彼女の眼から溢れでている。私は彼女がつぼみのような唇を寄せてくるのを察知し、美しい白肌を傷つけないように両の腕で包み込むようにして頭を抱く。ひびの入った瀬戸物を扱うように、出来るだけ優しい口調で毒にも薬にもならぬ言葉をかけながら、街灯の光を飲み込む黒髪を撫でる。

 落ち着きを取り戻したのか、リョウコが身を離すと自嘲的に笑いながら、やはり私は素敵な人だとか、でもやはりあの子には勝てないだとか言うことを一気に話し始めた。私は話の筋が読めなくなり、リョウコに問い直すと、なにやら私とリエが付き合っていると思っているようだった。私は思わず吹き出してしまい、大仰なリアクションで否定した。リョウコは唖然とした表情でしばらく固まった後、私と一緒に笑い始めた。やはり夜には本当の顔が現れるのである。

 事務所に戻ると鍵は開けっ放しで電気も付けたままだったことに気付き、リョウコよりも一足先に階段を駆け上り中を伺うと、一仕事終えたリエがいつも通り、合皮のソファの上で寝息を立てていた。おそらく岩清水がリエをここまで運び、自分は別のコンパニオンの回収に行ったのであろう。後から続いて来たリョウコがクスクスと細かく笑い事務所に入ってきた。私は苦笑いしながらリエに毛布を掛けた。ソファの前のテーブルには少しくたびれたファッション誌と食い荒らしたみかんゼリーのゴミがコンビニ袋の中に突っ込まれ、中身の無くなったペットボトルから出たストローにはリエの歯型が残っていた。


 事務所に鍵を掛け、土曜の朝の陽光が照射されるアスファルトを眼下で睨めつけながら非常階段を降りてゆくと、昨晩買ったタバコがもう少なくなっているのに気づいた。朝日に照らされているというのに、顔のない人々を見ることがない嬉しさが少し萎んだ。

 駅前のコンビニに入ると、顔のボヤけた店員が気怠そうにレジを打っていた。私は日経新聞とタバコ三箱を購入し、顔のない店員に礼を言って店を出た。私は小さい頃、絵を描く時にいつも太陽に笑い顔を描いていた事を思い出した。本当に顔を奪っているのは太陽なのに、なぜ皆を光で照らすあの球体に顔を描いていたのだろうか。

 コンビニ横の路地で一服した後、階段下で麦わら帽子を被った車椅子の男性が辺りを見回しているのが見えた。初めてきた土地なのだろうか、何かを探しているような素振りである。私はそれとなく、なにか困っているのかと尋ねた。車椅子の男性は目を細め、抜けた前歯を見せつけるようにして照れ笑いを浮かべ、エレベーターの場所を教えて欲しいと言ってきた。彼をしっかりと動くエレベーターまで誘導し駅前まで送り届ける途中、男は私に振り返り女の匂いがすると言って笑った。男の顔はボヤけていなかった。 



 

【後書き】

 初めまして。江出田エディタ 貝菜斎カイナサイと申します。


 上記の『顔のない太陽』は元々、一年ほど前に友人と「暇だから小説でも書こうぜ!」というノリで仕上げた、文章練習程度の小説とは呼べないような物語でした。

 文章練習といえば、そう『三段話』であります。しかし、伝え方が悪かったのか、私は三段話を「なんか適当にお題貰って、それを組み込みながら話を書くことだったような……」と説明してしまい、友人は「よし! 任せろ!」と意気込み、なんとお題を八つも出したのです。

 そして出来たのがこの八段話『顔のない太陽』であります。タイトルはさっきつけました。

 ちなみにお題は「娼婦、太陽、日経新聞、ストロー、睡眠薬、PASMO、車椅子、レジ金庫」でした。


 読んで下さった方が居らっしゃったならば、稚拙な文章で汗顔の至りではございますが、有難く思うと同時に、深く感謝いたします。


 どうぞ、これからもよろしくお願い致します。


 ではでは~

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