第1話
ここに金槌がある。
もちろん、日曜大工で使うような手のひらサイズのものではない。
柄の丈、約160センチ。手元が若干細めであり、頭部へと伸びるにしたがって太くなってゆく。
頭部は円柱状で、円の直径50センチ、長さが100センチ。
総重量は、おそらく200キロほど。
ただただ巨大、そして無骨。
飾りなど、なにもない。
形の整えられた鉄塊に鉄柱が通してあるだけ、といっても過言ではない。
握る部分には布が巻かれて、使われている形跡が見られなければガラクタも同然と思われるだろう。
なぜ?
答えは、単純。重すぎる。
200キロの鉄塊を振り回す。
ありえない。
例えば重量上げ。
オリンピックでも行われるそれなりにポピュラーな競技である。
これには重さで分けられた階級がある。
一番重い階級が105kg級。
物を持ち上げるのに特化した人間がやっとのことで持ち上げられる重さである。
例えば、ピアノ。
縦に長い箱に鍵盤がついているような形をしているものは、アップライトピアノと呼ばれる。
これの重さが200キロと言えば、わかっていただけると思う。
この金槌を持ち上げられるとすれば、この異世界に生息する生き物で例えるとする。
ドワーフかオーク、あとはヴァンパイア。
知性をある程度持ち合わせている生き物ではこれぐらいである。
しかし、これらの生物ですら持ち上げるのが精一杯。
鈍器であれば、もちろん一撃の重さは大事なことである。
刃物と違い、重さが威力に直結するからだ。
だが武器として使うならどうだろう。
最低限の手数が必要なのは明白。
つまり、持ち上げるだけでは到底武器として扱えない。
もちろんドラゴンやベヒモスなどの大型の魔物は言うまでもなく振り回せるだろうが、これらは自身の身体がすでに武器である。
わざわざ扱いにくい物を使う必要性が見当たらない。
なにが言いたいかというと、この金槌あらためウォーハンマーは、使える者がいないのである。
ただ一人を除いて。
聖剣や魔剣は使い手を選ぶと聞く。
それは武器に宿る意思や精霊が人を選ぶとも言われるが、そんな難しくことではない。
要は使える資格があるかどうか。
聖剣なら、徳があるとか世界中を救う覚悟があるかとか。
魔剣なら、心が闇に支配されているかとか負の感情を好むとか。
資格云々ということを言えば、このウォーハンマーも使い手を選ぶのだろう。
ーー我を使うにふさわしい力を持っているか?ーー
眼前には迫り来るグリズリーの群れ。
見た目はただの熊だが、彼らは瘴気を浴びて魔物に成り下がっている。
魔物と動物の違いは、様々にあるが決定的なのが一つある。
人間だけを襲うかそうでないか。
瘴気を浴びて魔物になると、人間しか襲わなくなる。
なぜかといった理由は未だ解明されてはいない。
諸説あるが、瘴気は魔王が発しており、魔王の敵は人間。そのため魔物は魔王の尖兵として人間を襲う。
というのがもっとも有力な説である。
ゆっくり後ろを振り向く。
そこには、もぬけの殻の村。
すでに村人の避難は住んでいるようである。
僕がこの村に居ついてまだ2週間ほどしか経っていなかった。
この世界に原因も理由も何もわからないまま付近の森に突如召喚された、素性も知れない僕を助けてくれた家族がいた。
現代日本で育ったサバイバルのサの字も知らない僕に狩りを教えてくれた青年がいた。
上手く洗濯物を洗えない僕を手伝ってくれた少女がいた。
買い物をするといつも何かしらオマケをくれた老夫婦がいた。
たった2週間。それだけでも僕は確かな人との絆を感じた。
その日の朝、冬に備えるため森へ行って木の実を集めて来てくれと、村長さんに頼まれた。
了解した僕はすぐに森へ向かう。
頼まれた木の実は森の深部にあるため思ったよりも時間がかかり、満足のいく量を集めた頃には既に夕方。
村へ帰ると、誰もいなかった。
そして間もなく、地響き。
グリズリーの群れ。
仕方がなかった。そう思いたい。
村の住民から生贄を出すわけにはいかない。
となれば、新参者の僕しかいないだろう。
この世界に召喚されて、初めて遭遇したのは魔物だった。
当然逃げた。
そのときにわかった。
一歩踏み出す。
ーー地面が悲鳴をあげ、陥没するーー
その足をバネに前へ進む。
ーー大地を蹴り上げる爆音。目に映る景色が一瞬で流れるーー
異常だとは思った。少し怖かった。
しかし、何も世界を知らない若造が生きていくには、利用できるものは全て使わなければならなかった。
ーーウォーハンマーの持ち手の部分を握るーー
このウォーハンマー、村人たちはミョルニルと呼び、御神体として崇めていた。
ミョルニル、といえば北欧神話に登場する、雷神トールの鎚である。
巨人を一撃で打ち崩す威力をもち、投げれば相手を打ったあと手元にもどり、掲げれば雷を呼びだす。
さすがに投げても手元には戻らず、ましてや雷も呼べない。が。
巨人、もといグリズリーを倒す力はもっている。
ーー持ち上げた鎚をペン回しのように指先でまわすーー
なんだかんだと、ごちゃごちゃ考えていたが、もうそんな時間はない。
奴らは既に目前。
覚悟を決めろ。
殺さずなんて甘い考えは捨てろ。
死ぬか生きるか、それだけだ。
敵を打ち崩せ!
ーー両手でもったハンマーを腰撓めに構え、駆けるーー
瞬間移動したような景色の変化。
握り手。 力を込める。
ハンマー。
振り抜く。 風。 うねりをあげる。
衝撃。 血。 うめき声。
一つ、ハンマーを振り抜く。目標は眼前の一匹。
神速の一撃。当たった部分だけを抉る。
グリズリーは何が起こったか分からない表情。
間
轟音と突風。
鉄塊により扇がれた風が吹く、踊る、舞う。
瞬間的に台風を超える暴風。
腹の抉れたグリズリーを含む、周囲の5匹が吹き飛ぶ。
まだ終わらない。
熊の群れの中心へ一飛びで移動し、上げた鎚を地面へと打ち下ろす。
大地が放射線状にひび割れ、脈動を起こす。すなわち地震。
続けざまに武器を振り回しながらの突進。
血が吹き荒ぶ。
肉が散る。
悲鳴が行き交う……。
「村の人たちに悪いことしちゃったかな」
鈍器だから大丈夫だろう安心していたが、結果は血みどろ。
振るスピードが速すぎて、頑丈なグリズリーの肉体を削るように抉ったようだ。
でも、僕を生贄においていったのだかこれくらいは許して欲しい。
それに、このミョルニルもそのままだったから、きっと使えっていうことなのだろう。
……もしかしたら、持ち運べなかったのかもしれないけど。
村は守ることができた。
あたりは悲惨ではあるが、家は、畑は、持ちきれなかったであろう荷物は、無事。
もちろん頼まれたわけでもない、そもそもこんなことを考えもしなかっただろう。
……早くここから立ち去るか。
ほとぼりが冷めた頃にここへ何人か偵察にくるだろう。
そしてこの惨劇を見たら、村の人達は僕を人間とは思わないはず。
きっと僕を泊めてくれた家族にも出ていけと言われる。
それならーー。
「御神体は……申し訳ないが頂こう。武器は、必要だ」
村の中を歩きながら、最後の光景として目に焼き付ける。
期間は短かったし、生贄にもされたが、返しきれない恩をみんなにもらった。
魔物退治によって、少しでも恩返しできればいいのだが。
村を歩いていると、村長の家付近に仮面が落ちていた。
「これは……」
たしか、この村の祭りで昔使われていたものって言っていたな。
白の、のっぺらぼうに目の部分だけが切れ長に空いているだけ。
これもいただこう。
しばらくは、人を信じることが出来そうにない。
それなら、最初から仮面をつけて壁を作っておけば、もし裏切られても傷つくことはない。
「とりあえず、街に行ってみようかな……」
異世界で魔法を使わずに無双したらどうなるかなと思ったらこうなった。
最強系の戦闘シーンはどうしても短くなってしまう。