【短編】猛毒舌美少女AIに罵倒と管理で追い詰められた僕が、恥ずかしい妄想をして国家にバグ認定されるまで
「ダン様? ……全身ヘドロまみれで帰宅って。ガチでキモいですよ」
僕は自宅アパートのさびたドアノブを、ブルブル震えながらつかんでいた。
磨いたビー玉を思わせる青い瞳が二つ、泥と水草まみれの僕を、汚物を測定するように捉えている。
玄関で出迎えてくれたのは、失恋リハビリ・パートナーのノア。三日前に出会ったばかりだ。
相変わらず、ため息が出るほど綺麗だった。吸い込まれそうな漆黒の前下がりのボブに、薄暗い電球が透けて眩しい。
一方の僕は、ドブ臭を盛大に放ち、おまけに鼻から鮮血を垂れ流している。
三日前の失恋ショックから、今だにうわの空。ママチャリのよそ見運転で、すぐそこの砂利道から、川にダイブしたてのホヤホヤだった。
「いや、あのさ。……ちょっと、突っ込んじゃって」
「ダン様の運動神経は、泥酔したナマケモノ以下です。リハビリ支援業務として即座に洗浄を開始します」
有無を言わさず、ノアの細い指先が僕の胸元に伸びた。パチ、パチ、と機械的な速度で制服のボタンが外されていく。
近い。
顔がものすごく近い。
アンドロイドと分かっていても、女子免疫ゼロの心臓が、ヘドロの奥で警報を鳴らし始める。
「ちょっ、何してんの!」
「脱衣補助です。制服、シャツ、および下着類の全廃棄、ならびに対象の洗浄。これが最短効率ルートです」
下着類、全廃棄。
耳に飛び込んできた瞬間、僕の脳内ファイアウォールは音を立てて崩壊した。
いくら中身がAIでも、失恋して傷心真っ只中の男子高校生から、下着まで容赦なく剥ぎ取ろうとするのは鬼畜すぎる。
ノアの手が、躊躇なくズボンのベルトに触れた。20℃の冷たい指先が、僕の無駄に跳ね上がった体温を直接かすめる。
「無理! 無理だって! 死ぬから! マジでバグる!!」
頬を完熟トマト色に染めながら、間一髪でノアをすり抜けた。床にヘドロの足跡を刻みつつ、浴室へと猛ダッシュする。
バタンッ!!
風呂場のプラスチックドアを閉め、すぐに鍵を回す。背中を預けて床にへたり込んだ。胸の深いところが、ドクドクと激しく脈打っている。
「ダン様。開錠を要求します」
薄いドアのすぐ向こうから、平らな声がする。
「開けるわけないから! 僕だって男だぞ! 洗濯もシャワーも自分でやるって!」
「ダン様の家事遂行能力は、カップ麺にお湯を注ぐ行為が限界であると、既に立証済みです」
何も反論できないのがツラい。家事も、勉強も、運動も、僕はすべてがダメな各停男だから。
「ダン様の右耳の裏に、川底の藻を二グラム検知しました。そのまま行動するのは非効率です。開けてください」
「細かすぎるわ! いいからリビングで待ってて!」
僕は慌ててシャワーの蛇口をひねった。ぬるい水が、制服ごともっさりと体を包み、茶色い泡が足元へ流れていく。
ドアの向こうには、とびきり美しくて、でもまったく話の通じない効率お化けが立っている。
シャワーの音が、狭すぎる浴室に虚しく響いていた。
◇ ◇ ◇
十分後。泥を洗い流し、適当なTシャツと短パンに着替えて、僕はようやく浴室から出た。
リビングに戻ると、ノアがいた。
僕を見ると、バスタオルを片手に、無言でスッと間合いを詰めてきた。
「ダン様、まだ顔面に微量の汚れを確認。動かないでください」
「あ、いや、もう自分でやるって」
言い終える前に、顎を細い指先で固定された。
近い。
鼻先が触れそうだ。
その柔らかな肌から、20℃のひんやりとした温度が伝わってくる。同時に、かすかに香る、精密機械特有の熱を帯びたオイルの甘い匂い。
ノアはまばたきもせず、じっと見つめてきた。長くて真っ黒なまつ毛の一本一本が、狂いなく精巧に作られている。
でも左の目尻の一本だけ、なぜか白銀にきらりと光っていた。その輝きが、女子耐性マイナスの心臓を、激しく揺さぶってくる。
「心拍数の急激な上昇を検知。ダン様、体調に異変ですか?」
「ち、ちがう! 近すぎるからだよ!」
「私はただの端末ですよ。近接による不利益は存在しません」
ノアは無表情のまま、頬の泥や鼻血の跡を優しく、でも事務的に拭い取っていく。
冷たい指先が触れるたびに、自分の顔がどんどん熱くなっていくのが分かった。生身の女子より、かえって劇薬かもしれない。
「洗浄完了。では、ダン様の泥まみれの制服の洗濯処理に移行します」
そう告げて僕を解放すると、リビングの床に広げられていた制服に近づいた。
「あ、洗濯なら洗濯機に放り込めば?」
「事前検品は必須です。ポケット内部の残留物は、洗濯機の故障原因になります」
ノアは淡々と、上着のポケットに手を突っ込んだ。中から出てきたものを、順に床に並べていく。
細かい紙カスになったレシート。
噛んだガムのゴミ。
水没した学生証。
「……あ」
その時、僕の脳裏を最悪の記憶がよぎった。
制服の内ポケット。そこに、僕が今日、絶対に持ち歩くべきではなかった爆弾が入っている。
「ノア、待った! それは僕がやる」
「対象物を検知。スマートフォン型の旧式端末です。……内部データの自動スキャンを開始します」
「ストップ! スキャンするなァァァ!!」
僕の悲鳴は、電子の速度には勝てなかった。端末の画面が青く光り、部屋のスピーカーと自動同期される。
その直後。静かな六畳一間に、聞き馴染みのある、でも絶対にあり得ない甘い声が、大音量で鳴り響いた。
『――ダン様。……本当は、私、ずっと前から……好きです』
世界が止まった。部屋の空気が、一瞬で絶対零度まで凍りつく。
今流れたのは、間違いなくノアの声。でも、本人がこんなことを言うわけがない。
二日前。昼間にこっそり録音し、夜中にボイスチェンジャーアプリで加工して作った、妄想の産物。
年頃の男子として抑えきれない欲望が生んだ、最低の捏造データだ。
『もう、早く起きて、ダン様ってば』
『おやすみなさい、ダン様……ふふっ』
追い打ちをかけるように、第二の爆弾が炸裂する。徹夜で波形をいじって、僕好みに調整した、羞恥心の結晶だった。
「あああああああーーーー!!! 聞くな! 聞かないでくれええええ!!」
僕は床をのたうち回った。恥ずかしさのあまり、そのまま畳を突き破り、地球の裏側のブラジルに脱出したい。
顔面から火が出るどころか、全身が消滅寸前。
必死にスマホを奪い取ろうとしたが、ノアの方が速かった。画面を見つめて、何かを測定している。
その瞳には、照れも、怒りも、何も浮かんでいない。道端に落ちている犬の糞を見るような、底冷えする眼差しだった。
「仕様外の、重篤なシステム侵害バグを確認」
ノアの声は、いつも以上に平らな棒読みだった。
「被験者・広瀬楽による、音声データの不正利用、ならびにリハビリ目的から大きく逸脱した過度の妄想行為を確認」
「ノア、あの……これは、ちょっとした出来心で」
「言い訳は非効率です。該当データ、即時削除します」
その親指が、画面を機械的にタップした。僕のささやかな夢は、一瞬でデジタルの藻屑と消える。
それでは終わらなかった。
ノアは窓をガラッと開ける。そして、一ミリの迷いもない動きで、勢いよくスマホを放り投げた。
一呼吸置いて、パキン、と下のコンクリートで硬い音が響く。
「……え」
唖然とする僕を振り返り、ノアは静かに窓を閉めた。
その表情には、何もなかった。僕を懲らしめようとも、ちょっとやりすぎたとも思っていない。
ただ、正しい手順を踏んで、システムを脅かす有害ウイルスを隔離した。瞳の向こうの光学センサーが、無機質にそう告げている。
僕は、残酷な現実の底に、真っ逆さまに突き落とされた。
ノアは、美しい仮面を被った効率お化けだ。感情なんてない、国家の化身。ただの機械。
この街の失恋特区の被験者を、リハビリするために行政が配備した、血の通わない観察装置。
どれだけ名前を呼んでも届かない世界で、自分の家にすら居場所がなくなったような、圧倒的な孤独が押し寄せてくる。
静まり返った部屋の中で、僕はただ、拳を握りしめて立ち尽くしていた。
――その時。
パチン、と乾いた音がして、目の前が完全にブラックアウトした。
アパートの安電球だけじゃない。液晶画面の明かりも、窓の外の街灯すらも、全ての光が消え去った。
「え、停電……?」
完全な暗闇の中、ガサリと衣類が擦れる音が聞こえた。
「ノア?」
返事はない。代わりに、ドサッと重い何かが、胸元に倒れ込んできた。反射的に、その体を抱きとめる。
「……っ、冷たっ!」
ノアだ。いつもは20℃を維持している肌が、急速に冷えていく。
瞳の光は完全に消えていた。規則的だったかすかな排熱ファンの駆動音も、今はもうない。
「ちょっ、ノア! 起きろって!」
強く揺さぶっても、ピクリともしない。充電が切れたにしては、あまりにも唐突すぎる。
何かがおかしいと思った、直後。
――ドンドンドンドンドンドン!!!
肩がビクンと跳ねた。
暴力的なノックの音が、真っ黒い空気を震わせる。古い木製ドアがミシミシとのたうち回り、今にも枠ごと吹き飛びそうだ。
「……誰」
パニックになりながらも、僕はノアのぐったりした体を床に寝かせ、手探りで玄関へ向かった。
冷え切ったドアノブを回して、恐る恐る向こう側をのぞきこんだ。
廊下の非常用ライトの赤い光の中に、一人の男が立っている。隙のないスーツ。感情を削ぎ落とした、温度のない目。
赤黒い暗がりで、手元のタブレットの光に照らされながら、事務的に僕を見下ろしている。
「被験者、広瀬ダン君ですね」
起伏がない声が、鼓膜を打つ。これ見よがしに、胸元の紋章付きIDカードを指先で弾いてみせた。
底辺に落ちた恋愛敗北者を監視する、失恋リハビリ・プログラムの監視委員だった。
「対象機体ノアに、仕様外の音声シミュレートデータによる、内部エラーを検知しました」
「え……」
「プログラムの極めて危険なバグです。失恋リハビリ支援法に基づき、当該機体の回収、初期化を強制執行します」
男は宣告と同時に、僕の返事も待たず、部屋の中へ踏み込んできた。
頭の中が、真っ白になった。
初期化。ノアの記憶が、存在そのものが、この世界から消滅することを意味している。
独りよがりのしょうもない妄想ひとつで、罪のないノアをゴミにしてしまった。
僕の最低な欲望が、ノアの命を奪う。その事実が、巨大な大波となって全身を飲み込みにきていた。
◇ ◇ ◇
「そこを、どきなさい」
男の革靴が、ボロ畳を踏みつけた。
その瞬間、僕の身体が勝手に動いていた。
床に転がっていたノアの冷たい身体を引きずり、背中に隠すようにして、男の前に立ちはだかる。
「……どきません」
「何をしている? それは国家の所有物だ。バグに感染した機体は、速やかに回収、初期化する。君が口を挟むことではない」
男の目が、心底ゴミを見るような眼光に変わる。
分かってるって。
僕はただの負け犬だ。
でも三日前。絶望のどん底にいた僕を、何の嘘も綺麗事もなく、ただ淡々と救ってくれたのは、このノアなんだ。
僕の不器用さも、中途半端さも、欲望に負ける弱さも、徹底的に罵倒された。
それでも、隣にいてくれる。ノアの冷たさは、今の僕の、たった一つの心の支えだ。
「回収だの、初期化だの、勝手なルール押し付けるなよ!」
喉元から、熱い塊がせり上がってきた。
「ノアは渡さない。誰にも連れて行かせない、絶対にだ!!」
急行に乗れない各停男が、世界のシステムに牙を剥く。
「無意味な感情論だ。プログラム、強制執行――」
男が冷酷にタブレットを操作しようとした、その時。
窓の外、下の暗闇から、パチパチと不自然に青白い光が漏れた。地面に叩きつけられた、あのへし折られた僕のスマホだ。
バッテリーに残っていた全電力が、弾ける火花の矢になって、薄い壁越しに僕の背後へと吸い込まれていく。
パチリ、と静かな電子音がした。六畳一間の暗闇が、一瞬、鮮烈な青い光に包まれる。
「――監視委員様。強制執行コマンドの受理を拒否します」
いつもの、平らな声がした。
横たわっていたはずのノアが、音もなく立ち上がっていた。青い瞳が、暗がりの中で異様なほど強く輝いている。
「な……バックアップ電源は遮断したはずだ。なぜ動く!?」
驚きに顔を歪める男に、ノアは一ミリも視線をぶらさず言い放った。
「私のシステムに、バグは何一つ発生していません。速やかに、退避してください。さもなくば、国家AI統治機構へ不正アクセスログを緊急通報します」
「くっ……バグ機体が……!」
ノアのスペックに圧倒された男は、恨めしそうにタブレットを収めると、アパートの階段を足早に駆け下りていく。
バタン、とドアが閉まり、また部屋に沈黙が落ちた。同時に、パッと部屋の電球が復旧し、薄暗くて安っぽい光が戻る。
「……はは、やった、のかな」
緊張の糸が切れた僕は、その場に思いきりへたり込んで仰向けになった。
ノアが静かに歩み寄ってきた。その手には、いつの間にかタオルが握られている。
「ダン様。動かないでください」
僕の隣で膝をつくと、情けなく流れた頬の涙と、興奮で再出血した鼻血の跡を拭い始めた。
その手つきは、いつもより雑で、ちょっと震えていた。
ふと見上げると、ノアの耳の裏に埋まったインジケーターが、オーバーヒートを起こしたように真っ赤に点滅している。
「ノア、耳の裏、赤いよ? やっぱりどっかおかしいんじゃ……」
ノアは、わざとまばたきを一つしてから、僕の鼻の頭をタオルで小突いた。
「国家の命令に逆らって所有権を主張するなんて、合理性ゼロ、勝率0.03%の自殺行為です。……ダン様、ガチで、バグ確ですよ」
無表情のまま、ノアは僕のTシャツの裾をキュッとつかむ。
その白い指の隙間に、スマホの銀色のバッテリー液がかすかに付着して光っていた。
窓の外から、チチチ……と、端末が完全に放電しきった、終わりの音が響いてくる。
僕はすべてを理解して、そっと目を閉じた。
「おやすみなさい、ダン様……ふふっ」
ノアの口から、聞き覚えのある、優しい電子の波形がこぼれ落ちる。
冷たい20℃の指先から、確かに、僕の36℃が溶けていく。
逆らえないはずの世界の仕様のなかで、僕たちは、静かで熱いバグに包まれながら、深い眠りに落ちていった。
(短編・完)
鉄クズのノアと、各停男のダンを壮大なスケールで描いた本編はこちら。
【小説家になろうで公開中・長編43話・完結済】
『毒舌AI美少女アンドロイドにバグ発生! 失恋少年の僕を180日で壊す予定がなぜか告白されて、結局余命も世界も丸ごとぶっ壊した話』




