第五話 北砦救出
「一番様、こちらが私の愛馬、ノクスです。
少々気難しいですが、私の前では問題ありません。」
手綱を牽かれて現れたのは、夜を削り出したような巨躯の黒馬だった。
気難しいというのは本当のようで、カイルの手前大人しくしているものの、鼻息荒く足踏みをしている。
エセルは思わず気圧されて、一歩引き下がると、トンとカイルの甲冑の胸に背中が当たる。
背中に触れた瞬間、彼の存在感が一気に迫り、ゾクリと震えが走った。
――ひぇぇぇぇぇっっっ、ぶつかっちゃったぁ。
いやいやいやいや、これからびっったりと寄り添って、同じ馬に乗るんですよぉぉぉぉっっっ
覆面の下で冷や汗をかいていると、ノクスはフンフンと彼女を嗅ぎ、
「ブフンッ」
と機嫌よく鼻を鳴らして頭を摺り寄せてくる。
「……おや、ノクス。この方を気に入ったか。目が高いな。
一番様、ノクスもあなたを気に入ったようです。ご安心ください。」
カイルは苦笑交じりにノクスの鼻先を撫でてから、先に騎乗する。
それからエセルへ手を差し出す。
指先が触れた瞬間、ぐっと引かれ、気づけば彼の胸元へ引き寄せられていた。
「ぁ……」
思わず声が漏れかけて、エセルは必死で呑み込んだ。
――あああああっっっ、たくましい腕! たくましい太腿! 硬い筋肉! 高い体温っ!
甲冑を着用なさってなければ、気が狂うところだったわっ!
バクバクする心臓を押さえていると、その手をそっとカイルがとって鞍の縁へといざなう。
「絶対に落としません。力を抜いて――楽に。しっかりつかまっていてください。」
すぐ耳元でカイルが囁く。
――はぅぅ……色気が過ぎる……。
エセルは覆面の下で白目をむきながら、やっとのことで意識を保っていた。
王都を出たのは昼過ぎ。石畳を抜け、街道へ出ると、ナデリの関所までは一時間ほどだった。
一時間もすると、カイルの体温や存在感にも次第に慣れ、
馬から降りる頃には意識を戦闘へと集中させてゆく。
戦闘前は真面目に集中。
始まれば、団長の雄姿を糧にボルテージを上げてゆく。
それがエセルの流儀である。
カイルに従って石造りの関門の上から見渡せば、狭い山道に数百のヘルハウンドが押し寄せている。
彼らは一見無秩序に見えるものの、寸分の隙もなくこちらの動きを注視しており、山道には、張り詰めた殺気が満ちている。
「団長。森の砦は奮戦むなしく陥落しました。
北砦は、第六騎士団の三部隊が救援に向かいましたが、まだ戻りません。
包囲されたようです。」
関所の責任者が、血の気の引いた顔で北西を指さす。
森の木々の中から、櫓の一部が小さく見え、救難要請を示すのろしの白煙が、途切れることなく空へと立ちのぼっていた。
「――孤立してどのくらいになる?」
「今朝からなので、もう半日になります。」
「そうか、さすがに夜は越せまい。日没までにはどうにかしたいところだな……」
カイルは目を細めて砦の方を見詰める。
しばらく考えて、やがて重く口を開いた。
「第二は引き続き関門を死守。第三は南から森を回れ。北砦の救出は私が行く。」
「団長っ! まさかお独りで?!」
背後にいた第二騎士団長が声を荒げる。
しかしカイルは動じない。
「付与魔法士の一番様をお連れする。身軽な方が都合がいい。
一番様なら、砦の兵全てに魔法を行き渡らせられる。」
「しかし……あの数ですよ……団長は元より一番様に何かありましたら――」
第二騎士団長はちらりとエセルに視線を投げかけてくる。
――多いからこそ、団長が出る価値がある、のですよ。
エセルは覆面越しでもカイルを見つめていることが分かるように首を動かすと、深くうなづいた。
「心配ない。一番様とノクスがいれば、あの程度は切り抜けられる。
それに、彼女は私が守り通す。」
カイルは静かに言い切った。
エセルも彼の考えに、まったく異存はない。
基本的に付与魔法士は、戦場では騎士の指示に従うことになっていたし、
何よりエセルは、カイルに全幅の信頼を置いていた。
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「それでは、我々が食い止めますので、関門が開きましたら、速やかに通り抜けください。」
第二騎士団長が険しい表情で、馬上のカイルに念を押す。
そのそばでは、三番と四番の付与魔法士が、門を守護する兵や騎士に身体強化の魔法をかけている。
二番と五番は、すでに南へ向かった第三騎士団に付いている。
来た時と同じように、カイルの前に座ったエセルは、心の中で詠唱する。
――シールド展開、体力筋力共に二倍強化……
詠唱なら声を発することは許されている。だが――
午前中に顔合わせをしたばかり。
こんな至近距離では絶対に正体がばれると思った。
――あれ? もしかして、“カイル団長だけ”に魔法をかけるのって、初めてじゃないかしら?
思い当たって、顔が火照り始めた時、門が重く軋みながらゆっくりと開かれていった。
「かかれーっっっ」
第二騎士団長の咆哮が響く。
カイルが短く息を吐いたのが、エセルの耳にも届いた。
拍車がかかり、ノクスが飛び出した。
馬一頭分。
門の隙間を、ヘルハウンドを蹴散らしながら滑り抜ける。
数匹が門扉の隙間をこじ開け、関門内へと雪崩れ込む。
背後で、鋼と牙がぶつかる音が弾けた。
「早くっ、閉めろっ!」
「団長!ご武運をっ!!」
まもなく重い音を立てて、門が閉まった。
ヘルハウンドの群れを裂くように、ノクスは猛然と走り抜けた。
時折果敢な個体が、エセルの喉元や、ノクスの尻にかじりつこうと飛びかかって来たが、
エセルのシールドに弾かれ、カイルの剣で薙ぎ払われる。
蹄の感触が軽いことに気づいたのか、ノクスは上機嫌で鼻を鳴らし、
時折わざと蹴とばしたり踏みつぶしたりする。
気づけば、砦の壁が目前に迫っていた。
門扉には、無数のヘルハウンドが群がり、閉まりきらない隙間から兵士へ噛み付こうと牙が光り、よだれが飛び散る。
逆茂木の壁もよじ登ろうと、取りついているものも無数にいた。
砦の兵士たちは、必死の形相で切り伏せ、払い落し、押しのけている。
櫓から矢を放つ弓兵の表情は、絶望に歪んでいた。
「来たぞっ!」
「団長っっ!!」
「付与魔法士様もっ!!」
カイルたちの姿に気が付いた者から、歓声が上がる。
カイルはあたりを一瞥し、状況を把握して、
エセルの手に手綱を押し込むと、彼女の耳元で鋭く言った。
「進路を開く。属性付与を。」
短い指示。
けれども、エセルにはそれで十分だった。
「衝撃波、範囲拡張! 雷を付与!」
エセルが叫ぶと同時に、カイルが馬上から身を躍らせ、剣を振りかぶった。
「おまえら、引けぇぇぇっっっ!!」
カイルも叫ぶ。
着地の瞬間に切りかかれば、彼を中心に紫電が広がる。
「門から離れろっ! 巻き込まれるぞっっ」
門扉の中にいた隊長の怒号が響く。
薙ぎ払うたび、雷を纏った長剣は、切りつけた個体のみならず、周りの数体も巻き込んで感電させてゆく。
門に取りついていた数匹がエセルとノクスに気が付いて、よだれを垂らした牙をこちらへ向ける。
ノクスは猛然と前足を振り上げ、応戦する。
――ちょ、まっ……私が乗ってること忘れないでぇぇぇぇぇっっっ
エセルは振り落とされまいと、必死でたてがみにしがみついた。
カイルが切り伏せ感電させ、ノクスが蹴とばし踏みつぶす。
焦げた毛の匂いが立ち上り、
ひときわ甲高い悲鳴を最後に、群れが崩れた。
牙は後退し、やがて森へと散っていく。
「団長っ!今のうちに中へっ!」
細く開かれた門扉の中へ、二人とノクスは素早く滑り込む。
門が閉まった。
その瞬間、森の奥で、低い咆哮が響いた。




