第九十七話 危機
「やばい!」
突然の叫びに、隣のヴァルゼリナがびくりと肩を跳ねさせた。
「な、なんじゃ、いきなり大声を出して……」
だが、陸虚はヴァルゼリナの言葉を無視して、グレイシアの方へと向き直る。
「グレイシアさん! 急いでアイスさんが自らを封印している部屋へ案内してください! 急がないと、大変なことになります!」
その切迫した声に、グレイシアの表情が一気に引き締まった。
「……わかりました。こちらです!」
彼女はすぐに方向を変え、氷の宮の奥へと駆け出した。
陸虚もすぐさま後を追い、ヴァルゼリナも「仕方ないのう」と言いながら、つられるようにその後に続くのだった。
封印の扉の前――。
どれだけ呼びかけても、中からの応答はなかった。
「……どうなっているのですか、一体……!」
グレイシアは焦燥の色を隠せず、扉に手を当てて震える声を漏らした。
陸虚は険しい表情で扉を見つめながら、重い口を開いた。
「……アイス様、もしかすると“天外の邪魔”――いや、ここの言葉で言うなら“邪神”に取り憑かれているのかもしれません」
「――っ!」
グレイシアはその言葉を聞いた瞬間、ガクリと膝から崩れ落ちた。
「うそ……そんな……!」
「前代の魔法使いギルド会長……皆で命を賭してようやく打ち倒した、あの“存在”の……」
その場の空気が、一気に凍りつくような重苦しさに包まれた。
陸虚は深く息を吸い込み、皆に向き直って言った。
「……まだ、間に合います」
「え?」
グレイシアが顔を上げると、陸虚は真剣な眼差しで続けた。
「アイス様は、混乱しているとはいえ、まだ理性の一線を保っている。そうでなければ、自らを封印するなんてことはできません」
「……!」
「でも、今のままではいずれ“やつ”に完全に乗っ取られてしまう……。時間はあまりありません。僕たちで封印を破って、中に入る必要があります。アイス様の“本心”を呼び覚ますために!」
その言葉に、グレイシアの目に再び光が戻った。
「行くぞ――ッ!!」
陸虚が雷霆の如く叫ぶと、彼の周囲に金色の雷光が渦巻き始めた。空気が震え、大気が悲鳴を上げる中――
「純陽雷龍、放てぇぇっ!!」
天を貫くような雷の咆哮と共に、雷龍が轟音を上げて封印へと突っ込んでいく!
「あなた……お願い、目を覚まして!」
グレイシアも涙を浮かべながら、全力の〈氷龍のブレス〉を解き放った。続いてヴァルゼリナも、息を吸い込み、唸るように叫ぶ。
「妾の炎、受けてみるがよい!」
紅蓮の火柱が轟き、氷と雷と炎――三つの力が一点に収束する!
だが――
「……っ!」
爆音の後、封印の氷壁は――微動だにしなかった。
二名6級と一名5級奥義魔導士の攻撃した、封印は全然破れなっかた
「……そんな、嘘……でしょ……?」
グレイシアの瞳から希望の光が消えた。
「どうして……開かないの……アイス……!」
彼女は両腕を振り上げ、絶望の叫びと共に封印の氷を引っかき、叩き、必死に爪を突き立てた。
「お願い……お願い……戻ってきてよ、あなたぁぁっ!!」
封印の前に響くのは、凍てつく沈黙と――一人の妻の、届かぬ祈りだけだった。
(……やはり、7級の封印か。僕たちの力じゃ、破れない……)
陸虚は歯を食いしばりながら封印を睨みつける。
〈陰陽混沌斬〉なら、確かに突破できる。でも完全開放すると必要な霊力は――到底、持たない。
(……どうする? どうすれば……!)
そのとき、彼の視線が自然と二体の巨竜――グレイシアとヴァルゼリナに向いた。
次の瞬間、陸虚は決意と共に声を張り上げた。
「お二人とも――僕に向かってブレスを放ってください!」
「はぁ!?」
ヴァルゼリナが目を見開き、思わず叫んだ。
「そ、それは……正気か、そなた!? まだ6級にも満たぬ身で、竜のブレスを受けるなど、命を捨てにいくようなものじゃぞ!」
「分かってる。でも、今はもう手段を選んでる暇はないんだ!」
陸虚の目に、一切の迷いはなかった。
一瞬の沈黙の後、グレイシアとヴァルゼリナは静かに見つめ合い、重く頷いた。
「……もしもの時は、妾が骨を拾ってやる」
「私も……できる限り、力を抑えるわ」
陸虚は深く息を吸い、地に膝をつき、両腕を広げた。
「――来いッ!!」
そして、炎と氷の竜が、同時にその咆哮を解き放った――!!
陸虚の全身を、凍てつく冷気と灼熱の炎が同時に飲み込んだ。
それはまさに、生と死の狭間――氷と火、陰と陽、相反する力が彼の体内でせめぎ合う。
(……ぐっ、やっぱり……まだ、足りないか……!)
体が、焼けるような痛みと凍りつくような苦痛に引き裂かれていく。
呼吸が、意識が、ぼやけていく――。
陸虚の瞳から、焦点が失われはじめたその時。
「――にゃん!」
小さな鳴き声と共に、柔らかな毛並みが彼の足元に触れた。
小花が、立っていた。いや――すでに大鼎の姿へと変化し、彼の背後に佇んでいた。
「小花……!」
小さな小花、ただ静かに霊力の流れを受け止め、整え、陸虚の体へと送り込んでいく。
――ゴウンッ……!
天地が震えるような音が、大鼎から響き渡る。
混乱していた陰陽の力が、秩序を取り戻し始める。
陸虚の瞳に再び光が戻り、かすかに笑った。
「……ありがとう、小花。今度こそ――行くぞ!」
彼は天へと両手を掲げ、全身の霊力を刃と化す。
陰と陽、炎と氷、混沌と秩序――すべてが、ただ一つの意志へと昇華される。
「――陰陽・混沌斬!!」
ドォオォォォン!!!
解き放たれた光は、世界そのものを震わせた。
封印の氷壁に向けて、漆黒と純白が交差する一撃が奔る――!
――ズンッ!
世界の“法”すらも一瞬揺らぎ、
七級の結界に、ついに――亀裂が入った!




