第九十三話 到着
リザード族の長老が、足を引きずるようにしておずおずと前へ出た。
その額には冷や汗が滲み、声も震えている。
「こ、これは……まさか、巨竜様ご自身が薬草を取りにお越しとは……っ!老いぼれどもが勘違いし、無礼を働きましたこと……どうか、どうかお許しを……!」
そう言って地に膝をつき、深々と頭を下げた。
ヴァルゼリナは目をぱちくりと瞬かせたあと、あっけらかんと言った。
「なんじゃ、薬草を取りに来た者と勘違いしておったのか?」
長老は顔を上げ、不安げにたずねる。
「では……貴殿は、氷竜王様の御遣いではないのですか?」
「なにを申すか! 妾があやつの使いとは聞き捨てならぬぞ。妾とアイスは、上下などではない。むしろあやつが妾を“姉上”と呼んでおったのじゃ!」
「え……姉、上……?」
長老が硬直し、周囲のリザード族たちも「ええ……」と顔を見合わせる。
そんな空気の中、ようやく陸虚が一歩前に出て、静かに口を開いた。
「僕たちは――氷竜王アイス殿に会いに来た。話がある。できれば、案内してもらえないか?」
その言葉に、ざわ……っとリザードたちの間に動揺が走る。
人族の青年が、自ら進んで氷竜王の元へ行くなど――それは、常軌を逸しているとしか思えなかった。
「お、おい……聞いたか? 人間が……氷竜王様に……?」
「ありえんだろ、ただの自殺行為じゃないか……」
「頭おかしくなったんじゃねえのか……?」
リザードたちはあからさまに顔を見合わせ、困惑と困惑を重ねるような視線を陸虚に向ける。
しかし、そんな空気をものともせず、陸虚は静かに言い放った。
「……案内だけでいい。他のことに口を出す必要はない。責任も被害も全部、僕が背負う」
その目には一点の迷いもなく、澄んだ黒曜石のような光を湛えていた。
リザードたちは沈黙したまま、やがてちらりとヴァルゼリナを見る。
あの巨竜の姿を見てしまえば、彼の言葉を無視することもできない。
長老がようやく重い腰を上げ、神妙に頷いた。
「……承知いたしました。氷竜王様の領へ至る古き凍道――我らがご案内いたしまする」
ヴァルゼリナは満足げに腕を組み、どこか得意げに鼻を鳴らした。
「ふふん、妾が一緒じゃからこそ通してくれるのじゃ。ありがたく思うがよいぞ、陸虚」
「はいはい、ありがたやありがたや……」
陸虚は苦笑しながら、足元に擦り寄ってきた小花を抱き上げた。
こうして、一行はついに――氷竜王が眠る北の最果てへと向かうのだった。
ようやく、一行は氷原の最奥――結界の覆う白銀の門に辿り着いた。
そこは、静謐で荘厳な空気に満ちていた。
一面に広がる氷の大地には、様々な氷原の種族――スノーエルフ、シロクマ族、リザード、アイスウルフ――が列をなし、氷竜一族の使者へと薬草や貢ぎ物を差し出していた。
だがその穏やかな空気は、次の瞬間――
「……待て。そこに、人族の気配があるぞ!」
鋭い声が氷原に響き渡る。
門の上、氷竜の鱗を持つ守護兵のひとりが、陸虚の存在に気づいたのだ。
ザッ――!
数十の氷竜兵が、氷壁の中から次々と姿を現す。
瞬く間に、陸虚とリザードの一行を包囲していた。
「人族よ、ここは禁忌の地! 何の目的でこの結界に近づいた! 答えよ!」
氷竜兵のひとりが鋭く問い詰める声を上げる。
その視線には、明らかな敵意と殺気――
殺気を孕んだ氷竜兵たちが迫る中――
「お主ら、ちぃと待たんか!」
その声音には、どこか呆れ混じりの余裕と、年長者特有の貫禄が滲んでいた。
「そこにおるの、アイゼルじゃろ? 妾じゃ、ヴァルゼリナじゃ。はよ通さんかい、こんな寒空の下でいつまで立たせる気じゃ」
「……ッ!」
先頭に立っていた氷竜兵の指揮官――蒼銀の鱗を纏った青年その氷竜の王子が、目を見開いた。
「……まさか……お、お待ちください。あなたは……その姿……」
「なによ、忘れたとは言わせんぞ。 お主がまだちっこかったころ、妾がよう抱っこしてやったじゃろうに。 アイゼル、お主まさか年寄りボケかえ?」
その言葉に、青年の顔が一瞬で紅潮する。
「ヴァ、ヴァルゼリナ……叔母上っ!?」
「ふふん、見たか陸虚! これが妾の人脈というものじゃ!」




