第八十九話 封印の歴史
校長の目がわずかに揺れた。迷いを含んだ視線が、再び陸虚を射抜く。
「もう一度だけ聞こう。……本当に、覚悟はできているのか?」
陸虚は一瞬目を細め、そして笑みを浮かべながら答えた。
「もちろんです、僕は――シフ教頭を見捨てたりなんて、絶対にしませんから。」
校長は深く溜息をついた。
「本当は……君が6級に到達してから話すつもりだった。少なくとも、それなら“あれ”に対抗する手段も多少は持てると思ってな……だが、もう時間がない。」
その言葉を聞いた瞬間、陸虚の背筋に冷たいものが走った。まるで、何か得体の知れない“視線”が、遥か彼方から自分を捉えたかのような感覚。
「……っ!」
校長はゆっくりと顔を上げ、重く口を開く。
「……感じただろう? あの歴史に触れようとする意志――それだけで、“あれ”は干渉してくる。その時点で、“関係者”として世界に印を刻まれるんだ。」
校長はしばらく沈黙し、それから重々しく口を開いた。
「……ここまで来た以上、隠しておくわけにはいかないな。この“封印された歴史”の話は、陸先生の師匠――白殿が“飛昇”した直後から始まる。」
陸虚は真剣な眼差しで、校長の話に耳を傾けた。
「大戦のあと、生き残った者たちは誰もが重い傷を負っていた。中でも、最も重傷だったのが、現在の魔法使いギルド総会長――カロルンさんだ。」
校長はゆっくりと首を振りながら続ける。
「……前代の会長、つまり邪神と融合してしまった存在は、彼の実の兄だった。カロルンさんは、そのことに対する贖罪の想いから、常に最前線で戦っていた。結果、戦いの終結時には魔力を使い果たし、九つある魔力核のうち、半分以上が砕けていた。」
「7級の力を持っていなければ……とっくに命を落としていたことだろう。」
「本来なら……大戦に勝利したことで、皆が安堵し、未来を語り始めていた頃だった。」
オグドン校長の声には、深い怒りと悔しさがにじんでいた。
「氷竜王アイスは、残された軍勢を率いて北の極寒氷河へと帰還し、ワシの師匠ティリオンはエルフの領へと戻られた。」
そこで校長は一度言葉を区切る。目の奥には、当時を思い出すような苦渋が浮かんでいた。
「だが……そんな折、帝国の王族がどこからか“ティリオンの《核心》を喰らえば不老不死になれる”という情報を手に入れたらしい。」
「そして――奴らは“戦後の慰問”と称し、エルフの領に現れた。」
「その裏には、卑劣な策略が隠されていた。ワシの師匠を奇襲し、《核心》を奪ったのだ。」
「……その日を境に、師匠は深い眠りにつくことになった。」
「その報せを受けた瞬間、アイス殿は理性を失った。
最も信頼していた仲間の離れ。
そして、残りの唯一の友の裏切りともいえる惨劇。
その怒りと悲しみを胸に、彼はたった一人で王都へと飛んだ。
王族の血縁、王宮に集った貴族たち──
すべて、彼の吐き出した氷の咆哮に飲まれ、凍てついた。
そして……王都をまるごと滅ぼそうとした、その瞬間。
魔法使いギルドの奥深くから、植物人間となったカロルンが担ぎ出された。
その姿を見たアイス殿は、深く、苦しげに目を伏せ……呟いた。」
「……カロルン、お前が命をかけて守った“人間”は、これが現実だ。」
振り上げた爪をおろし、氷の翼を閉じながら、
彼は冷然と、だが悲哀に満ちた声で告げた。
「いいか、人間ども……」
「北の氷原へ一歩でも足を踏み入れたら──」
「来る者すべて、我が爪で葬る。」
「我が王国に近づくな。」
オグドン校長は深く息をつき、どこか遠くを見るような目で語り始めた。
「その後な……意識を取り戻したカロルン会長は、何も言わずに姿を消した。他の者たちは行方を知らなかったが──私は、知っている。」
「彼は、自らのをもって“呪いの地”の最深部へと赴き……エルフの領域へと迫る瘴気を、その身ひとつで食い止めているんだ。」
その言葉を聞いた陸虚は、その光の幻境を思い出した
「まさか……」
オグドン校長は、記憶の奥底を手繰るように語り続けた。
「……アイス殿についてだが、ワシが魔導師になりたての頃、一度だけ北の氷川域を訪れたことがある。だが──」
彼は苦笑を浮かべた。
「7級の力を持つアイス殿は、ワシを氷の結界で三日三晩、領域の外に閉じ込めた。何を言っても、何をしても中に入れてはくれなかった。」
沈黙が室内を支配した。
そこにあったのは、過去に取り残された氷のような悲しみと、
どうしようもない無力感だった。




