第七十話 意外
観客席――その誰もが、言葉を失っていた。
「……え、これ……マジ?」
「ちょ、ちょっと待て……大王、やられた?」
「嘘だろ!? あの化け物が人間ごときに……!?」
「……いや、待って……あれ……なんかおかしくないか?」
誰かが、ぽつりと呟く。
「大王……なんか、殴られてるのに、すっごく嬉しそうな顔してねぇ……?」
その瞬間、空気が変わった。
陸虚も違和感に気づく。
(……ん?)
目の前の闇エルフは、最初こそ防御姿勢を取っていた。
だが――
今はもう、完全に無防備。むしろ自ら拳を受けにきている。
しかも――
「……んっ♡」
「っ!?」
――妙な声が漏れた。
(……おい)
雷光の拳を止めた陸虚は、数歩あとずさる。
怒りが、冷めた。
「……なんだお前。もしかして……」
闇エルフは、頬を紅潮させながらうっとりと笑う。
「ダーリン、もっと、殴って……♡」
「――こっちはな、真剣に怒ってたんだぞ……!」
「こんな風に殴られたの、初めて……最高……♡」
頭を抱えながら、陸虚はそのまま女を首根っこ掴んで引きずり、縛られたエルフ少年のもとへ向かう。
「……最初からこうすればよかった」
小エルフの縄を解き、口の布を外す。
「は、はいっ……! あの、ありがとうございます……って、え!? ちょ、待って! 誤解です誤解!」
「誤解?」
「その、大王はちょっと……いや、だいぶ変態なとこありますけど」
「でも僕にはすっごく優しくしてくれましたし! ほんとはこんなことする人じゃ……」
「……」
視線を感じてふと横を見ると――
雷でボロボロになったはずの大王が、目にハート浮かべてこちらを見つめていた。
陸虚は思わず、眼鏡の奥で目を覆った。
「じゃあ……僕が来なかったら、どうなってたんだよ」
「え? ああ、そしたら大王が“じゃあ今回は見逃してやる”って言って、別の方法で貴方を誘き寄せようとしてたと思います!」
「…………」
「……つまり、全部計算通りだったんですね」
「……うん、もういい。僕の負けだわ」
変異者たちの本拠地――王宮。
……と言っても、その実態は壁は崩れ、天井は穴だらけ、家具は壊れかけのまさに“廃墟”。
その中央にある唯一マシな玉座の前で、陸虚は警戒心MAXで立っていた。
「……で。今回も“あの時の結晶”みたいなモノを探してんのか?」
「ふふっ、やっぱバレてた~?」
玉座の上、片足を抱えて座るのは――アラセリア・ノクシス。この都市の王、そして変異者たちの頂点に立つ存在。
「そうよ~。この前あなたが譲れた紫色の結晶、あれね? あれの魔力がすごくてねぇ、つい昇っちゃったの♡」
「……“昇った”って……」
「しかもまた来てくれたの、今度は一緒に行ってくれるのね? きゃー嬉しい♡」
「いや、話聞け。お前……」
「お前で言うなよ、私は名前がいるんよ “アラセリア”って呼んで? もしくは“ハ~二”でもいいわよ?」
「呼ばん。絶対に呼ばん」
(なんなんだこの女……)
陸虚は額を押さえながら、ぐっと堪える。
「本題に戻るぞ。――“法則干渉系の素材”、それがこの地の奥にあるって話……本当なのか?」
アラセリアはふわりと玉座から立ち上がり、腰に手を当てながらいかにも芝居がかった動きで言う。
「うんっ♡ 見つけたわよ~。だから、すぐにダーリンを迎えに行ったのに……」
「そしたらあなたったら、私のことあんなにボッコボコに殴って!」
「ううっ……ひどい……ひどいわ……♡」
「殴られながら興奮してた奴が何言ってんだよ……」
「で? 場所はどこなんだ?」
「ふふっ♡ 教えな~い」
「は?」
「一緒に来てくれるなら、案内してあげてもいいけど~? うふふ、どうする~?」
バンッ!
陸虚は椅子から立ち上がる。
「……じゃあ、いい」
「えっ!? ええっ!? えぇぇぇぇえええぇっ!?」
アラセリアの裏返った声が、廃墟に響いた。
「……先生」
ふと、横にいたエルフの少年が声を上げた。
「先生、大王と一緒に行ってあげてください」
陸虚は振り返る。
「……は?」
「前回、先生が譲れた紫の結晶……あれのおかげで大王は力を得て、ようやくこの地を守れるようになったんです」
「でも――倒したわけじゃない。あれは、“追い払った”だけです」
「今も、“それ”は呪われた地の奥で、さらに深い汚染を蓄えながら膨れ上がっています」
「今のままでは、この都市は……きっと守れません」
「……ふん。そんなの、僕に関係ない」
思わずそう言いかけて、陸虚は言葉を止めた。
――ふと、脳裏に浮かぶ。
グラディルと木彫りの鹿。
そして、この都市で出会った様々な“変異者”たちの暮らしと命。




