第六十九話 またの怒り
こうして、陸虚はこの都市に“住みつく”ことを選んだ。
表向きは、力も中途半端な“変異系の人間魔法使い”。
持ち前の霊符術を使い、昼間は魔獣を狩って素材を収集し、
それを城内の交換所で換金し、最低限の宿代と食費を稼ぐ生活。
「……ほらよ、今日の分だ」
「へえ、人間にしちゃやるじゃねぇか」
「俺なんて昨日、腕もがれたぞ……」
「だったら引退しろよ、ジジイ」
ギルドのような闇取引所で、今日も一日分の素材を渡す。
そして――
夜になると、彼は決まって“酒場”に顔を出す。
「“大王”様さあ、昔はもっと怖かったんだぜ」
「おい、声がでけえぞ。耳、切られんぞ?」
「……でもよ、聞いたか? 最近また“奥の領域”で動きがあるって」
「マジかよ……まさか“本物のやつ”が……」
薄暗いランプの灯りの中、陸虚は一人静かに酒を口に運びながら――
耳を澄ませていた。
そうして、変異都市での潜入生活が続いた。
陸虚は着実に情報を集め、ある日――
「……奴らが“南区画”を一斉掃討する日程が決まったか」
女王直属の処刑部隊が“奥域探索”の名目で出払う日を突き止め、それと入れ替わるように行動を起こす計画を立てたのだった。
だが、その日――小さな“偶然”が運命を狂わせた。
霧深い廃墟の裏路地。
陸虚はフードを深くかぶり、顔の大半を隠して歩いていた。
そのとき――
「……!」
偶然にも、**以前出会った“あの小さなエルフ族の少年”**と、すれ違ってしまった。
目が合ったのは、ほんの一瞬。
(……しまっ――!)
すぐに身を翻して、その場から立ち去った。
だが――
(……あの目)
少年の表情に、“確信”があった。
「……まさか、あの子に気づかれるとは……」
そして、それは最悪の形で“王”の耳に届く。
次の日から、都市全体が不穏な空気に包まれた。
巡回兵の数が倍に増え、街の出入口には魔物さえ通れない結界が敷かれた。
「なにがあったんだ?」
「なんか、大王が探しものあるらしいぜ……」
「でも情報が目元だけって……無理ゲーだろ」
(……完全に、バレたか)
陸虚は身を隠す場所を変えつつ、動向を探っていた。
だが――
「……大王様が、また“妙な命令”出したらしいぜ」
「“該当者が現れなければ、例のエルフの子を処刑する”って……!」
(……!)
競技場に集められた民衆の前――
そこには、縄で縛られ、口を封じられた小さなエルフの少年の姿があった。
場内はどよめき、誰もが噂している。
「マジかよ……“王”があの子を餌にしてんのかよ……」
「なんも知らねえ顔してるけど、王様ってやっぱ怖ぇな……」
その中央。
王座に腰を下ろしたまま、怠そうに髪をいじる暗黒エルフの女王が、ちらりと観客席を見下ろす。
「……さあ。出てきなさいよ、“人間の魔法使い”」
その声は、冷え切った笑みを含んでいた。
陸虚は、静かにフードの奥で目を伏せた。
処刑の刻限が、刻一刻と迫っていた。
観客席はざわつき、縛られたエルフの少年の顔には、不安と恐怖が滲んでいる。
そして――
「……時間ね」
王座から、黒髪の闇エルフが立ち上がった。
一歩、また一歩。
その完璧なプロポーションと優雅な足取りで、ゆっくりと闘技場の中央へと降り立つ。
「じゃあ……“見せしめ”を始めようかしら」
その手が、少年の頭上へと振り上げられた瞬間――
「……やめろ」
その声が、全場に響いた。
観客たちが一斉に振り返る。
フードを脱ぎ、姿を現したのは――陸虚。
その眼差しは、燃えるような怒りに満ちていた。
「……目的のために、仲間を餌にする? ……お前みたいな奴が、“王”かよ」
「はん、失望しかねえよ。ほんと、吐き気がするわ」
「……ほう」
闇エルフの口元が、にやりと歪んだ。
「人間の……イケメンじゃない。随分と口が悪いのね」
「――あの子ね、ずっとアンタのことをベタ褒めしてたのよ。“きっと助けに来てくれる”って」
「いいわ。楽しませてちょうだい、“自慢のヒーローさん”?」
怒りに燃える陸虚の眼鏡が、翠色の魔光を放ち、彼の精神を静かに安定させていく。
彼は怒りを我慢して呟いた。
「……すぐに、思い知らせてやる」
「純陽....ダメ....、純陰.......これもダメ.......落ち着け!癸水陰雷!」
バチッ――!
音もなく、陸虚の全身を陰の雷光が覆った。
殺気を滲ませながら、静かに構えを取る。
「……近接戦が得意なんだろ?」
「なら、付き合ってやるよ」
――次の瞬間、爆発的な加速と共に、彼の身体が宙を走る!
「っは、遅――」
闇エルフが反応し、防御の構えを取った刹那――
「フェイントだ」
――ゴッ!!!
拳が、真上から“上突き”で炸裂する!
ダークエルフの身体が、完全に予想外の軌道で吹き飛ばされ――
そのまま地面に叩きつけられる!
「……っ!」
そこからは――
「まだ終わってねぇぞッ!」
――拳、拳、拳!
陸虚がその上に跨り、雷光を纏った拳で容赦なく叩き込む!
ドカ! ゴガッ! ズガッ!!
観客席が、誰一人声を出せない。
戦場の中央に広がるのは――巨大なクレーター。
そして、その中央には、息を切らしながら暗黒の女王を殴り続ける、ひとりの“人間”の姿。
ドゴッ! ガガッ!! ズシャァッ!!
地面が砕け、大穴が空く。




