第六十三話 終わり
誰もが言葉を失っていた。
やがて、スミルナが石板をそっと閉じ、ゆっくりと立ち上がる。
「……祭り、まだ終わってないよな?」
その声は、少しかすれていたが、どこか穏やかだった。
「行け。酒も肉も残ってる。――せっかく来たんだ、楽しんでけ」
「……ああ、それと――」
陸虚の方をちらりと見て、ぽつりと付け加える。
「……帰ったら、カミロに伝えろ」
「“あの場所”で、待ってるってな」
スミルナの後ろ姿は、どこか遠くを見ているようだった。
スミルナは静かに主役の方を見た。
「……お前、今回よくやった。ドワーフを救いだけではなく長年の誤解を解いてくれた。感謝している」
「だから言え。ドワーフにあるものなら、何でもくれてやる。遠慮は無用だ」
その言葉に、陸虚は一瞬迷いもせず――
「……黄金、ください」
「…………」
スミルナは少し黙ってから、やや驚いた表情で言った。
「……ふぅん。てっきり鍛冶の奥義でも欲しがると思ったんだがな」
「いや、違うんですよ。僕が欲しいのは、あの帝国の混ぜ物入りの金貨じゃなくて――」
「“純金”です」
「……“純金”? ほう、それならあるぞ。帝国金貨とは違って、こっちは純度が高い」
「ただ、精製にも時間がかかる。準備が整ったら改めて知らせる」
「ありがとうございます!」
陸虚は心から頭を下げた。
再び祭り会場に戻ると、どこか落ち着かない表情のレイリアとトーマが近づいてきた。
「……陸先生、その……」
「リクくん、その……さっきの……その、雷とか、族長とのやりとりとか……」
「……ははっ、いいって。今さら敬語とかやめてくれよ。いつも通りで頼む」
陸虚は手を振って笑いながら言った。
「……トーマ、お前の試合まだ終わってないだろ? ほら、行ってこい」
「お、おう! 今度こそ優勝狙うわ!」
ティアリアもこの日は人型となり、焚き火のそばで酔っぱらったドワーフたちと談笑し始めた。
ヴァルゼリナも祭りの競技に出場し――
「妾身、腕相撲は初めてだが……やってみるかのう?」
そのまま予選から無双状態。
トーマが奮闘し、どうにか第三位を獲得したが――
栄光の第一位は、 “ドラゴンの女王様”にさらわれた。
翌日。
出発の準備を終えた商隊を見送りに来たのは、酒臭い笑顔のドワーフたちだった。
「また来いよ、来年の祭りにな!」
「今度はちゃんと予選から参加しろよー!」
「この酒は“友情の証”だ! 持ってけ持ってけ!」
大量の樽が、荷馬車に積み上げられていく。
陸虚はその景色を後ろに、馬車の上で風に吹かれながら、静かに息を吐いた。
「……さて。次は、何の材料か……」
彼の旅路は、まだ続く。
旅から帰ると、すでに年は明けていた。
新学期の入学式――とっくに終わっている。
「……また一年が始まっちゃったなぁ。結局、今年の式にも間に合わなかったか」
揺れる馬車の中、陸虚は風を受けながらそう呟いた。
隣では、元気いっぱいなヴァルゼリナが、樽酒の空き瓶を抱えて寝転んでいる。
「……それ、リブィ先生に持っていく予定だったんだけどな……」
「ふにゃ……だって、道中ずっと揺れてたんだもん……飲むしかなかったじゃろ……」
「お前が言うと本当に正当化に聞こえるのやめてくれ……」
そして、帰宅。
「……ただいまー。ノア、帰ったぞー」
しかし、出迎える姿はない。
(あれ、買い物でも行ってんのかな……?)
特に気にせず上着を脱ごうとしたそのとき――
「ピンポーン」
チャイムが鳴った。
「はーい」
玄関を開けると――
そこにいたのは、小さな女の子。
ノアによく似ているが、サイズが一回り小さい。
顔立ちはそっくりだが、目つきはキリリと鋭い。
「……?」
「……今日から、お姉ちゃんはここで働かないって言ってたから!」
「えっ……?」
小さな女の子――ミニノア(仮)は、室内を覗き込み、すぐにヴァルゼリナの姿を見つけた。
「……な、なによあのお姉さん!! きれいだけど、きれいだけど……っ!!」
「……今日から、お姉ちゃんはもう、あなたの家の仕事を辞めますっ!!」
ツンツンした怒りのまなざしで、陸虚を睨みつけてくる。
「……え、ちょ、まっ……ノア!? それとも妹!?」
事態が飲み込めないまま――
陸虚の“平穏な日常”は、新たな火種を迎え入れるのであった。




