第六十二話 真実
吊るされたまま、陸虚の脳内がフル回転する。
(魔導師の昇格には、“奥義”を持っているだけじゃ足りない……)
(“奥義との融合”……すなわち、自身と奥義が完全に重なり合う“覚醒”が必要だ)
(……カミロ校長が秘法を“読んだだけ”で、一晩で昇格? 普通に考えて、おかしい)
(でも――もし、それが“偶然の悟り(頓悟)”だったら……?)
陸虚は、スミルナの奥義を思い出す。
(族長の奥義は“戦鎚”……物理系だ。カミロ校長のは“熔炉”――)
(熔炉……火属性の象徴)
(火……!?)
(まさか、“師匠が言ってた”あの秘法……!)
――“厭火篇”。
炎に焼かれながら心の中の“雑念”を燃やし尽くし、真の己に至る、火系修行の最終段階。
(あれだ……!)
(“見火明心”、火を見て己を知る――)
(だから、カミロ校長はその秘法を読んだ瞬間、奥義の“熔炉”とリンクして、悟ったんだ……!!)
陸虚の顔に、確信が浮かぶ。
「――族長!!」
大声で叫ぶ。
スミルナが、狼牙棒を構えたままピタリと止まる。
「……なんだ」
「あなた、カミロ校長のことを――誤解してます!!」
「……は?」
「それ、“裏切り”じゃなくて――“偶然の悟り”だったんです!!」
「秘法の内容と、校長の奥義の相性……全部つながりました! 校長は、あなたを裏切ったんじゃない!!」
「ただ――“先に気づいてしまった”だけなんです!!」
スミルナは冷たい笑みを浮かべながら、狼牙棒を肩に乗せて言った。
「……で? お前、今の説明で私が納得するとでも?」
「……いや、でも本当なんです!」
「ほう。じゃあ聞くがな――」
彼女は、ぐっと前に歩み寄る。
「その秘法、“吸収される前”は圧倒的な魔力を放っていた」
「今はどうだ? “カラ”だ。“魔力のかけらも感じねぇ”」
「それで“悟った”? ――馬鹿も休み休み言え!」
「……っ!」
陸虚が何か言い返そうとした瞬間、ぐっと目を見開いた。
「……だったら、見せます!」
「僕の力で、“その秘法”を元の姿に戻してみせます!!」
「……ほぉ?」
スミルナの眉がぴくりと動いた。
「嘘だったら、命はないと思え」
「覚悟の上です!」
しばしの沈黙のあと、スミルナは静かにロープを解いた。
「……そこに、置いてやる」
ズシン、と古びた石板が目の前に置かれる。
陸虚がその石板に目を向けた瞬間――
(やっぱり……! “厭火篇”だ! これは……師匠が書き遺した、間違いない!)
すぐさま彼は、陰陽金丹の核心から、精緻な“本源の霊力”を引き出し、石板に注ぎ込んだ。
――だが。
何も起こらなかった。
「……っえ?」
「ふんっ」
スミルナが腕を組み、不敵に笑う。
「他に言い訳は?遺言だけで許すぞ」
「……いや、いや、そんなはずは……」
陸虚は混乱しながらも、背後をちらりと振り返った。
その瞬間――
「もぐもぐ……」
紅龍ヴァルゼリナが、頬を膨らませながらなにかをもぐもぐと咀嚼していた。
「……なに食ってんの?」
「……え? さっき、そなたの放った霊力、すっごく美味しそうな匂いがして……つい、吸っちゃった♡」
「お前かーーーーーッ!!」
陸虚は勢いよくヴァルゼリナの頬を両手でひっぱった。
「今それどころじゃねぇだろうが!!」
「だって、妾身、我慢できなかったんじゃもん……」
「……はあぁぁぁ……もういい、あっち行ってて!」
彼はヴァルゼリナをわきに押しやり、もう一度金丹を練り直す。
「今度こそ――!」
再び放たれた本源霊力が、静かに石板に触れる――
――ボッ!!
石板の表面が、真紅に燃え上がるような輝きを放った。
古代の魔力文字が一つ一つ浮かび上がり、石板からは圧倒的な火の波動が溢れ出す。
「……っ!」
スミルナの目が、見開かれたまま止まった。
「――これは……」
石板が真紅の輝きを放つ中、陸虚が静かに言った。
「……これが、当時の“厭火篇”の姿です。族長……覚えてますよね?」
スミルナは、しばし躊躇した後、ゆっくりとうなずいた。
「……ああ、間違いない。あの時と、まったく同じだ」
「……もしよければ、もう一度。今のあなたなら、正しく向き合えるかもしれません」
陸虚がそう告げると、スミルナはわずかに震える手で石板を受け取った。
その場に座り込み、深く呼吸を整え、目を閉じる――
……空気が、静まり返る。
時間にして、約10分。
スミルナは、ゆっくりと目を開いた。
「……何も、起こらなかった」
「……そっか」
その瞬間、彼女の脳裏に、記憶がよみがえった。
――あの日。
二人の若き魔導師志望のドワーフが、“厭火篇”の石板を手にして興奮していた。
「ついに、我らドワーフから“6級”が出るぞ!」
「どっちが先に昇格するか、勝負だな!」
そう言い合いながら、祝杯を上げたあの夜。
酒の勢いで、カミロがふと“先に見るだけ”のつもりで石板を開いた――
――その一瞬が、すべてだった。
奥義《熔炉》と“厭火”の性質が奇跡的に一致し、彼はそのまま一夜にして魔導師へと至った。
ドワーフの空に輝く“昇格の光”は、まるで祝福のように夜を照らしていた。
――だが。
スミルナには、それが“裏切りの証”にしか見えなかった。
どれだけ説明されても、怒りと悔しさが勝っていた。
――そのまま、カミロを追放した。
その後、カミロは北方にて「アカデミア・カラン魔法学院」を設立し、一度だけ戻ってきた。
……その時も、彼女の答えは、無言の“戦鎚”だった。




