第三十九話 リセル
三日目の午後、二人は王都郊外の小川沿いを散歩していた。そこで、陸虚は見覚えのある顔を見つけた。
「……リセル?」
貴族らしき青年たちの輪の中心で、リセルが酒を片手に談笑していた。
「おや、まさかここでお会いできるとは!」
リセルが笑顔で駆け寄ってきた。その後ろで、彼と共にいた数名の貴族の子弟たちが、
ちらちらとノアを盗み見る。
――その視線に、陸虚の眉がピクリと動く。
「……」
だがその前に。
「お前ら、あのレディーさんをもう一度でもジロジロ見たら――お前らの家、明日から王都に“存在しない”からな?」
リセルの一言で、その場の空気が凍りついた。
一瞬で全員、背筋を伸ばして真顔になった。
陸虚が目を細める。
「……ほう。お前、案外“威厳”あるじゃないか」
リセルは肩をすくめて笑う。
「いやいや、あいつらはただのバカだけでそこまで悪くはないよ。自分の立場をわきまえてるだけです」
横から一人が手を上げて言った。
「そうです! リセル兄貴についていけば、遊べるし勉強しなくて済むし、家からも文句言われまん!」
「……公爵家の“使えない二男坊”ってな、実は最強の“バフ”だってこと、ようやく皆わかってきたんスよ~!」
リセルが豪快に笑うと、その場の皆も大爆笑。
だが――
その笑い声が、途中で止まった。
「……?」
「……なに、急に静かになってんだよ?」
リセルが訝しんで振り返ると――
一人の貴族の少女が、腕を組んで彼を睨んでいた。栗色の髪を三つ編みにしたその少女は、気品と怒気を湛えた目で、まっすぐリセルを見つめていた。
「――リセル様。今の言葉、もう一回言ってみ?」
「……げっ……カミラ……」
リセルはどこかバツが悪そうに頭をかいた。
「……ごめんごめん、俺が悪かったよ」
「“自分は役立たず”なんて、二度と言わないこと!」
カミラはリセルの胸ぐらを掴む勢いで言った。
「はいはい……もう言いません、言いませんってば……!」
何とかご機嫌を取って、カミラをその場から立ち去らせると、リセルは息をついた。
「ふぅ……やれやれ、あいつ相変わらず怖えぇ……」
横でそれを見ていた陸虚が、ぼそりと呟いた。
「……今のは一体、どういう関係なんだ?」
「んー、まあ……隠すことでもないっすよ」
リセルは周囲の貴族たちに手を振って散らせた。
「はいはい、今日はここまでー。解散、解散! 家に帰って飯食えー!」
「えー、もうちょっとだけー!」
「言うこと聞かないと、次はもう二度と遊びに出られるなんて思わないでよ!」
「それだけは勘弁ー!」
そうしてわいわいと皆が散っていく中、リセルは一息ついて、腰を下ろした。
「……はい、陸先生も一杯どうぞ。いい酒っすよ」
そう言って、彼は陸虚に一本の酒瓶を差し出す。
「ほう、悪くないな。ありがとう」
陸虚が受け取るのを見て、今度はノアにも一本渡そうとする。
「ノアさんも――」
「え、あ……お酒はちょっと……」
ノアが遠慮がちに手を引っ込めると、リセルはすぐに代わりの瓶を差し出した。
「おっと、失礼。じゃあこれはジュース。ノンアル、甘いやつっすよ。たぶん好きだと思う」
「……ありがとうございます」
ノアは少し恥ずかしそうに、それを受け取った。リセルは酒瓶を傾けながら、ふと遠くを見つめた。
「……カミラとは、幼馴染なんすよ。伯爵家の娘で、俺とは小さい頃からずっと一緒」
「ほう。じゃあ付き合いは長いんだな」
「ええ。貴族向けの魔法学校にも一緒に通ってました。俺も兄貴と同じく、炎魔法に目覚めて――周囲には“将来有望”って言われてたんですけどね」
苦笑しながら、リセルは続けた。
「……でも、ある事故で“道”が終わっちまった」
「事故?」
「はい。あれは……学校で、先生が旧皇族の遺物を見せてくれる授業でのことでした。――突然、それが爆発したんです」
陸虚の目が鋭くなる。
「……それは、王都にありがちな“陰謀”ってやつじゃないのか?」
「そう思うのも無理はないですけど――たぶん、違いますよ」
リセルは真剣な顔で言った。
「そのとき、魔導士の先生が身を挺して生徒たちを守ってくれたんです。魔力核心を三つも砕いて……それでも生徒全員を無事に逃がそうとしてくれた」
「……“全員”?」
「全員……のはずでした。ただ、カミラだけが、なぜか動けなかった」
リセルの表情が少し曇る。
「まるで、何かに精神を支配されたみたいに――ぼんやり立ち尽くしてた。それを見て、俺が……引っ張った。……それだけのことですよ」
「……それで、根本が傷ついた?」
「はい。その結果はもう二度と、2級以上にはなれない身体です」
リセルは軽く笑ってみせたが、どこか哀しげだった。陸虚は酒をひと口すすって、眉をひそめた。
「……それでも、やっぱり気になるな。“偶然”にしちゃ出来すぎてる」
「陸先生――」
リセルは首を横に振った。
「そんな露骨な罠、うちの親父が黙ってると思います?王都で公爵家の子に手を出すなんて、命がいくつあっても足りませんよ」
「……つまり、“アホな陰謀”を仕掛けるバカは、もうとっくにこの街から淘汰されたと?」
「そういうことっす」
リセルは笑いながら、肩をすくめた。
「……ま、俺としては“ちょっと不幸な事故”で片付けてますけどね。そのおかげで、こうして“お気楽な次男”の立場ができたわけですし」
「――意外だったな」
陸虚はぽつりと呟いた。




