第三十五話 ミリナとリセル
その頃――
屋敷の奥を、執事は急ぎ足で歩いていた。後ろには慌てた様子の若い使用人が続く。
「……で、ミリナお嬢様がいないだと!?それは一体、いつの話だ!」
「さっき、おやつをお持ちしようとして部屋に入ったら……窓が開いてて、荷物も何か動かした形跡があって……そ、それで慌てて執事様のところに……!」
「……っ!」
執事は思わず顔をしかめた。
「……まずいな。よりによって今日……!」
「ど、どうします!? 公爵様にご報告を――」
「ダメだ! 公爵様は今、書類に埋もれておられる。それに……今日は副当主様がお戻りになったばかりだ。ほんの少しでも、穏やかに過ごしていただきたい」
「でも、お嬢様が――!」
「……だからこそ、今のうちに探し出す!外に出られる道は、正門だけに絞ってある。門兵には“ミリナ様らしき外出の兆候があったらすぐ連絡”と伝えてある」
「じゃ、じゃあ……まだ屋敷の中に?」
「可能性は高い。今すぐ全使用人を動員して、庭園と建物内を徹底的に探せ!――最悪、三十分以内に見つからなければ、その時点で公爵様に報告だ!」
「は、はいっ!」
(――まったく……あの方が戻ってこられた途端に、これか……ミリナ様、お気持ちは分かりますが……せめてもう少し、タイミングというものを……!)
屋敷の中――
人の気配が完全に遠ざかったのを確認してから、クローゼットの扉がそっと開いた。
中から、ミリナとリセルが身をかがめながら這い出てくる。
「ふぅー……危なかった~!」
「……お前なあ……」
呆れたように額を押さえるリセルの横で、ミリナはニヤリと笑った。
「さすが次兄様! あの“調虎離山の計”、完璧だったわ!」
「……そういうことを誇らしげに言うな。っていうか“調虎離山”ってどこで覚えたんだよ……」
リセルは小さくため息をつき、ミリナの顔をまっすぐ見つめた。
「……本当に行くんだな? 北方へ?」
ミリナは少しだけ唇を尖らせながらも、はっきりと頷いた。
「うん。だって……シフおじさまが、また私を置いて出て行っちゃうんだもん。だったら……長兄さまを頼るしかないでしょ!」
「……あそこはライフタリンと違って、魔獣もうろついてるような土地だぞ?“王都の箱入り娘”が、そう簡単にやっていけると思うなよ」
「大丈夫! 私には才能があるの。アカデミア・カラン魔法学院に入って、またフレアヴァルト家の“子獅子”として名を上げるんだから!」
「……こっちの頭が痛くなるわ……」
リセルはぐしゃっと髪をかきむしったが、最終的には肩をすくめた。
「……はぁ。分かったよ。噴水の裏に抜け道がある。そこから出れば、裏門を通らず外に出られる。あとは俺が手配した商隊が拾ってくれる。……今夜中に、北部へ向かう便だ」
「さっすが次兄様♡」
ミリナはぱっと飛びつき、リセルの頬に軽くキスをする。
「なっ……お前なぁ……っ!」
真っ赤になって怒るリセルを尻目に、ミリナはくすくす笑った。そのまま二人は、屋敷の陰を縫うようにして、噴水の方へと身を潜めて進んでいった――。
フレアヴァルト家の庭園・中央の噴水付近。ミリナとリセルは、屋敷の陰を縫うようにして、ひっそりと歩いていた。
「……もうすぐ噴水。そこを抜ければ……」
「さすが次兄様、完璧なルート設計だわ♪」
しかしその時、リセルがふと足を止めた。
「……ん?」
「どしたの?」
「……噴水の前に、誰かいる」
「……えっ?」
二人はそっと身をかがめて、草陰から噴水の方をのぞいた。
そこには――
ノアの膝を枕にして寝転がる陸虚の姿。
「……ちょっと! あの男が大白昼に何してんのよ、あれ……」
「……いや、見なかったことにしよう。今は急ぐほうが――」
だが、その時だった。陸虚がふと体勢を変えようと、ノアの膝からくるりと身を起こした――
そして目が合った。
草むらの中で、二人の影。
――六つの目が、完璧な沈黙の中で交錯した。
「………………」
「………………」
「………………」
沈黙。空気が固まる。
そして、先に口を開いたのはミリナだった。
「アンタら、なにしてんの!? 勤務中にいちゃいちゃしてサボってるじゃん!執事に言いつけて給料減らしてもらうからね!」
突然の怒声に、ノアはビクッと肩を跳ねさせ、慌てて立ち上がった。
「ち、ちがっ……な、なんでもしてませんからっ!」
結果――
「うわっ――っ!」
その反動で、陸虚が地面に転がり落ちる。
「いってぇ……! お前なぁ、加減ってもんが……!」
陸虚は草を払いつつ、草陰の二人を指差して言い返す。
「っていうか! お前らこそなんでこそこそしてんだよ!この家に忍び込んだ小泥棒か!」
「はっ!? 小泥棒って……あたしの顔、知らないの!?」
「知らねーよ!あんたが誰かなんて、どうでもいいのよ。!」
リセルは少し目を細め、陸虚の胸元にある“オレリス魔法学院”の紋章に気づく。
「(……あー……まさか…)」
そっとミリナの袖を引きながら、低く言った。
「……落ち着け…相手は……」
ミリナはぷるぷると肩を震わせながら叫んだ。
「こんな口の利き方されたの、人生で初めてなんだけど!?ぜっっったい、懲らしめてやるから!」
「はぁ!? 調子乗んなよ小娘が! あーもう分かった! お前が誰か思い出した!いいか!? 今から大人呼ぶからな、泣くなよ!?」
そう言って――
「雷花!!」
バチンッ!
空に向かって、雷属性の花火が弾け飛ぶ!
轟く爆音。空に瞬くオレリスの紋章――
「うわっ、ちょ、待っ……!」
「バカ、何呼んで――」
――そしてその光を見て、即座に駆けつけたのは――
「……おい。ここでなにしてる?」
現れたのは、冷たい声音を響かせる炎の魔導士――シフ教頭だった。




