第三十二話 昔
「じゃあ、頼んだぞ」
シフが真っ直ぐに頭を下げると、立ち上がりかけた。
だが――
「……あ、あの、せっかくだし、何か食べてから行きませんか?」
軽い気持ちで言った社交辞令だった。
が――
「うむ。じゃあ、いただこうか」
「……え、今の冗談――え、マジで!?」
シフは全く躊躇う様子もなく、当然のように頷いた。
(こ、この人……本当に、律儀というか、素直というか……)
内心で頭を抱えながらも、陸虚はすぐにノアを呼んだ。
「ノア、買い出しお願い。あとさ――」
こっそりと耳打ちする。
「学校に行って、リブィ先生も呼んできて。僕とシフ教頭の差し向かいとか、飯が喉を通らないんだ……!」
ノアは苦笑しながら頷き、急ぎ外出していった。
リビングには、陸虚とシフの二人。
なんともいえない、静かな空気が流れる。
(……話、振った方がいいのかな……でも何から……)
そんな陸虚の様子を察したのか、シフが口を開いた。
「聞きたいことがあるんだろう?……俺が貴族の家を出た理由について」
「……!」
「本当のことだ。昔、貴族社会のやり方にどうしても馴染めなかった。そのとき、オグドン校長に出会ったんだ。彼の教えで、目に見えるものが、必ずしも真実とは限らない,その時フレアヴァルト家の重いを気づいた。だから――今、家に何かあっても、俺はもう目を背けない」
「……うん、仕方のないことも、あるかもしれませんね。」
会話は、次第に仕事の話へと移っていく。校務の裏話、学生の成績、最近の魔導書の流行……そんな他愛もない話を重ねながら、時は流れた。
夕暮れ時――玄関の扉が開いた。
「ただいまですー! ……連れてきました!」
ノアの後ろから、リブィ先生がにこにこ顔で登場。
「おう、まさかお前ん家にシフがいるとはな……」
そして、手に持った瓶をテーブルにドンッと置いた。
「特製・五年物フルーツ酒だ。実は五年ものじゃなくてな、ワシの特別な技術を使って、そういう風味を出しただけだ」
「……リブィ先生、本当に薬剤師なの?得意な錬薬の技術あるくせに、なんでそれで毎回飲み物ばっか作ってんだよ…… 」
ノアが丁寧に作った料理がテーブルいっぱいに並び、宴はにぎやかに進んでいた。
酒が三巡した頃には――
いつも無表情なシフ教頭も、どこか肩の力が抜けたように見えた。
「……家族の話か。そうだな。俺が大魔法使いになったのは、二十五歳のときだ。まだ若くて、気が立っててな……貴族のあれこれが、どうしても耐えられなかった」
そう語るシフの目は、どこか遠くを見ていた。
「それで、家を飛び出したんですね?」
陸虚が聞くと、シフは小さく頷いた。
「――俺が出て行ってから、敵対家族は、うちの評判を落とそうと必死だったよ。“兄弟が奥義の継承を巡って争った”なんて噂まで流してな」
「えっ、奥義で反目? ……どういうことですか?」
ここで口を挟んだのは、酒を片手ににやけたリブィ先生だった。
「おいおい、知らなかったのか?“奥義”ってのは、魔導師になるための通過点だ。九つの魔力コアを、特定の順序で融合させないと、完成しないんだよ。つまり――“一系統につき一人しか奥義を継げない”ってこった」
「……そんな厳しいものなのか……」
陸虚は驚いたように呟いたが、リブィは内心こう思っていた。
(――入学式の日、お前が呼んだ雷龍。あれ、銀の角があったよな。……あれは、どう見ても奥義級。……しらばっくれてやがるな、この小僧……)
だが、リブィは口に出さず、笑って話を続けた。
「シフのやつもすごいぞ。オグドン校長の手助けを受けて――“既存の継承法則に頼らない新しい奥義”を切り拓いたんだからな」
「……だからこそだ」
シフは、グラスの中を見つめたまま言う。
「もし俺が帰還すれば、“炎獅子家に奥義魔導士が二人”になる。他の家門にとっては、均衡が崩れる脅威だ。だから――帰れない。いや、帰らないと決めたんだ」
一瞬、場に静寂が訪れたが、リブィがふっと笑って流れを変える。
「……まあな、陸先生。お前、前に貴族にひどい目にあったって聞いたけど――全部が全部、腐ってるわけじゃないぞ?」
「……え?」
「王都にはいろんなヤツがいる。でかい顔してるのもいれば、正義感強くて命懸けで民を守ってるヤツもな」
そう言いながら、リブィは酒瓶を傾けてニヤリと笑う。
「……だからさ。今回王都に行くときは、独りで行くな。ノアちゃんも連れてけ。街を歩いて、空気を感じて、自分の目で見て判断しろ。貴族社会ってやつをな」
陸虚は少し黙って、それから微笑んだ。
「……そうだな。せっかくだし、ノアと王都デートでもしてみるか」
「……デ、デートって……!?」
慌てるノアの声が、酒の香りの中に響いた――。




