第三十一話 案外な客
数日後――
陸虚の家、午後の光が差し込む静かなリビング。ソファに深く腰掛けた陸虚は、じーっと一点を見つめていた。視線の先には、せっせと掃除をしているノアの姿。
……そう、彼女を、ひたすら眺めていた。
「……な、何ですか、その目は……」
ノアが頬を赤らめ、ちらりと振り返る。視線に気づきながらも、どこかうれしそうに口を尖らせた。彼女の頭にふと浮かんだのは――数日前のこと。任務を終えて帰ってきた陸虚が、妙に神妙な顔をしてこう言ったのだ。
「……いいもの、あげるよ」
そして彼が取り出したのは、魔法コアをはめ込んだのメイド服だった。完成されたその衣装は、淡い緑色の光を帯びており、上質な魔法布と細部の刺繍が、ただの作業着とは思えない輝きを放っていた。
「……こ、こんな高そうなもの……私には、もったいないです……!」
そう言ったノアに、陸虚はあっさりと答えた。
「なに言ってんの、これは君の“仕事着”でしょ?」
「……し、仕事着……って、それは……!」
恥ずかしさと嬉しさの狭間で揺れながら、ノアはその服を身にまとった陸虚が口を開いた。
「……その服、着心地はどう?」
ノアは一瞬驚いたように目を瞬かせ、そして静かに微笑んだ。
「……とても、気持ちいいです。なんというか……服が生きてるみたいで、勝手に体に合わせてくれるんです」
「ほう?」
「あと……ずっと心地よい温度を保ってくれてて、まるで誰かに包まれてるような安心感があるんです。すごく、不思議ですけど……あったかくて、嬉しい……」
その言葉に、陸虚の顔に満足げな笑みが浮かぶ。
「なるほど……じゃ、ちょっと実験してみるか」
「……へ?」
そう言って、陸虚は指先でひとつ魔法陣を展開し、小さな光弾を発射した。
ノアは一瞬驚いたものの、彼の目に悪意がないことを直感で察し――動かなかった。
魔法は、ノアの体に届く直前――
女僕服の表面でふわりと吸収された。
「……え?」
ノアが状況を理解する間もなく、今度は陸虚がキッチンから菜切り包丁を持ち出し――
「よし、次はこれだ」
「えええええええええっ!?」
「動くなよ。信じてるからな」
「ちょ、まっ……!」
しかしノアは、目をつぶりながらも、一歩も動かなかった。
――シュッ。
鋭く振り下ろされた刃は、ノアの肩口を真っ直ぐに叩いた。
だが――服がふわりと波紋のように反応し、衝撃は一瞬で吸収される。
ノアの体には、まったくの無傷。
「……すごっ」
陸虚は目を見開き、満足そうにうなった。
「これで、もう刀も魔法も通じないな。……小悪党に絡まれても、心配なしだ。」
そして何よりも、鏡の前に立つ彼女の姿は、まさに――人は衣装で変わるという言葉を体現したようだった。
それ以来――
陸虚は、ことあるごとにノアの作業姿を眺めるようになった。
「……なにか?」
「いや、別に。ただ眺めてるだけ」
「……また、ですか。そんなに見ても、何も出ませんよ……!」
「いやいや、“愛でる”って大事でしょ?美しいものを見てるだけで、心が癒されるってもんさ」
「……はぁ……まったくもう……」
口では文句を言いながらも、ノアの耳はほんのり赤く染まり、その背中は――どこかうれしそうに弾んでいた。
「……いやぁ、やっぱりノアはいいな……この角度からの眺めも最高……」
ソファで頬杖をつきながら、陸虚は今日もまた“女僕鑑賞タイム”を満喫していた。
だが――
――ピンポーン♪
玄関のチャイムが鳴り響いた、その瞬間。
「っ!!」
ノアはまるで処刑前の囚人が助けられたような勢いで、玄関へ走っていった。
「し、失礼しまーすっ!」
「……おいおい、誰だよ、こんなタイミングで空気の読めないヤツは……」
不満げにぼやきながら、陸虚も腰を上げる。
そんな中、玄関先からノアの声が聞こえてきた。
「旦那様ですか? 在宅です。……はい、すぐ呼びますね」
(ん? なんだ、誰だ……?)
陸虚はぼんやりと廊下を歩き、玄関の角を曲がった。
――その瞬間。
彼の全身に緊張が走った。
「……シ、シフ教頭っ!?」
目の前に立っていたのは――
炎の魔導士にして、オレリスの教導主任、そして伝説の“炎のフェニックス”。相変わらずの鉄仮面のような無表情で、こちらをじっと見つめていた。
「……少し、話がある」
「ひ、ひぇ……あ、あの、僕、何かやらかしました……っけ……?」
汗を垂らしながら、陸虚は精一杯の笑顔を浮かべる。
「と、とにかくっ、ど、どうぞ、お入りください!ノア、最高級のお茶を出してあげて!」
「は、はいっ!」
ノアは内心(さっきまでおちゃらけてた人が、秒でこの態度か……)と驚きつつも、
急いで台所へ駆け込んでいった。
シフは湯呑みを置き、ふたたび無表情のまま口を開いた。
「……エルフ領に行ってたそうだな」
「はいっ、そうです。任務で……薬の輸送に……」
(こ、こえぇ……目の奥が光ってる気がする……!)
「それと――随分と、向こうで活躍したらしいな。エルフたちの大きな問題を解決して、ついでに……シオンの家出も“見事に治した”とか?」
「……あっ、ええ、まあ……一応……」
(な、なんだ……!?やっぱりエルフに肩入れしたのがマズかったか?いや、シフ教頭って貴族嫌いでオレリス来たんじゃ……じゃあ、なんの怒り?何の圧!?)
――ぐるぐると思考を巡らせていた、その時。
バンッ。
突然、シフが席から立ち上がった。
「……頼みがある」
「は、はいっ!!」
ビクンと反射的に立ち上がった陸虚。
(こ、これは……まさか……ダンジョンに一緒に行くとか!?それとも……エルフ領のどこかに仕掛けた魔力の残滓の掃除!?)
シフは真顔のまま、重々しく言った。
「――俺の姪を、説得してくれ」
「……へ?」
「訳も分からず、“自分もシフおじさんみたいに家出する!”って言い出してな……先月戻ったときに説教したが、聞く耳を持たん」
「えっ、あの……」
「お前、そういうの得意だろ?家庭のややこしいの。シオンの件も立派にまとめたそうじゃないか。――頼んだぞ。」
「……は、はい……」
(う、うそだろ……!?)




