第二十九話 解決
感染の森をさらに進む中、霧が薄れ、次第に静寂が深まっていく。
「……なんだろう。僕、なんとなく分かる気がする」
歩きながら、陸虚がふと呟いた。
「……分かるって、何が?」
「君の父さんの場所。……なんとなくだけど、感知できるんだ」
「またあなたの世界の変な感知法?」
シオンが半信半疑で問うと、陸虚は笑いながら、
耳にかけた眼鏡を指で軽く叩いた。
「違うよ。これは……ティアリアが反応してるんだ。きっと、ティリオンの“気配”を通して何かを感じ取ったんだと思う」
「……ティアリアが……?」
そう呟いたシオンの瞳に、一瞬驚きと尊敬が入り混じった光が宿った。
――そして。
小高い崖のふもと、半ば崩れた山の裂け目の中。
二人は薄暗い洞窟の入り口にたどり着いた。
中から微かに聞こえる声――
「……父さんだ!」
シオンが思わず駆け出そうとしたその瞬間、陸虚が彼女の腕を掴んだ。
「待って。まずは様子を見るんだ」
「……っ」
シオンは唇を噛みながらも、彼の言葉に頷いた。
洞窟の奥。
焚き火の明かりに照らされたその中には、アレンシルと、肩を怪我しているグラディルの姿があった。
「……すまない、隊長……僕が、あなたを巻き込んだ……」
「バカ言うな。さっき俺を庇って一撃食らったのはお前だろ」
アレンシルは深く息をつきながら、やや笑って言った。
「お前が、あの影を“息子だ”って言ったとき、俺は正直信じられなかった。……でも、今なら分かる。俺だって……同じ立場なら、同じことをしてるさ。子どもを見捨てられる親なんて、いないだろ」
そう言いながら、ふと焚き火を見つめ、独り言のように続けた。
「……リネアがな、シオンに魔法を教えたがらなかったの、あれは、あいつなりの“守り方”だったんだと思うんだ」
「……?」
「昔な、リネアはティリオンの異変に気づいて、自分の人生全部かけて“魔力消失”の謎を追ってた。でも――結果は出なかった。どれだけ調べても、何も解決できなかった。最後に残ったのは、絶望と、自分の無力感だけだった」
焚き火の炎が、ゆらりと揺れる。
「だから……シオンにも同じ思いをさせたくなかったんだ。“才能があるのに、届かない”――そんな苦しみを」
一瞬、洞窟の中に静寂が戻る。
だが次の瞬間、アレンシルは小さく笑った。
「……でもな、今のあいつを見てると、少し思うんだ。あいつ……あの先生と一緒にいることで、リネアが辿り着けなかった場所に、もしかしたら……ってな」
「……リネア、お前……やっぱり少し、間違ってたかもな。お前ができなかったことを、あの子がやる日が来るかもしれないんだよ」
焚き火のゆらめく明かりの中、アレンシルの瞳がぼんやりと宙を見ていた。
「……あれ? 俺、もしかして……もうすぐ死ぬのか……?」
ふと、そんな独り言がこぼれる。
「なんか、走馬灯でも見てる気分だな……シオンが目の前にいるとか……さすがに都合良すぎるだろ……」
その瞬間――
「父さんっ!」
シオンが走り込むように飛びつき、アレンシルの体をしっかりと抱きしめた。
「……本当に、そうだったの?母さんが……そんな風に考えてたなんて……」
アレンシルは、娘の温もりを感じた瞬間、目を瞬かせた。
「……お、お前……夢じゃ……ない……?」
その横で、陸虚が軽く笑った。
「夢じゃないですよ。あなたが森に来たって聞いた途端、彼女が“行く”って聞かなくて。――僕は先生なんでね、仲間の命を守るのも仕事なんです」
「お、お前……!」
アレンシルは娘を抱き返し、言葉にならない感情で喉を詰まらせた。
そんな親子の再会を横で見ていたグラディルは、少しだけ視線を伏せ、
どこか寂しげに微笑んだ。
それに気づいた陸虚が、ふとグラディルに向き直る。
「……大叔さん、実は、あなたの息子さん、生きてました」
「――なっ……!」
グラディルは勢いよく立ち上がろうとしたが――
傷口に響いてそのまま崩れるように座り込んだ。
「い、いてぇ……っ!」
「だから言ったじゃないですか、落ち着けって」
陸虚は苦笑しつつ、グラディルに近づきながら続けた。
「今はティリオンの果核があるから、感染は抑えられてるけど……ちゃんと手当しないと、いずれ“あっち側”に引きずられますよ」
そう言って、荷物から包帯と薬を取り出し、手早く傷の処置を始める。
その手を動かしながら、陸虚は静かに語りかけた。
「……あ、そうそう。これ、息子さんから預かったものです」
手渡されたのは――小さな木彫りの鹿。
グラディルはそれを見るなり、震える手でそれを抱きしめ、
次の瞬間、顔を覆って泣き崩れた。
「……生きてるなら、それでいい……会えなくても……言葉を交わせなくても……もう、それだけで……」
涙が、ぽたり、ぽたりと土に落ちていく。
陸虚はその姿を見ながら、そっと口を開いた。
「……でも、まだ安心しないでください。彼は今、“ただの子ども”じゃない。この森の深層で、なにか“もっと大きな存在”に支配されかけてる」
「……今のままじゃ、あなたに会わせることはできません」
グラディルは、それでも何度も頷いた。
「……それでも、いい。生きてる……生きてるって、それだけで……十分だ……」
森を抜けた一行は、ようやくティリオンの根本にあるエルフの町へと帰還した。
グラディルは傷が深く、すぐに治癒院へ運ばれていった。だが、その表情は穏やかで、手にはしっかりと木彫りの鹿が握られていた。
アレンシルも娘を支えながら、家族のもとへと戻っていく。
そして――
リネアの前に立ったシオンは、息を整えていた。
リネアは一歩前に出ると、いつものように冷静な声を出そうとした。
「無事で――」
だが、その言葉の途中――
「……母さんっ!」
シオンがたまらず抱きしめた。
リネアの目が、ほんの一瞬だけ大きく開いた。
「……っ、シオン……?」
その場の空気が止まるような瞬間。
何かを言いかけていたリネアは、言葉を失ったまま、しばらく娘を抱き返した。
「俺、言ったからな。ちゃんと伝えろって」
アレンシルが照れくさそうに笑いながら言った。
リネアはゆっくりと娘の頭を撫でながら、ふぅっと長い息を吐いた。
その表情は、どこか肩の荷が降りたような、柔らかなものだった。
その後、陸虚の手には、元々受け取るはずだったティリオンの果核が正式に渡された。
手のひらに収まるそれは、まるで生命そのもののように鼓動を感じさせる、濃密な木属性の魔力を秘めていた。
「……いやー……ほんと、今回は大変だったな……」
陸虚は木の根の下に腰を下ろし、空を見上げながらぽつりと呟いた。
横では、笑い合う家族の姿。
どこか懐かしくて、温かい光景だった。
「……でも、こういう終わり方も、悪くないか」
果核を見つめながら、彼は思う。
(師匠が言ってた“感情の試練”って、こういうことかもな……)
風がそよぎ、空気が澄んでいく。
その瞬間、陸虚の中に――何かが静かに繋がった気がした。




