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魔法学校の方士先生  作者: 均極道人
第二章 エルフの里
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第二十八話 闇のエルフ

感染区域の入口を越えた瞬間、空気がどこか重く、じっとりとまとわりつくような感覚に変わった。


周囲の木々は黒く変色し、地面にはところどころ紫色の瘴気のようなものが立ち込めている。


そんな中で、陸虚は懐から一枚の巻物――“スクロール”を取り出し、空中で展開した。


「“浄界符(じょうかいふ)”、展開」


パァン――という音と共に、巻物が光の波紋を放ち、周囲の空気が少しずつ澄んでいく。


まるで毒を押し返すかのように、半径数メートルの範囲が一時的に“安全地帯”へと変わった。


「……これ、あなたの世界の技術でしょ?」


シオンが静かに問いかけた。


陸虚は肩をすくめて笑う。


「正解。これは“浄界符”っていうやつ。一定範囲の環境に対して、“一時的に”浄化効果を与える技術だよ」


「……“隔絶”じゃなくて、“浄化”?」


シオンの目が鋭くなった。


陸虚は苦笑しながら頷く。


「……そう。君の言いたいことは分かってる。ただね、この浄界符は――“純陽神雷(じゅんようじんらい)”を一週間分凝縮して作った、超面倒な代物なんだ」


「そんなの……!」


「使えば分かるけど、“ちょびっと”しか浄化できない。森全体なんて論外だし、これで大地の呪いをどうこうするのは無理。もし本気でやるなら――“大量の純陽系素材”と“ちゃんとした法陣(ほうじん)”が必要になる」


シオンは黙って考え込むように口元に手を当てた。


「……なるほど。つまり、理屈としては可能ってことね。ただし、素材と構成次第……」


陸虚は軽くうなずく。


「それと、念のため言っとくけど――この符は“環境”だけに効く。感染した生物には、何の効果もない」

「……!」


その一言に、シオンの表情が一層引き締まった。


「……了解。無駄な期待はしない。今は進もう。せめて、父さんたちを見つけ出さないと」


「……待って、何か聞こえた」


シオンの言葉に、陸虚も足を止めた。


わずかな枝の揺れる音、腐葉土を踏む軽い足音――


二人はすぐに身を低くし、近くの木陰に身を隠した。


やがて、その姿が現れる。


――それは、暗い色の肌を持った、小さなエルフの子どもだった。


「……っ、エルフ……? でも……肌の色……」


シオンが思わず呟く。


「……感染……してる?」


確かに、体表には感染者特有の黒斑や毒素の染みが浮かんでいる。


だが、その目には――確かに“理性”の光が残っていた。


(……まだ完全に堕ちてない?)


次の瞬間、その子どもはこちらに気づいた。


だが――攻撃してくることはなかった。


くるりと身を翻し、逃げ出した。


「待ちなさ――!」


シオンが追いかけようとした瞬間、陸虚が肩を掴んで止めた。


「ダメだ、今は追うべきじゃない」


「でも……!」


「見ただろ? あれは“ただの感染者”じゃない。様子を見るべきだ」


シオンは歯を食いしばりながらも頷き、再び身を低くする。


逃げたはずの暗色のエルフの子どもは、少しだけ距離を取った場所で立ち止まった。


何かに迷うように、こっちを振り返り――その目は、まっすぐに陸虚を見ていた。


(……あれは……)


陸虚が懐に手を入れると、光が漏れた。


先日、感染魔物を倒した際に落とした――紫色の魔晶石。


その光に、子どもの目が釘付けになった。


渇望のように、けれど恐れを含んだ目で、こちらに一歩、また一歩と踏み出す。


「……欲しがってる?」


陸虚は低く呟いた。


「……あの魔晶石と、何か関係が……?」


シオンの声には、かすかな震えと、期待が入り混じっていた。


陸虚は静かに前に出て、光を放つ魔晶石を軽く掲げた。


「……欲しいのか?」


暗い森の向こう、小さな影がわずかに頷いた。


「……ほしい」


その声は、小さいながらも確かに届いた。


陸虚は柔らかく言葉を続けた。


「いいよ、あげても。ただし――いくつか、質問に答えてくれるならね」


その言葉に、小さなエルフは戸惑いを見せ、身を引いた。


「……だめ。大王さまが言ってた。“外の者と話すな”って……」


「ふうん。そうか。じゃあ、しかたないね。僕たちはもう行くよ」


そう言って、陸虚がくるりと背を向けようとしたその瞬間――


「ま、待って……!」


小さな声が引き止めた。


「……それ、大王さまにとっても大事なの……」


「じゃあ、ひとつだけだ。質問は、ひとつだけ」


小さなエルフは、ぎゅっと拳を握って、しばらく悩んだ。


そして、やがて絞り出すように答えた。


「……いいよ」


陸虚は小さく頷いた。


「――グラディルって人、知ってるか?」


その名前を聞いた瞬間、子どもの表情が変わった。


苦しそうに、目を伏せて、唇を噛んでいた。


「……大王さまが言った。生き残りたかったら、“過去のことは全部忘れろ”って……家族も、名前も、なにもかも……」


その声に、シオンが思わず息を呑んだ。


陸虚は静かに語りかけるように言った。


「……でもね、君のお父さん、君を探しにこの森に入ってきたんだ。君に会いたくて、必死になって。僕は、それだけ伝えたい」


「君に何かをしてほしいわけじゃない。ただ――君が“生きてる”ってことが、伝わればいいんだ」


その言葉に、小さなエルフはしばらく黙り込んだ後、


 ポケットの中から、小さな木彫りの鹿を取り出した。


それは、手のひらほどのサイズで、


 誰かが丁寧に、時間をかけて作ったことがわかる――そんな“記憶”の詰まったものだった。


「これ……父さんが、作ってくれたやつ……」


陸虚は優しく微笑み、光る魔晶石を手渡した。


小さなエルフは、それを受け取り、何度も名残惜しそうにこちらを見た。


 けれど――やがて、震える手で木彫りを陸虚に差し出すと、森の奥へと走り去っていった。

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