第二十六話 母と娘
家の中に、静寂が戻る。
包帯だらけの身体をゆっくりと動かしながら、陸虚はふと思い出したように言った。
「……あ、そうだ。僕、ちょっと“報酬”取りに行かないと」
「は? 報酬って何よ?」
ぽかんとするシオンに、陸虚はニヤリと笑って答えた。
「校長先生は、“手紙を女王様へ渡せば、欲しいな魔法コアがもらえる”って言ってたんだよね。ってことで、王宮に行きたいんだけど……道、わかる?」
「はあ!? 王宮!? あそこ、けっこう遠いのよ?……まさか、その体で杖ついて歩いて行くつもり?」
「いやいや、だからさ――君がさ、車椅子でも探して押してくれればよくない?」
「……はあああああ!?」
シオンは思わず額を押さえたが、ふと何かを思い出したように、わずかに顔を曇らせた。
「……今の時間、母さん、王宮で仕事中なのよね」
そう呟いた声は、どこか重たくて不満そうで、どこかに“行きたくない”という気配が滲んでいた。
そんな彼女に、陸虚は軽く肩をすくめながら言った。
「……だったら、今まで学んできたこと、見せてやればいいじゃん。自分が間違ってないって、証明してこいよ」
「……っ」
シオンの目がわずかに揺れる。
でもその表情は、すぐにきりっと引き締まった。
「……わかったわよ。行けばいいんでしょ、行けば!でも、覚悟しなさいよ? この私が押すんだから、ちょっとの段差でも文句は言わせないから!」
「了解、覚悟しとく」
陸虚は笑い、シオンは――少しだけ、嬉しそうだった。
ティリオン――エルフの象徴にして、王都の中心。
その巨大な樹の幹の真下に、王宮は築かれていた。
車椅子に乗った陸虚が、ふと上を見上げる。
「……やっぱり、近くで見るとすげぇな……」
――いや、違う。
彼の目には、ただの巨大な樹ではなく、何かを失った“器”のようなものが映っていた。
「……どうしたの、陸先生?」
隣でシオンが不思議そうに尋ねる。
「……あ、いや。なんでもないよ」
陸虚は微笑んでごまかしたが、視線はしばらくティリオンから離れなかった。
王宮の門で信を渡すと、案外すんなりと通された。
そして、エルフの女王セリスの謁見の間へと案内される。
その隣には、シオンの母である高等官――リネアの姿もあった。
シオンの姿を見た瞬間、リネアの目がわずかに揺れる。
けれど、すぐに氷の仮面のような表情に戻った。
「…………」
その様子に、女王セリスが思わずため息をつく。
「リネア、あなた……母親でしょう? せっかく娘が帰ってきたのよ。何か一言くらい、話してあげなさい」
リネアは唇をわずかに開き、しばし迷った。喉まで出かかった言葉は――“無事でよかった”、“会えてうれしい”、あるいは“寂しかった”かもしれない。
だが、彼女の口から出たのは――
「……勝手に飛び出して行ったくせに、今までどのぐらい魔法を勉強したかしら?」
その声は冷たかったが、ほんのわずかに、震えていた。
シオンは母の言葉に、目を伏せながらも表情を強ばらせていた。
怒りとも、失望ともつかない感情が胸の奥で渦巻いていた。
そのとき、隣にいた陸虚がそっと彼女の袖を引いた。
その小さな動きにシオンは一瞬だけ視線を向ける。
そして――深く息を吸い、気持ちを切り替えるように顔を上げた。
「……私は、今までずっと調べてきました。エルフの魔力が消えた原因、それは――ほぼ間違いなくティリオンの“眠り”と関係があります」
王宮の空気がぴたりと静まる。
「そして、ティリオンを目覚めさせるには、まず周囲の“呪われた地”を浄化する必要がある。……これが、現時点での私の結論です」
リネアの目が細められる。
「……どうやって浄化するの?」
シオンは少し口をつぐみ、唇を噛んだ。
「……以前は、高威力の魔法で焼き払えばなんとかなるかと考えていた。でも、今回陸先生の雷龍で攻撃した区域を調査した結果、思ったような変化はなかった」
「……つまり?」
「この呪いは……普通の魔力に分類されるものではない。むしろ、別の――未知の“領域”に属するものかもしれない」
その言葉に、リネアの目がわずかに揺れる。だが、すぐに無表情のまま次の問いを投げた。
「――で? どうやって浄化するの?」
その問いに、シオンは返せなかった。
肩を震わせながら、ただ唇を噛みしめる。
しばらくの沈黙の後、リネアは珍しく、淡く呟いた。
「……原因を絞ったこと自体は評価できる。推察も根拠があるし、研究としては悪くない」
シオンが目を見開く。
だが――その次の言葉が、全てを台無しにした。
「でも、解決策がないのなら、知識だけあっても仕方ないわね」
「……っ」
シオンは声を失った。
そして――くるりと踵を返し、言葉もなくその場を走り出していった。
シオンが走り去ったあと、謁見の間には気まずい沈黙が残った。
陸虚は一歩前に出て、何か言おうと口を開いた。
だが――ふと我に返り、そっと口を閉じた。
(……僕が言っても、余計なお世話か)
そう思い直し、気を取り直して女王セリスに向き直った。
「……それより、校長からもらえるって話だった“魔法コア”、そろそろ受け取ってもいいですか?」
その問いに、セリスは一瞬だけ目を伏せた。
そして、どこか曖昧な笑みを浮かべながら答えた。
「……その件だけど、できれば明日にしてくれないかしら。明日には準備が整うはずだから」
「え? あ、そうですか……?」
陸虚は少し首を傾げながらも、それ以上は問い詰めなかった。
そのとき――
「……あ、私、忘れ物」
シオンが突然戻ってきて、部屋の空気が一瞬緊張する。
彼女は少し視線を逸らしながら、入口に立つ陸虚を見て言った。
「……早く帰るわよ。あんた、また何か余計なこと言いそうだし」
「あ、ああ……はいはい」
二人はそのまま王宮を出て、帰路についた
夜道を車椅子で転がしながら、陸虚はふと口を開いた。
「……さっきは大変だったな。でも、あれだけ言い合いできるってことは……君の母さん、君に厳しいだけで、本当はちゃんと見てるんだと思うよ」
そう言いながらシオンの顔をちらりと覗く。
だが、そこにあるはずの悲しみや怒りはなかった。
代わりに浮かんでいたのは、わずかな笑みだった。
「……全然、悲しくなんかないわよ」
「え?」
「だって、あの人が……私の研究を初めて“評価した”の。あれでもね、私が魔法を学びたいって言い出してから、初めて褒めてくれたのよ。……ちょっとだけど、嬉しかった」
その言葉に、陸虚は目を細めて頷いた。
「そっか。じゃあ、今日は……いい一日だったな」
「……ふん。そうかもね」
星空の下、二人の影が並んで伸びていた。




