第二十五話 家庭関係
アレンシルの額に、ピキピキと見えない何かが走った。
帘の音に反応して、ぐるぐる巻きの包帯の中から、もぞ……っと動く気配があった。
「……ん……シオン……もう着いた……のか……?」
眠そうな声と共に、陸虚がうっすらと目を開けた――
そして、次の瞬間。
目の前には、屈強な体格のエルフの中年男性が、無言でじっとこちらを見下ろしていた。
「うわっ!? な、なにこの人、怖ッ!?」
陸虚は思わずびくっと跳ねるように起き上がり、横にいるシオンに目をやった。
「シオン、この……威圧感マックスのおっさん、誰……?」
シオンは少しニヤリと笑って答えた。
「うちの父親よ」
「…………えっ」
一瞬固まった陸虚だったが、次の瞬間、あわてて体を起こして姿勢を正した。
「な、なるほど! いや~、さすがシオンの父上!すっごく……えーと、頼りがいがあって、こう……クールっていうか、うん!!」
その妙に必死なフォローに、シオンもアレンシルも思わず吹き出した。
「「ふふっ……!」」
馬車の中に、久しぶりの笑い声が響いた。
一通り旅路での出来事を聞き終えたアレンシルは、静かに頷いた。
「……本当に、感謝しかない。あなたのおかげで、娘も、みんなも無事にここまで来られた。陸先生……あなたの勇気と判断に、心から敬意を表します」
「え、いや……そんな大層なことじゃ……」
と、照れたように頭をかきながら、陸虚はふとシオンの方を見た。
「……っていうかさ、シオン。お前、家出してきたんじゃなかったっけ?僕には全然そう見えなかったけどな、仲良さそうで」
シオンが一瞬びくりと肩を揺らした。
その横で、アレンシルが苦笑しながらため息をついた。
「……それはな、あいつの母親のせいだよ」
「……え?」
「シオンが“魔法を学びたい”って言った時、私は大賛成だった。だが、あいつの母さんが……何がどうしたのか、頑なに反対してな。どうしても納得できなくて、私が……リブィ先生に頼み込んで、シオンをオレリスまで連れて行ってもらったんだ」
「…………」
隣のシオンは顔を伏せたまま、何も言わなかった。
アレンシルは話題を切り替えるように、少し声のトーンを変えた。
「……さて、商隊は明日の朝、正式な道を通ってライフタリンに戻る予定だ。だけど、陸先生――あんたは、その怪我じゃとてもついていけない」
「……まあ、そりゃそうかもな。ちょっと歩いただけで全部の包帯が軋むわ……」
「ここでしばらく静養していくといい。エルフ領の医術は……それなりに頼りになる」
アレンシルがそう言ってシオンの方をちらりと見た。
その視線の意味に気づいたのか、シオンは一瞬戸惑ったように目をそらした。
「……私は、すぐに戻るつもりだったんだけど」
視線の先には、ぐるぐる巻きで情けない姿の陸虚と、
どこか不器用な期待を込めた父の笑顔。
「……まあ、仕方ないわね。看病する人もいないし。ここで少しくらい、いてあげてもいいわよ。……ちょっとだけ、ね」
アレンシルに案内されて、陸虚とシオンはエルフ領の一角、アレン家へと向かった。
扉を開けた瞬間――
「……うわ」
目の前には、酒瓶、脱ぎ捨てられた服、積み上がった書類の山。
部屋はまるで竜巻が通り過ぎたかのようなカオス状態だった。
「……す、すまん。最近、警備の仕事が立て込んでてな……」
アレンシルは頭をかきながら、バツの悪そうな顔を浮かべた。
「それに、母さんの方は政務で月に一度しか戻ってこられん。片付ける暇なんて、正直ないんだ……」
だがシオンは慣れた様子で、何も言わずに黙々と片付けを始めた。
「……また周辺の汚染がひどくなってるの?」
手を動かしながら、自然と問いかける。
「ああ。感染した生物の数も増えてきてるし、薬も、物資も、人手も、全部足りない。このままじゃ、本格的に持たなくなるかもしれん」
そんな会話を交わしつつ、シオンは自分の部屋の扉を開けた――
「……え?」
そこは、信じられないほど整頓されていた。
ベッドは綺麗に整えられ、棚の本も埃一つなく、花瓶にはまだ水の残る花が差してある。
「……どういうこと……?」
「お前の母さんだよ」
アレンシルが優しく笑った。
「毎月戻ってくると、まず最初にお前の部屋を掃除する。何も言わないけどな……本当は、お前のことを一番気にしてるんだ」
シオンは少しだけ唇を引き結び、視線をそらした。
アレンシルは腕時計のような魔導具をちらりと見て、短く息を吐いた。
「……悪い、俺はもう戻らないと。夜の巡回があるんだ。お前ら、好きに使ってくれ。何かあったら、すぐ報告しろよ」
そう言って、玄関へ向かい、そのまま出ていった。




