第二十話 意外
陸虚がさらに問いかけようとしたその時――彼の眉がぴくりと動いた。敏感な魔力の流れに、かすかな異変を感じ取ったのだ。
「違和感がある。みんな、警戒を。……この魔力のざわつき……もしかして、もう“呪われた地”に足を踏み入れている……?」
シオンは地図を睨みながら、真剣な声で言った。
「そんなはずないわ。地図で確認すれば、呪われた地までは少なくともあと一日はかかるはずよ」
「シオンの言うことももっともだ。だが、“呪われた地”の影響範囲が広がっている可能性もある」
陸虚は落ち着いた声で言いながら、荷台に視線を向けた。
「全員、遮断用の軟膏を塗っておけ。解毒薬も……今のうちに飲んでおくんだ」
「ドックさんたちって、前の任務でこういう状況に遭ったことあるのか?」
ドックは眉をひそめ、低い声で答えた。
「いや、こんなのは初めてだ。今まではちゃんと境界を越えてから“呪われた地”に入ってた。そこから先は……感染した魔獣が現れるんだよ。その時は、いつもシフ殿が出てきて、全部片付けてくれてた」
彼は辺りを見回しながら、声を潜めた。
「でもな、もし今ここが本当に“呪われた地”の中だとしたら……魔獣が現れてないのは、おかしい。何かが……違うぞ」
「前に遭遇した魔獣って、どのくらいのランクだったんですか?」
ドックは周囲を警戒するように目を走らせながら、低い声で言った。
「今までに現れた魔獣は、だいたい3級。強くても4級だ。」
シオンは険しい表情で地図を閉じ、静かに口を開いた。
「……となると、恐らく5級の個体……“領主クラス”が出てきた可能性が高いわね」
彼女はわずかに息を整え、分析するように続ける。
「感染した魔獣が領主になると、怖いのはその戦闘力だけじゃない。問題は……致死性の毒よ。皮膚に少しでもかかったら、すぐに処理しないと腐り始める。体内に入ったら……助からない」
一瞬、風の音が止まったように感じた。
「……でも、本当に怖いのは、それだけじゃないの」
シオンの言葉に、場の空気が凍りついた。
「……ど、どうなるんだ……?」
シオンは静かに目を伏せ、一拍置いてから――
ゆっくりと顔を上げた。その瞳には、わずかな迷いと、はっきりとした警告の色が宿っていた。
「……最も恐ろしいのは、毒に侵された者が……“彼らと同じ存在”になってしまうことよ」
「えっ……?」
誰かがかすれた声を漏らす。
「身体が蝕まれ、意識が濁っていき……やがて、自分が何者だったのかも思い出せなくなる。ただの、命令に従うだけの“化け物”になるの」
馬車の中に、重苦しい沈黙が落ちた。誰もが、何かを飲み込むように、喉を鳴らした。
その時だった。
轟音と共に、突如として激しい風が吹き荒れた。
風の中には、紫がかった不気味な霧――それは、明らかに“毒”だった。
「っ……風向きが変わった!? 毒霧だ、避けろッ!」
誰かの叫びと同時に、荷台の帆がばさりと音を立ててめくれ上がる。
「――慌てるな!」
陸虚が鋭く叫ぶと同時に、両手から紫電がほとばしった。
次の瞬間、地面を這うように雷が走り、陣幕のようにキャンプ全体を覆う雷網が展開された。
バチバチと音を立てて煌めく雷が、空気中に漂う紫色の毒素に触れた瞬間――
ジジジ……ッ!!
毒の霧が雷に触れたところから、煙のように消えていく。まるで毒そのものが悲鳴を上げているかのように、空間から嘶くような音が響いた。
霧を打ち消す雷網を前に、森の奥から甲高い、獣とも人ともつかぬ叫び声が響いた。
「ギャァアアア……ッ!!」
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