第一百三十六話 手がかり
翌朝。
陸虚はアウロラ錬金科学学院へ戻ることなく、
街の通りをゆっくりと歩いていた。
昨日までの喧騒が嘘のように、都市は静かだった。
空を流れる浮遊広告のホログラム、
歩道を行き交う人造人間たち――
そのどれもが、彼の中に“知らないはずの記憶”を呼び起こしていく。
(……まただ。けど、昨日よりずっと遅い。)
流れ込んでくる記憶の速度が、明らかに鈍くなっていた。
おかげで、陸虚はようやく頭の整理ができる。
――あの“跳躍”の瞬間に、何が起こったのか。
南海のメイヴィレーナ融合魔法学院から
アウロラ錬金魔法学院への転送は、確かに成功したはずだった。
だが、転送の最中に恐らく不明な魔力干渉が起きた。
その結果、陸虚は本来の時間線から外れ、
“存在しない未来”――時空の歪みに投げ込まれたのだ。
街の喧騒から少し離れた高台。
陸虚はひとり、砂色の街並みを見下ろしながら静かに考え込んでいた。
(……帰るには、“空間跳躍”だけじゃ足りない。)
そう、今の自分はすでにこの時空の存在として定着してしまっている。
原因と結果――すなわち因果が、この世界に根を下ろしているのだ。
「……この世界の“僕”としての因果を、断ち切らなきゃならない。」
呟きながら、陸虚は指先で砂を掬った。
砂粒が風に舞うたび、まるで無数の時の線がほどけていくようだった。
(発端は――城門へ行くの途中だ。エマを抱えて走った、あの瞬間。あそこで“時間線の歪み”が生じた。)
彼は目を閉じ、脳裏に焼き付くあの場面を思い浮かべる。
砂漠、風、光。
そして――重なり合う二つの“自分”の意識。
「……だが、“因果”を断つのは簡単じゃない。」
それは単に時間を巻き戻すことでも、存在を消すことでもない。
発生の瞬間を特定し、その線を丸ごと切り離す。
しかも失敗すれば――
「……二人の僕のうち、どちらかが“消える”。」
声に出した瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。
エマの笑顔が、ふと脳裏をよぎる。
(……そんな結末、誰も望んじゃいない。)
彼は深呼吸をして、空を見上げた。
そこには、砂漠の太陽と、わずかに歪んだ空間の揺らぎが浮かんでいた。
「――なら、やるしかない。“どちらの僕”も、消さない方法を。」
その決意とともに、陸虚の金丹が静かに脈動を始めた。
陸虚は腕を組み、ゆっくりと思考を巡らせていた。
(方向は決まった。あとは――方法だ。)
雷の法? ――論外だ。
一撃でも放てば、この魂ごと吹き飛ぶ。
次に頭に浮かぶのは、己の切り札――陰陽混沌斬。
だがそれも、あまりに“切れすぎる”。
因果の線だけでなく、自分そのものを斬り裂いてしまうだろう。
「……師匠の残した法でも、因果斬りに対応できるものは無い。」
陸虚は小さく息を吐き、
夜風に揺れる砂塵を見つめた。
(結局、力が足りない。法則に触れただけじゃ、斬れない線がある。)
――もし“陽神”の位階まで至れば。
世界の理を直接に操作し、
“存在そのものの線”に干渉することができる。
「陽神……確か8級に相当するはずだ。」
そこで、ふと脳裏に浮かんだのはエマの言葉。
――「この都市には、8級の強者がいる。」
陸虚の瞳に光が宿る。
「最強者……なら、アモロンの校長が何か知ってるかもしれない。」




