第一百八話 偶然の出会い
(ヤバいヤバいヤバい!!)
完全に動揺した陸虚は、背後のローストチキンを守るように抱きかかえながら、冷や汗をたらした。
(このままだと不法侵入がバレる……しかもチキン付き……!!)
「……こ、これはその、あの……」
守衛が一歩、踏み出す。
「すみませんが、そちらを見せていただけますか?」
(……くそ、こうなったら一瞬で気絶させて、記憶を改変して……いや、それはさすがにやりすぎか? でも他に方法が……!?)
陸虚の脳内会議がフル稼働する中――
事態は、思わぬ方向へと転がっていく――。
――その時だった。
「――その者は、私の助手です。夜食を取りに行かせただけですよ。」
澄んだ声が、静かな甲板に響いた。
守衛がその声の方を振り返ると、そこには優雅な佇まいの少女が立っていた。
月光に照らされた銀髪、気品あるドレス、そしてその瞳はまっすぐに陸虚を見ていた。
「リュミエール姫様……っ! し、失礼いたしました!」
守衛は驚愕とともに直立し、深く頭を下げた。
「姫様のご関係でしたら、まったく問題ございません。私はこれで失礼いたします!」
ぺこぺこと頭を下げながら、守衛は足早に立ち去っていく。
(……助かった……!)
陸虚は心の底から安堵の息を吐きつつも、少女の名前にふと引っかかりを覚えた。
「リュミエール……? どこかで聞いたような……」
そんな彼の耳元に、やれやれといった様子で少女が歩み寄り、小さな声で囁いた。
「……陸先生。いったい何をしていらっしゃるんですか?」
「え……いや、その……」
「校長先生から、きちんと招待状と乗船券をお渡ししたはずですが……まさか、忘れ物ついでに“生活体験”でもなさってたんですか?」
その言葉には、呆れと優しさ、そしてほんの少しの茶目っ気が混ざっていた。
陸虚はじっと彼女の顔を見つめ――そして、ようやく思い出した。
(……ああ、見たことある。たしか、学院試合の時に……)
メイヴィレーナ融合魔法学院の学生代表として、学生部門で優勝を勝ち取った人魚。
そしてリセルの兄――ガルドとなにやら親しげに話していた姿が記憶に残っていた。
「……あー、リュミエールさん、ですよね。いやはや、お久しぶりで……」
陸虚はぎこちない笑みを浮かべながら、チキンを抱えたまま頭を下げた。
「その……乗船券を、どうやら忘れまして……。でもどうしても“逆さ海”が見たくて、つい……」
「……つい?」
リュミエールは両腕を組み、冷ややかな目線を送ってくる。
「それで……まさかとは思いますが、あなた、船の外側に――」
ちらりと船の左舷を見て、彼女は小さくため息をついた。
「……しがみついていた、とかじゃないですよね?」
「い、いや……しがみついてたっていうより……」
陸虚は目をそらしながら、ぼそぼそと弁明を始めた。
「ちゃんと、座れる場所では……あった。結界も張ったし、安全性はバッチリだったし……!」
「……」
「では……私の部屋にいらっしゃいませんか? 船長には私から説明しておきます。校長先生の大事なお客様ですし。」
そう申し出るリュミエールに、陸虚は手をブンブン振って全力で否定した。
「い、いやいやいや、それはちょっと……!」
「……?」
「いや、ほら、そっちの船室って……たぶん気まずいだろ? なんかその、“関係者枠”みたいなやつ、苦手なんだよ、僕。」
陸虚は目を逸らしながら、汗をかきかき続けた。
「大丈夫、大丈夫。こっちのスタイル、けっこう気に入ってるし。迷惑もかけない。静かにしてる。ほら、もう行くから!」
そう言うなり、リュミエールの返事も待たず、陸虚は結界の下へとひらりと飛び降りた。
「……ちょ、ちょっと!? 陸先生っ!」
慌てて声を上げる彼女の前で、陸虚は片手をひらひらと振りながら、格子の中へと戻っていった。
「じゃ、また後で~。夜風が気持ちいいからさ~」
「……はぁ……」
リュミエールは呆れ半分、苦笑半分の顔でその背中を見送った。
「……あの人、本当に何者なのかしら。」