第一百五話 予言
南風が心地よく吹く午後。
陸虚は街角の小さなカフェの前にある木製のベンチに腰掛け、広げた南海諸島の地図をじっと見つめていた。
「……船はここから出て、途中の島に寄港して……ふむ、潮の流れ次第か。」
そんな時だった。ふと気配を感じて顔を上げると、そこに立っていたのは――黒いフードに身を包んだ、どこか神秘的な雰囲気の女性。
まるで物語に出てくる“女巫”のような風貌だ。
「……若いの、予言って、興味あるかい?」
「ほう? 怪しいな……でも、面白そうだ。」
陸虚はにやりと笑って、近くの店員に手を挙げた。
「すみません、彼女にも一杯。お好きなものを。」
「へぇ、なかなか気が利くじゃないの。じゃあ――特別に教えてあげようかね。」
女はグラスを受け取ると、まるで呪文のように、低く静かな声で語り始めた。
「深海の底にて、虚空は目覚める。
やがて黒き裂け目が開かれ、海を喰らい、空を蝕む。
水は引き、命は干からび、南海はその全てを奪われるだろう。
蒼き楽園は虚無へと還り、そこはもう、海ではなくなる――
そこは、虚空の領域。」
陸虚は地図をたたみながら、顎に手を当てて少し考え込んだ。
「――面白いな、その予言。で、その先は?」
そう尋ねると、女はにやりと笑うだけで、言葉を続けなかった。
代わりに、懐から分厚い束を取り出す。それは不思議な絵柄が描かれたカードの山だった。
「さ、引いてごらん。運命の導きに身を任せてみな。」
「……なるほど、そういう流れか。」
陸虚は一枚を引いた。
そこに描かれていたのは――
大きな海亀の上。その真ん中には、神秘的な瞳を持つ美しい人魚。
その周囲を、様々な海の生き物たちが円を描くように取り囲んでいる。
「……これ、どういう意味なんだ?」
カードを眺めながら首を傾げる陸虚に、女は肩をすくめ、微笑んで言った。
「それは――ご自身で読み解くものさ。」
そしてすっと手を差し出すと、笑顔のまま言い添えた。
「ご愛顧、感謝いたします。一枚一回、一金貨でございます。」
「……はぁ? 一枚で金貨一枚? それボッタクリだろ!」
陸虚は椅子から勢いよく立ち上がり、呆れた声を上げた。
「なんでそんなもんに金貨が一枚も必要なんだよ。強盗か、あんた?」
だが、女はまったく動じる様子もなく、にこにこしたまま言った。
「……あら、払いたくないのかい?」
その瞬間、左右の路地からごつい筋肉の男たちが二人、無言で現れ、陸虚の両脇を固めるように立った。
「……チッ、これって、いわゆる“あれ”ってやつか。」
状況を察した陸虚は、内心でため息をつきつつ、指先に魔力を込め始める。
(仕方ねぇ、やるしかないか……)
だが――
ピィィィィィーーーーッ!!
高く鋭い笛の音が、街の喧騒を裂くように響いた。
「止まれ! 動くな! この詐欺グループ、また観光客を狙っていやがったな!」
怒号とともに、数人の都市警備隊が駆けつけてきた。
女が警備隊の姿を見た瞬間、態度が一変した。
「……おっと、これはマズいわね。」
そう呟いたかと思うと、筋肉男たちと一緒に一目散に逃げ出した。
だが――すれ違いざまに、彼女はふいに陸虚の手をつかみ、何かを押し付けてきた。
手のひらに残されたのは――奇妙な模様のついた貝殻だった。
陸虚が呆気に取られてその貝を見つめていると、女は振り返りざまに意味ありげな笑みを浮かべた
次の瞬間、彼女たちは人混みに紛れて姿を消した。
「……なんだったんだ、あれ。」
ぼそりと呟いたところで、さっきまで注文を取っていた店の侍者が慌てて駆け寄ってきた。
「お客様、大丈夫ですか!? 実は……警備隊を呼んだのは私なんです。あの連中、最近ずっと観光客を狙って詐欺まがいの商売をしてて……こちらでも警備は強化してるんですが、なかなか捕まえきれなくて……本当に、申し訳ありません!」
「……ああ、助かった。ありがとう。」
陸虚は貝殻をそっとポケットにしまいながら、深く考えを落ち込んでいた。