第一百三話 片付け
極寒の材料を手に入れた陸虚たちは、一刻の猶予もなくオレリス魔法学院へと戻った。
既に調合を終えていた「氷魂の核」にその素材を加え、ついに霊薬は完成する。
丹薬が放つ冷気が部屋を包み、静けさの中、シフの瞳がゆっくりと開いた。
「……ありがとう」
それが、彼の目覚めの第一声だった。
誰もが安堵の息を漏らす中、彼はそれ以上は語らず、ただ静かに頭を下げた。
陸虚は微笑みながら言った。
「今は何も言わなくていい。ゆっくり休むといい」
「わらわたちも、お主の言葉を急かすつもりはないぞい」
ヴァルゼリナもやわらかく背を叩いた。
皆は彼に部屋を任せ、その夜は静かに幕を閉じた。
――だが、翌朝。
部屋にはもう彼の姿はなかった。
整えられた寝具、そして机の上には一通の手紙だけが残されていた。
陸虚殿へ
ご恩は一生忘れません。
ですが、私はこれ以上、あなたに頼るわけにはいきません。
私自身の問題は、私自身で解決すべきです。
このまま甘え続けては、自分自身を許せなくなる。
ーーシフ
「……ったく、無茶するんだから」
オグドン校長が苦笑まじりに呟くと、ヴァルゼリナはふんと鼻を鳴らした。
「案外、男ってのはこういう時だけ格好つけたがるもんじゃな。まあ、見どころはあるのう」
陸虚は黙って手紙を見つめ、やがてぽつりと呟いた。
「ザグレウスのような狡猾な奴を放っておけるわけがない。やっぱり僕が行こう。」
するとリセルがすかさず言った。
「師匠、私も行きます。」
陸虚は一瞬考えたが、頷いて答えた。
「お前の機転は頼りになるな。一緒に来てくれ。」
その時、アイゼルが陸虚の前に立ちはだかった。
「ここはやはり、俺が行くべきです。道中で仰っていた“因果”の話、よく分かりました。」
アイゼルは真剣な目で続けた。
「これは、父上が遺した因果。けじめをつけるのは、俺の役目です。」
陆虚はアイゼルの義に燃えるような表情を見て、( こいつ、そんな覚悟あるような性格だったか?)と少々疑わしげに呟いた。
「本気か?まさか、お前……ヴァルゼリナから逃げたいだけじゃないよな?」
そう言いながらヴァルゼリナの方に目をやると、彼女は鋭い視線でアイゼルをじっと睨みつけていた。
「……。」
アイゼルの顔から血の気が引き、明らかに図星を突かれたような反応を見せた。
「まあ、お前の実力なら安心だしな。任せたぞ。」
そう言ってあえて追及しなかった陸虚の言葉に、アイゼルは命拾いしたような表情でリセルの手を取り、逃げるようにしてその場を駆け出していった。
オグドン校長はどこか疲れの色を滲ませた陸虚の顔を見つめ、優しく語りかけた。
「――今回は、本当にご苦労だったな。」
そう言って、彼は一通の封筒を陸虚の手にそっと差し出した。
「これはメリーからの招待状だ。メイヴィレーナ融合魔法学院で、講義と交流をお願いしたいそうだ。南方の島にある学院だからな……たまにはのんびり羽を伸ばしてくるといい。」
陸虚は、封筒に描かれた波のような模様をじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……南海か。書物で読んだことはあるけど、実際に見たことはまだないんだよな。ついでに朝霞を取ろう」
そしてふと、何かを思い出したように顔を上げる。
「そうだ、ノアもしばらく外に連れてってないし……ちょうどいい機会だ。あいつにも、本物の海を見せてやるか。」




