第一百二話 同行
素材を手に入れた陸虚は、時間を惜しむように立ち上がった。
「……ありがとうございます。これで準備が整います。すぐにでも戻らないと」
そう言って踵を返そうとしたところで、アイスの低くも力強い声が彼を呼び止めた。
「待て、陸虚」
「え?」
アイスはちらりと横に立つ息子に目をやると、顎でアイゼルを示した。
「こいつも連れて行け。まだまだ未熟者だが、6級には届いておる。戦力にはなるはずだ」
陸虚は一瞬戸惑ってから聞き返した。
「え、いいんですか?」
一方のアイゼルは目を丸くし、自分を指差して口をぱくぱくさせた。
「ちょっ……俺!? 父上、なんで俺が!?」
「黙れ!」
アイスはガツンとアイゼルの背中に手を叩きつけた。
「お前、自分のことばかり守って、いつまで甘えてるつもりだ。お前の父がどうやって7級になったと思ってる?」
アイゼルはぎこちなく首をすくめながら、ちらりと隣のヴァルゼリナに視線を向ける。彼女はニヤニヤとした笑みを浮かべて、まるで面白い玩具でも見つけたように目を輝かせていた。
「……ぐっ……」
アイゼルはしばし黙ったのち、きゅっと拳を握りしめ、そして――
「……わかったよ。俺、行く!」
彼の声には、確かに決意が宿っていた。
出発の準備を整え、いざ帰路に就こうとする陸虚だったが――
またしても、氷竜王アイスに呼び止められた。
「……おい、陸虚。忘れるところだった」
そう言って、アイスは懐からひとつの鱗片を取り出した。
それは、見るからにただの鱗ではなかった。
淡く青白い輝きを放ち、空気が震えるような法則の波動を纏っている。
「こ、これは……?」
陸虚が目を見開くと、アイスは当然のように言い放った。
「わしが法則を練り込んで鍛え上げた鱗じゃ。非常時に使えば、一時的に7級相当の力を引き出せる」
その言葉に、場の空気が一瞬張り詰める。
あまりに貴重なもの。命を預ける一手にも等しいそれを、あっさりと渡すとは――
戸惑いを覚えた陸虚は、思わず隣に立つグレイシアに視線を向けた。
すると彼女は、優しく微笑みながら、静かに頷いた。
「……ありがとうございます」
陸虚は深く頭を下げ、両手でその鱗を丁重に受け取る。
手のひらに収まったそれは、まるで氷のように冷たいのに、どこか温かかった。
こうして――
新たな力と仲間を得た陸虚は、再び歩みを進める。
待っている人のもとへ。救うべき命のもとへ――
旅の続きを、その胸に刻みながら。
皆が旅立った後――
静まり返った王宮に、ふたりの竜の気配だけが残った。
氷竜王アイスは、去っていく陸虚たちの背を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「……これが、時の流れか。世界は、確かに変わってきているな」
そんな彼に、隣のグレイシアがくすりと笑いかけた。
「ふふっ、あなたがアイゼルを陸虚さんに同行させるなんて、ちょっと驚いたわ。きっとまた、ヴァルゼリナにいいように弄ばれるのね」
「それも修行のうちだ。あいつ、ちと甘すぎるからな。外の空気を吸わせるには、ちょうどいい機会だろう」
アイスはふんっと鼻を鳴らしながらも、どこか寂しげに目を細める。
それを見て、グレイシアは微笑んだ。
「……本当は、少し寂しいんでしょう? 私もそうよ。あの子は、私たちの宝物だから」
「……ああ」
アイスは短く返し、ふと視線を彼女に向けた。
長い沈黙のあと、ぽつりと優しい声が落ちる。
「三十年……君には、辛い想いをさせたな」
「……それが、夫婦ってものでしょう?」
グレイシアが静かにそう言うと――
「……じゃあさ」
アイスは急に彼女の腰を抱き寄せ、耳元で悪戯っぽく囁いた。
「もう一人、作らないか? 今度こそ、ゆっくり育てられるだろう」
「なっ……!」
グレイシアの頬が一気に真っ赤になる。
「……この、ばか」
照れ隠しに小さく拳でアイスの胸を叩くグレイシア。
けれどその顔は、どこまでも優しく、どこまでも幸せそうだった。