刑天村
刑天とは、中国伝承上の妖怪である。刑の字は「邢」、天の字は「夭」とされる事も有る。
戦国時代から前漢に掛けて著された地理誌「山海経」に拠ると、刑天は黄帝と神の座を争った末に首を斬られ常羊山に埋められたが、残った胴体の乳首を目、臍を口に変える事で尚も武器を持ち戦いの意を示したと云う。
又、東晋の詩人・陶淵明は「読山海経」と題した連作の詩に於いて、刑天を不屈の精神の持主として讃えている。
××年十二月四日(月)
我々週刊××(特定の誌名に就き伏字)編集部は、新たな取材のためA県某地区の山道に車を走らせていた。そこは何十年も前に廃村となったという場所で、周辺の住民からは「刑天村」と称されている。記録によれば、野盗の集団がそこに押し寄せて住民たち全員の首を刎ね、財産も何もかもを奪い去ったことで廃村と化してしまったとのこと。
だが話はこれだけではない。何でも噂によると住民たちは首のない状態で今も生き続けており、かの野盗たちに復讐すべく戦いに備えているという。そのため周辺市民はおろか、警察すらもそこに入ることを憚っているのだ。
だが、そんなことで週刊××は諦めない。恐らく我々は、この数十年では初めて刑天村に入り込む者となるだろう。
××年十二月五日(火)
困ったことに、山道の中で車がパンクしてしまった。ガソリンスタンドのような場所も恐らく近辺にはなく、車での移動は諦めざるを得なくなった。
そうして車は停めたままにし、運転していた中村編集長を先頭として石井氏・橋本氏・そして私藤田の順で列に歩くこととなった。昼はそれこそハイキングのような気分で楽しくはあったが、当然夜になると雰囲気は一変して恐ろしくなった。
それでも怯えないよう目的地を目指していると、今度は道に迷ってしまった。その時は我々編集部もいよいよ諦めそうになったものの、大変難有いことに周辺の地理に詳しいという男性から道案内をしてもらえた。彼も流石に山の外へ行く道はわからないというが、宿を貸してくれた上に食事まで作ってもらった。
一つ気がかりなのは、その男性が一日中表情を変えなかったことだが……
××年十二月六日(水)
今になって男性に村の名前を聞くと、そこは「ギョウヨウ村」という名前らしい。字の書き方や由来は聞きそびれてしまったが、ともかく目指すべき刑天村への道のりはまだまだ長そうである。
それにしても、このギョウヨウ村の皆さまは本当に親切にしてくれる。我々編集部は都会から来た全くの部外者だというのに、畑仕事をしていたお婆さんは人参や大根等を分けてくれたり、子供たちからは道で拾ったという石をもらった。そのうえ、自然も豊かだ。朝焼けの太陽は真っ白に輝いて、空気も東京のものより断然澄み渡っていた。
しかし遭難していることに変わりはないので、宿の電話から本部に連絡を試みた。だがまたまた困ったことに、電話は故障しているので今は使えないと男に言われたから諦めた。編集長の携帯電話を使おうにも、こんな所では電波も届きにくいだろう。
××年十二月七日(木)
それにしても、この宿の男は料理が上手である。今日の朝食は山菜のおひたしにキノコの味噌汁、あとは生姜の漬物だった。ここまで美味しいものを振舞って頂いて、申し訳ない気持ちになってくるのは我々四人とも同じだという。
昼になったら、村の古い図書館に行った。なんとなく分厚い漢字辞典が気になって読んでみたが、これがまた面白い。知っていると思っていた漢字に、実はいろいろな読みがあるのだ。
例えば「茶」の字を「チャ」と読むのは慣用音という民間で生じた読みであり、呉音では「ジャ」、漢音では「タ」と読むらしい。他にも呉音で「ワ」と読むことの多い「和」の字は漢音で「カ」、慣用音で「ジュン」と読むことの多い「遵」の字は呉音・漢音ともに「シュン」、漢音で「ケイ」と読むことの多い「刑」の字は呉音で(此自り先は頁破れの為不明)
××年十二月八日(金)
そろそろ村を出発しようかと思っていた矢先、なんと四人揃って体調を崩してしまった。とはいえしばらく腹を下した程度で、症状は昼過ぎに皆収まっていた。
電話の復旧もまだまだ時間が掛かりそうで、仕方なしに編集長の携帯電話を使わせてもらったがやはり圏外であった。今のところ特にこれだという不安は村自体にないが、やはり車も連絡手段も存在しないのは大変心許ない。午後には公衆電話も設置されていないか村中探し回ったが、あまりに田舎すぎるのか一つも存在しなかった。
午前中はほぼほぼ寝込んでいたので、これ以上書くべきことは特にない。
(日付無し)
にげろこ〃ハあぶ□□ くびを□□れる □□く□げ□
(手帳の頁ではなく、挟まれていたメモ用紙の文章。鑑定の結果日記の筆跡と異なり、文字の乱れが甚だしく解読不可能な箇所多数有り)
××年十二月□日(□)
とんでもないことが起こった。夜中に寝ていた最中、突然何者かが斧を持って我々を斬ろうとしてきたのだ。慌てて宿を飛び出すと他の住民たちも一斉に追いかけてきて、みな首をブンブンとあり得ない向きに振回しながら走っていた。しかも追手の中には首の千切れた者までいた。
さらに、中村編集長の姿もどこかに消えてしまっていた。少なくとも宿を出た瞬間には私の他に石井氏と橋本氏しかいなかった気がする。そういえば宿の男の姿も今日は見ていない。
××年□月□日(□)
橋本氏が捕まってしまった。転んだところで足を捕られ、そのまま大きな斧で首を斬り捨てられてしまった。そしたら、大勢の住民たちと似たような首無の姿になってしまった。
車を停めた所までは避難できたが、タイヤは全て外され窓もみな割られていた。そのまま逃げた。
□□年□月□日(□)
(約三頁分空白)
××年十二月□日(□)
まさか、と思うべきことが起こった。
私と石井は懸命に走っていたが、石井は途中の泥に滑り転んでしまった。そのまま石井は追手に捕まってしまい、橋本と同じように首無にされるのかと思ったが、小野が振りかざされる瞬間に何か丸いものが飛んできて斧を弾き飛ばしたのだ。
その直後に聞覚えのある声で「逃げろ!」と叫ぶのが聞こえたのでそのまま石井と二人で逃げたが、途中の木で立ち止まって陰から覗き込むと、あの宿の男が首無のまた追手たちと戦っていたのだ。
彼は頭がなかったので声と服しか判断材料がなかったが、それを踏まえた上でもあの宿の男に相違なかったと確信したのだ。恐らく宿の男は首無の住民の仲間だったが、あの時に自らの首を投げて石井のことを助けたのではないだろうか。
××年十二月十七日(日)
かろうじて山道を降りることに成功し、そのままタクシーを捕まえることができた。石井氏には傷も何もなかったが、まだ先日のことが衝撃的すぎたようでしばらく黙っていた。
本社ビルにようやく着いたのは日も暮れた頃で、そこからは各々家へ帰ることにした。あの後いろいろと調べてみたが、刑天は別の表記で「刑夭」と書かれることもあるらしい。これを全て呉音で読めば「ギョウヨウ」となるので、やはりあの時に訪れた場所は刑天村に違いなかったのだろう。
××年十二月十八日(月)
驚くべきことに、首のない中村編集長と橋本氏が出社してきた。もちろん会社中大変な騒ぎとなったが、どうしてA県から東京に帰って来られたのか聞くと二人とも「よくわからないが、石みたいなものが呼んでいた」という。石といえば村で子供たちから貰ったものがあったが、まさかあれが二人を呼んだのだろうか。
石ならどこにでも転がっているので、今更これを捨てたって何も思わない。貰った石は、気味が悪くなったから川に捨ててしまうことにした。こうすれば恐らく安心だろう。
それとよくわからないが、今日はなんだか体──というか、頭が軽い気がする。
(続いて、以下は某社新聞の同年十二月二十日号の記事の一部である。一部固有名詞は伏字とする)
本日未明、東京○○区○○市内の河川で三人の斬首された遺体が発見された。遺棄の現場を目撃した者は存在せず、犯人並びに被害者の身元、及び頭部の所在については現在調査中である。
(了)