3 彼女の視点、二人のこれから
試合後も彼と彼女の交際はしばらく続いた。相変わらず彼女はカレーを作って彼に振る舞い、その都度微妙なリアクションをされていた。付き合い始めたころにあったお互いの熱は徐々に冷めていき、倦怠期の夫婦のような沈黙が、デート中にもはびこるようになっていった。彼女はだんだん彼と付き合うのが苦しくなった。
彼に振られたのは四月の終わりだった。
ある夜遅く、仕事から帰って部屋で一人夕食をとっていると、彼から電話があった。別れ話だった。
「どうして別れたいの?」
彼女は携帯電話を耳に当てながら聞いた。
「九月に大きな大会の予選に出場できることが決まったんだ。このあいだKO勝ちした試合の内容が評価されて、部内で俺が出場選手に選ばれた。俺ももう三年生だし、就活のこととか考えるとその大会に出られるのはこれが最後のチャンスになると思う」
「うん、だから?」
話が見えず、彼女はちょっといらだって尋ねた。
「だから……、これから試合までの五ヵ月は完全に練習に集中したい。君と付き合っている余裕がなくなるから、別れて欲しい」
「……」
なんというか、彼女はあっけにとられて少しの間言葉が返せなかった。正直、わけが分からなかった。しかし、こう思い直した。この人は私などとは全然違う価値観の元に生きている。別れなければいけない理由は私には意味不明だけど、それは彼なりの行動原理に則っているんだ。
「分かった。別れよう。これまでありがとう。試合がんばって」
彼女はややあっさり承諾した。彼との付き合いはそのうち終わってしまうだろうと、少し前から予想していたからでもあった。
「ただ、最後に一個お願いしていい?」
彼女は言った。
「うん。何?」
「最後にカレーを作らせて。私はカレー作りくらいしか自分に自信を持てるものがないけど、あなたにはまだカレーを本当においしいと言ってもらったことがない。口に合う、おいしいと心の底から思ってもらえるようなカレーを一度でいいから食べさせたいの。お願い」
「……いいよ」
「ありがとう。それで、どんなカレーが食べたい? 最後になるし、もう失敗できないから聞くんだけど」
ちょっと間があった。
「最初に作ってもらったカレーってまた作れる? あれと同じカレーがいい」
今度は彼女の方が間を空けた。
「最初の? だって、あの時あなたあれ残したじゃない?」
「うん、あの時はごめん。でもあのカレーが食べたいんだ。全く同じ味のものを。どうかな」
「分かった」