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2 彼の視点、彼女の過去

 会うたびカレーを食べさせられることには、さすがに彼も困惑していた。


(なんでこんなにカレーばっかり作るんだろう、この人)


 デートをすると彼は二回に一回、いや三回に二回は彼女のアパートに誘われ、大抵カレーを振舞われていた。彼女が作る料理はさすがに毎度毎度カレーだったわけではなく、他の料理も時には食卓にのぼったが、大半がカレーだった。その偏執的なまでの彼女の行動に、ユーモリストの彼は多少の辟易とおかしみを感じつつ、しかし特に文句は言わなかった。


 茨城の市役所に勤務している父に、「人に何かごちそうしてもらったり、物をもらったりした時は、決してその内容や金額にケチをつけてはいけない」と教訓されてきたのを、忠実に守っていたからだ。


 別にカレーは嫌いではないし、彼女の作るカレーに(初めて作ってもらった時のカレーの味に衝撃を受けた以外は)特に問題があるわけではなかった。栄養もバランスが取れている料理だから、二週に一回程度食べさせられることにも問題はなかった。――試合前の減量期を除いては。


(要するに、ちょっと不器用で生真面目すぎる人なんだな)


 カレーを作られ続けながら、彼は彼女についてそう分析していた。


 高校卒業後十八歳で上京し、ビジネス関係の専門学校に入った彼女は、それと同時に新聞奨学生になったらしい。実家が貧しく、それ以外に彼女が専門学校に通える方法は無かったそうだ。


「あの頃が一番人生で辛かった」


 ある時彼女は彼にそう言った。


 なんでも新聞奨学生というのは相当大変なものらしい。日中は当然学校の授業がある。それに加えて朝夕新聞配達を行わなければならない。起床は深夜の一時。それから早朝まで新聞を配り、学校に行って夕方からまた新聞配達。全ての仕事が終わるのは夜七時過ぎだという。寝るのはどうしたって九時を回る。睡眠時間は一日四時間しか取れない。休みは月に六日だけだった。


 この生活を彼女は持ち前のタフさで二年間やり通し、専門学校を卒業した。しかしどういう事情があったのか、彼女は卒業後すぐに就職せず、フリーターになったそうだ。そのころのことを彼女は彼に詳しく話そうとはしないから、よく分からないが――、とにかく彼女はかなり長い期間フリーターをし、それからコネで羽田空港にある倉庫管理会社に就職した。仕事は総務事務。サポート業務や雑用が多いということだから、いわゆる一般事務に近い職務なのかも知れない。


 フリーターを始めた時から住んでいる三鷹駅徒歩十五分の、家賃六万円のアパートに就職後も住み続けていた。羽田空港の会社までは通勤時間片道一時間半を超える。その愚痴をよく言うので、彼はもっと近いところへ引っ越せばいいんじゃないかと時々言ってみるのだが、どうやら引越しの費用に充てる貯蓄が無いらしく彼女はそうはしなかった。


 アパートのトイレは和式で、彼は初めてそこに入った時正直引いてしまった。壁は薄く、隣の住民男性があげる奇声が、彼がお邪魔している時も聞こえることがあった。しかし貧乏性に生まれついている彼女はそういうことに無頓着で、むしろ彼に「この部屋、けっこう良いと思わない?」と無邪気に自慢するのだった。六畳の部屋の白い壁には、彼女が美術館通いをする際集めた絵画のポストカードがすき間もなくびっしり貼ってあり、彼はそれを見るたび若干気味の悪さを覚えるのだった。


 彼女の見た目は同情的に見てもせいぜい六十点前後と言ったところであった。大柄で、腰回りを中心に肉がどっしりつき、薄めの和顔にも顎の辺りに肉がついて二重顎を形成していた。本人は気付いていないようだったが、体臭がややきつく、デートの後にアパートに上がってブーツを脱ぐと、足からチーズのような臭いがした。そのことが彼をひそかにいらだたせた。しかし、「女性の容姿や体質については決してうんぬんしてはいけない」そう茨城の市役所勤務の父に固く教訓されていたので、何も言わずに付き合いを続けていた。


 ここまで書くとわざわざ重ねて言わなくても伝わるだろうが、要するに彼は彼女のことをそれほど好きではないのだった。若者について回る寂しさと性欲を発散させるため、彼女とはたまたまインターネット上で知合って、なりゆきで付き合うことになっただけだった。


 彼女の方は彼をきちんと愛し、大切にしてくれているのはよく分かっていた。そうして彼は彼女のそういう好意に甘えていた。彼女は不器用ながら彼の方向を一心に向いて、愛を届けようとしていた。カレー作りも(彼女のエゴも多分に混じっていたが)その表れの一つだった。しかし彼はその愛に気付きながら、全然別の方向を向いていた。不幸な、残酷な恋だった。しかしこれと似たような恋愛がこの世の中には溢れかえっているように筆者には思えるのだが、どうだろうか?

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