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(要するに、(から)かったってことでしょう? 玉ねぎペーストを多めに入れて、辛味と甘みのバランスは取ってあるんだけどな。ふふ、辛いの苦手って言ってくれれば……)


 彼の残したカレーを三角コーナーに捨て、二人分の食器を台所で洗いながら彼女は一人心内で呟いた。


(OKOK、ルウを中辛にして、リンゴをすりおろして甘みを加えて作り直せばいい。ただそれだけのこと。きっとそれで次は喜んでもらえる。だいじょうぶ、私は傷ついていない。私は全然、傷ついてなどいない!)


 そんなことを思いながら洗い物を終えると、彼女は手を拭いて部屋に戻り、テレビを観ている彼に向かって、


「今日はごめんね! 口に合わなかったんだよね? それで、口に合うように改良するから、今度またカレー食べてもらってもいい?」


とにこやかに声を掛けた。


 彼はちょっと不思議そうな顔をして、


「ああ、うん、いいよ」


と返事をした。


 しかし、改良したカレーを二週間後に食べさせても、彼は喜んでくれなかったのである。残しこそしなかったものの、終始微妙な顔をしてカレーを食べ、彼女が感想を聞くと「ちょっと甘かったかな」とだけ答えたのだった。


(辛いのがだめなんじゃなかったの!?)


 再びショックを受けつつ、しかしなんだかもう意地みたいなものが芽生えてきて、彼女はもう一度カレーを作らせて欲しい、とまた彼に頼んでしまっていたのだった。


 彼女の苦闘が始まった。


 彼女は隔週の週末にカレーの試作をし、試作をした次の休日に改めてカレーを作り直しては、彼を三鷹に呼んで改良したカレーを食べさせるようになった。


 はちみつやヨーグルトを隠し味に加えてみた。インスタントコーヒーやチョコレートも試してみたが、これらは失敗。マンゴーチャツネなるものを入れたこともあった。ルウはジャワと熟のミックスが一番という固定観念を捨てて、一から色々試した。スパイスの調合には手を出さないという信条を捨て、ターメリックやコリアンダー、クミンを炒めて加えることもやってみた。鶏がらを買ってきて香味野菜と一緒に煮込み、ブイヨンから作ったこともあった。


 このような試行錯誤をくり返し、彼女は彼にカレーを作り続けた。だがどんなカレーを作っても、彼が心の底から喜んでくれたように見えたことはなかった。初めての時のように残しはしないものの、それほどおいしそうでもない微妙な顔をしてカレーを食べ、「ごちそうさま」と大した感想も言わずに毎回スプーンを置いてしまうのだった。


 こうなってくるとさすがに彼女も彼にカレーの味の感想と、改善点を一度聞かずにはいられなかった。


「あのね」


 それは彼女がいつものように彼にカレーを食べさせ、微妙な表情をされた後、アパートの部屋でまるで体育会系の部活動の反省会のような感じで話しだされた。


「カレーの味のことだけど」


 ローソファに座ってぼけっとしている彼に、彼女は話しかけたのだった。


「うん」


「私――得意料理がカレーしかなくって。カレーだけにはちょっと自信があったんだ。それでこうやってあなたに作ってるわけだけど。でも初めてカレーを作った時、あなた残しちゃったじゃない? だから味を変えたほうがいいかなと思って、いろいろ作り直しているんだけど。どんな味が好みなの?」


 そう彼女は努めて優しく尋ねたが、彼はどこか気まずそうに、


「最初に作ってくれたカレーがさ」


そこまで言うと、「……いや、なんでもない」とだけ続けて後は黙り込んでしまったのだった。そうなると彼女もなんだか気まずくなってきて、それ以上は聞けなかった。


 彼には母親がいなかった。彼が十一歳の時、ある日突然家を出てそのまま蒸発してしまったということだった。


「学校から帰ってきたら家に居なくて、夕食が作り置きしてあった。テーブルに短い書置きがあって、そのまま帰って来なかった」


 無口な彼は彼女にそう簡単に打ち明けた。


 そのことがよほどショックだったらしく、彼は「強くなりたい」そう激しく希求するようになったそうだ。高校で空手部に、大学でキックボクシング部に入り、格闘技にのめりこんでいった。実家は茨城の田舎町にあって、彼は当時大学二年生、杉並区の学生アパートに一人暮らし。父が公務員をしているという実家に金が無いわけでは無さそうだったが、余裕もそれほどないようで、十分な仕送りは送ってもらえずアパート近くの喫茶店でアルバイトをしていた。部活と学業とアルバイト、彼の生活はなかなか忙しそうだった。


 格闘家というものが全てそうなのか彼女にはよく分からなかったが、彼はどこまでもストイックで、キックボクシングにひたむきに取り組んでいた。彼女とアパートで過ごしている時も、トレーニングの時間だと言ってランニングに行ってしまうことがよくあった。試合の一ヶ月前から彼女との夜の営みは自粛させられた。減量が本格化する試合二週間前からは、彼女と会うこと自体断った。


 秋が終わり冬が来て年が明け、二月に彼は学生キックボクシングの大会に出場した。彼女は応援しに行きたいと言ったが、「大した試合を見せられないから」と断られた。


 この間も彼女は彼にカレーを必死に食べさせ続け、微妙なリアクションをされ続けた。


 更に季節が移ろっていった。

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