第25話
武器に加護を付与する案は、一度に込められる魔力の限界という問題はあるものの、ある程度かたちになりそうなところまできた。これで攻撃力の積み増しができれば、より安全に魔獣の討伐ができるようになる。香椎は引き続き研究をすることになった。
一方、俺の方はその後、変わった討伐の依頼が増えた。俺の爪切りスキルを使って、魔獣ではない普通の獣を外傷なしで討伐してもらえないか、というものだ。なんでもゲラルドさんが飾った熊の魔獣が評判を呼んでいるらしく、好事家の貴族からの依頼が引っ切りなしらしい。
貴族の道楽に付き合わされるのは業腹だが、騎士団所属という王国の歯車の一部である以上、業務とあればやらざるを得ない。動物の解剖図鑑を王城書架から借り受け、効率よく苦しませずに狩る方法を学んだ。
そんな訓練と狩りの日々を続け、朝の訓練で吐く息がすっかり白くなったころ、団長からの呼び出しを受けた。
「北方の街で白い狼が出たそうだ。こういった通常の色と異なる魔獣は、魔法を使えたり、特別な力を持つものがいる。特に気を付けて欲しい。そして…言いにくいのだが、教会の大司教から例の外傷なしで倒せないかと問い合わせを受けている。特殊個体だから普通に戦って討伐するのも難しいと回答はしたが、先方はかなり期待しているようだ」
「そしたら俺ら攻撃するないうことやん。頼むで団長はん、あんまりハードル上げんといてや」
「香椎の言うとおりだ。爪切りでどうにもならなそうだったら、普通に討伐に切り替えてくれ。大司教の方は俺の方でできる限り抑える」
「まあラスパ団長も板挟みだろうから、できる限りのことはします。でも期待しないでくださいね」
「ああ、それでいい。すまんがよろしく頼む」
北の寒いエリアへの遠征となるため、準備には少し時間をもらい、二日後の出発となった。道具屋で香椎は嬉々としてマントを買っている。俺はこっそりスキットルを買った。寒い日に胸ポケットからスキットルを取り出して、クイッとあおるシーンがなんだか渋い男のように感じたのだ。まだ何の飲み物を入れるかは決まっていない。古賀君は目出し帽を買っている。
転勤族の家庭で主に太平洋側で過ごした俺と、関西出身の香椎、横浜生まれの古賀君、寒さになじみのない俺たちは、イマイチ寒さ対策に何をするべきかわからないまま出発の朝を迎えた。
今回の遠征にはヘイシェが同行してくれることになった。わあ、運転手が違うと移動が快適だ。海岸線に沿って北上していく。北西海岸にはほとんど町はなく、炭焼きの集落や、良い粘土が取れるところに窯元の村がいくつかある程度だ。行商代わりに毛布や布などを届け、宿や食事を対価としていただく。
冬の閑農期に訪れた客は、刺激のない村にとって恰好のエンターテイメントだ。行く先々で、討伐の話や王都での暮らしについて話をせがまれる。僻地に住む彼らにとって、騎士団所属など英雄譚の主人公と同じような存在だ。年若い女性がしなだれかかり、手を握られた俺は真っ赤になって固まってしまった。「その気になって連れ出してもらおうと思ったのに、都会の騎士様ったら《《ウブ》》なもんだね」と笑われた。
そうして村々を辿って四日、大陸の北西端の森林にたどり着く。森の手前の炭焼き集落から伐採にきた木こりが、この先で白い狼に出会ったという。
うっすらと積もった雪に足跡を残しながら、まずは森の様子を探っていく。しゃりしゃりと霜柱を踏み歩き、冷たくピンと張った空気を吸うと、肺に清浄な刺激が染みわたる。
「しっかしこんなとこに魔獣がおるんかな。なんかめっちゃ気持ちええで?ここ」
香椎の言葉に皆が頷く。魔獣のいるところの、あの重苦しい空気がないのだ。
「香椎の言うとおりだな。魔獣が持つ空気の淀みのようなものが感じられない。それはそれで不安ではあるがな」
ヘイシェも同意するが、なにか引っかかるようだ。
「不安てなんなん?魔獣が居てないだけなら、別に狼が白でもカモメが黒でもええんとちゃうの?」
「まあおとぎ話の話だが、大波を起こすクジラ、大陸の周りを囲むようにトグロを巻くヘビ、冬の使いの白い狼。そういう伝説のことを思い出しただけさ。何か確信のあるような話じゃないから気にしないでくれ」
おとぎ話と言われたら、さすがにそれ以上突っ込めないな。空気がきれい以外の発見がないまま、今日のところは森の入り口でキャンプを張ることにする。とにかく寒いので大きめに火を焚き、手早くスープとパンの夕食を摂る。マントの前を閉じた香椎と目出し帽をかぶった古賀君は暖かく満足そうだ。俺はスキットルの中の冷たい飲み物を飲む気にもならず、買い物の失敗を悟った。
哨戒の番は寒くて大変だった。じっとしていると凍えるので、素振りをはじめる。はらりと舞い散る雪の結晶を切っ先でなぞる。剣に触れる瞬間に切れなければ刀の熱放射で雪は溶ける。不規則に落ちてくる雪を、慎重に素早く正確に斬る。
刀を振るううちに、気づけば不寝番の番を飛ばすほど時間が過ぎている。慌てて古賀君を起こすと寝袋に潜り込んだ。
翌朝、キラキラとダイヤモンドダストが舞うなか起き出す。確かマイナス十度か十五度以下で起こる現象だ。かなり冷えているな。
桶の上にうっすらと張った氷を割り、遠慮がちに顔を洗う。一瞬でかじかんだ手を擦り合わせながら、焚き火で沸かした湯で茶を淹れ、起き出してきたヘイシェにもふるまう。
「…うう、こんなに冷えるならもっと毛布を買えばよかった」
古賀君が震えながらテントから出てくる。目出し帽があるだけいいじゃないか。
「今日は奥に見える、あの背の高いスギを目指して進んでみようか」
準備を整えたヘイシェが今日の方針を立てる。出没地点や目撃情報に乏しいので、ローラー作戦の起点作りからはじめることになった。俺たちは横一列に広がると、お互い目視で確認しながら進みはじめる。
俺はポケットから手を出すのをためらって、こっそり爪切りスキルで枝払いをしながら進んだ。雪も風も強まる中、俺が池の氷を踏み抜いて靴を濡らしたくらいで、あっけなくスギの木の下へたどり着いた。
「…わあ、歩いてきた足跡がもう雪で見えなくなってる。僕、かまくらに憧れがあって、あとで休憩の時手伝ってくれない?あ…」
来た道を見ながら話していた古賀君が、こちらを振り返った瞬間、言葉を失い固まった。