第20話
熊の魔獣の討伐は二日目、斥候のヘイシェが痕跡を追跡しながら進む。魔獣のテリトリーはかなり広いようで、あちこち行ったり来たりしながら痕跡の濃いところを絞り込んでいく。
「しっかしコイツ元気やな。もう少し落ち着いてくれてもええねんで?」
「テリトリーの広さは強さの象徴だからな。よほど強いか、敵がいないかだな。しかし、肉食の獣はそこそこいたし、敵がいないと言うことはないから、残念ながら前者だろうな」
香椎はガックリとうなだれる。ヘイシェの話では、体を擦り付けられた木の位置や、爪を研いだキズの跡、フンの大きさからみて、かなり大きな個体の可能性が高いようだ。
少し進むと川幅が少し広くなったところに出る。
「ここで少し前に水を飲んだりしたようだ。まだ足跡が新しいぞ。その後向こうに渡ったようだな」
ヘイシェが少し声を抑えて俺たちに告げる。指し示す向こう岸には確かに這い上がったような跡が見える。少し戻って川の浅いところを渡り、再び痕跡を追う。そう遠くないところに魔獣がいると考え、慎重に歩みを進める。
「…これ、僕たちが今朝まで寝てたキャンプ地に近くない?」
古賀君がふと呟く。確かに奥に見える開けた場所は俺たちがテントを立てた広場の一角のようだ。
「熊の習性ってやつか?」
昔ネットで見た記事で、熊に襲われて奪われかけた荷物を取り戻して逃げたところ、執拗に熊から追いかけ回されたという事件があった。熊は一度自分のものだと認識したものに対して執着すると言う習性だ。昨日俺たちのテントを襲ったことで、俺たちの荷物はすでに魔獣のものだと認識されていたのかもしれない。そのことをヘイシェに伝える。
「それならそれで好都合だ。魔導車に気を取られているうちに後ろからしかけよう。まずは車の様子をみてみよう」
ヘイシェの指示に従って広場を大きく迂回しながら魔導車に近づくと、立ち上がって魔導車に前足をついて大きく揺する熊の魔獣が見えた。
「よし、古賀はここから狙撃。着弾したらリーマは右、香椎は左から突攻。俺は遊撃で、できる限り足を狙って逃走を防ぐ。海老津は狙撃手が狙われないよう警護だ。それでは散開!」
ヘイシェの指示に従ってそれぞれの配置に付く。古賀君がいつもより長めに魔導杖の蓄魔石に魔力を込めて狙いを定める。しばらく魔獣の動きを確かめた後
「今っ!」
起動魔石に指をかけ、銀色の三角錐が音もなく放たれるが、魔獣は何かの気配に気づき、振り返る。銃弾が魔獣の頬を撃ち抜き、怒りに満ちた吠え声が響く。
左右からリーマさんと香椎が距離を詰める。立ち上がった魔獣は両手を広げて、リーマさんに太い腕を振り下ろす。鉤爪とリーマさんの剣が交錯し、鋭い音を立てる。
その隙に香椎が雷を帯びた独鈷を突き立てようとするが、毛に覆われ、皮下脂肪の厚い皮膚にはほとんど通らない。黄色みがかった歯を剥き、香椎に食らいつこうとする魔獣の後ろ足にヘイシェが取り付き、剣を振るう。
こちらのどの攻撃もそれほど有効ではないし、向こうの一撃が当たれば死ぬ。まったく不条理な倍率だが、とにかくこちらは攻撃を積み上げていくしかない。魔獣は3人の攻撃を鬱陶しそうに手で払い、口を開け咬みつこうとする。
「…僕らも加勢に行った方がいいのかな」
古賀君が不安そうに問いかける。とはいえ俺たちの攻撃は効かないだろうし、お互いに間合いが近くなると事故の確率も高くなるだろう。
「見てるのも不安だけど、古賀君は今までどおりここから隙を見て撃った方がいいよ。今は熊もこっちへの注意が途切れてるし」
古賀君は頷くと再び杖をかまえる。
香椎の独鈷は獣の厚い皮膚にまったく通らず、リーマさんの剣は鉤爪によって防がれる。唯一ヘイシェのナイフが膝裏や、足の付け根など柔らかい部分に傷を付けるが、致命傷にはほど遠い。
そうして何合も攻撃を繰り返すと、さすがに実戦経験の少ない香椎に疲れが見える。独鈷を振るい、攻撃を飛び避けようとする足がよろけ、中途半端な棒立ちになる。これを好機と魔獣が手を大きく振りかぶる。
「そこだ!」
古賀君が魔導杖を発射する。弾丸は振り上げた右肩の付け根を貫通し、鮮血がほとばしる。撃たれた反動でたたらを踏む魔獣に、リーマさんが突きを放つ。古賀君が撃った傷口を広げるように突きが刺さると、魔獣は三つ足をつき激しく吠える。
相手に深手を負わせたことで、前衛の3人も活気付く。前足の動かなくなった右側に攻撃を集中し、いまや熊の右半身はしっとりと血に染まっている。
ヘイシェのナイフが膝裏の腱に刺さり、魔獣が尻もちをつく。勝利を確信して笑顔で古賀君の方を見たとき、黒く大きな何かが俺たちに向かって突っ込んでくるのが見えた。
必死で古賀君を突き飛ばすことはできたが、一緒に飛んで避けようとした俺の肩に、とてつもない衝撃がはしる。
地面に弾き飛ばされた俺は、積もった落ち葉の上を滑り、木にぶつかってようやく止まった。俺の前に立ち塞がって怒りの吠え声をあげるのは、先ほどから戦っている魔獣よりも一回り小さな番か兄弟だろうか。
とにかくぶつかった肩が痛い。立木に当たって打った背中の痛みで息も満足に吸えない。相手は立ち姿勢、こちらは仰向け。絶対絶命だ。
俺に覆い被さるように立ち、腕を振りかぶる。マズルから飛び散るよだれ、振り上げた手の空気の揺らぎで舞い散る落ち葉、全てがスローモーションになる。
振りおろされる鉤爪が、俺の目の焦点から外れ、ぼんやりとこちらに向かってくるのを見ていると、爪切りがくぐもった音で「バチン」と鳴った。魔獣は腕を振りおろす勢いのまま、俺の上に覆いかぶさり、ピクリとも動かない。
「海老津!海老津!」
我に返った古賀君が、俺を助けようと魔獣を押したり蹴ったりするがびくともしない。向こうで魔獣を仕留めた三人が、こちらの様子が変だと駆け寄ってきた。四人がかりでなんとか魔獣の下敷きから引き出されたが、魔獣に着いていたノミやダニに全身を刺され、肩は脱臼しボロボロな状態だった。
魔導車に積み込まれた俺は、程なくして意識を失った。